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たつのの夏 ―― 少年の日の「赤とんぼ」

ー夕焼小焼の 赤とんぼ
おわれて見たのは いつの日か


大人たちがそこを「播磨の小京都」
と呼ぶことなんて、
少年の日の私にとって、
どうでもいいことだった。

当時の私にとっては、ただ醤油工場があり、
夕暮れになると決まって
{赤とんぼ』の唄が流れる、
「龍野のおっちゃんの田舎」――それだけだった。

夏休み、幼い我々兄弟は神戸を離れ、
この街の父方の叔父の家に預けられた。

たった二週間。

けれどあの二週間は、
私の人生の淡く鮮やかな情景として、
今も心に残り続けている。

ー山の畑の 桑の実を 小篭に摘んだは まぼろしか

叔父の家のすぐそばには
ヒガシマル醤油の工場があった。
赤煉瓦の煙突が、夏の濃い青空へ向かって
一本の線のようにまっすぐ伸びている。
土手を登れば、
ゆったりと流れる揖保川に
大きな橋が架かっている。
風が吹くと、
ほんのりと香ばしい醤油の香りが、
夏草の強い匂いと混ざり合って鼻に残った。

午前中に夏休みの宿題をなんとか済ませると、
待ちに待った僕たちの時間が始まる。

「用水路で泳いだらあかん」
口ではそう言った。
なのに僕たちが畑の用水路へ
飛び込んでいくのを、
大人たちはどこか大らかな目で見逃してくれた。
揖保川の流れは子供には危険すぎるという配慮と
神戸からわざわざやってきた僕たちに対する
おっちゃんなりの手遇いだったのだと思う。

「なんでここで泳いどるんや」
地元の子供たちが、
畦道から私たちを睨みつけ喧嘩もした。
けれど、結局は一緒になって毎日泳いだ。

おっちゃんが持ってきてくれた
大きな古タイヤのチューブが、
僕たちお気に入りの浮き輪だった。

ぬるい水に浸かり、
夏の強い日差しで熱せられた黒いゴムの、
あの焦げたような匂いを肌にまとわせながら、
夕方まで夢中で真っ黒になるまで
バシャバシャと水を跳ね返した。
今思えば、
いったい何がそんなに面白かったのだろう。
ただただ、夢中だった。

ある日、
みんなのお気に入りだったそのタイヤを、
増水した流れに乗せて失くしてしまった。
畦道をみんなで声を枯らして追いかけたけれど、とうとう追いつかなかった。
肩を落として謝りに行った僕たちを、
おっちゃんは笑って許してくれた。
「増水しとるときは、泳いだらあかんで」
言われたのは、それだけだった。

いつも優しくて上品で、
静かな笑みを浮かべていたおばちゃん。
毎日一緒に近所のスーパーへ買い物に行き、
カチカチに凍ったチューペットや
駄菓子を買ってもらった。
昼食には、決まって氷水に晒された
白いそうめんが食卓に並んだ。

揖保川の土手には
いっぱいの彼岸花が咲いていて、
青臭い匂いで満ちていた。
川越しに見る鶏籠山の姿が、
真っ赤な夕焼け空に黒く浮かび上がる。
家路を急ぐ車の往来が、橋を渡っていく。
砂利が広がる河原に降りれば、
目の前を無数の赤とんぼが舞っていた。
街中に流れる、あの唄に包まれながら。

家に帰る合図だった。

(早く帰らなきゃ。)

曲の意味なんて
これっぽっちも分かっていなかった。

光が影へと移り変わる一瞬の黄昏の情景。
今から始まる夜の帳への高揚感が、
子供ながらにたまらなく好きだった。

家の裏の畑には、様々な夏野菜が葉を広げ、
小玉スイカが地面にごろごろと転がっていた。
茹でたとうもろこし、冷たいトマト。
瑞々しいきゅうり。
中には黄色いスイカもあって
宝物を発見したような気持になった。
スイカを丸々ひとたま、
一人で平らげてしまっても、誰も怒らなかった。
それどころか、
「いっぱい食べろ」「もっと食え」と、
笑顔でどんどん切り分けて差し出してくれた。
「おねしょしたらあかんで」と
笑うおっちゃんの声と共に。
最高の贅沢だった。

風呂上がりに裸のまま、
扇風機の前に座り、
スイカを食べるのが何よりの楽しみだった。
幼いながら、
よその家を裸で歩き回ることに
少しの遠慮があった僕らに、
おっちゃんは言った。

「服なんか着んでええ。
暑いんやからそのまま涼みに来たらええ。」

青い網戸の向こうからは、
ブラウン管テレビの野球中継の歓声と、
おっちゃんの大瓶。
「ちょっと飲んでみるか?」
差し出されたグラスを口に含むと、
たまらなく苦かった。
それもまた、夏の賑やかな一幕だった。
お腹がいっぱいになることと、大人たちの
無償の愛情で満たされることは、
あの頃の僕たちにとってきっと同じことだった。

不思議と、寝苦しくて眠れない夜なんて
一日もなかった。
クーラーなんてなかったけれど、
夜になれば開け放たれた母屋を
心地よい風が吹き抜けた。
日がな遊び尽くして、
体は心地よく疲れ果てていたからだろう。
夜風と共に流れ込んくる田んぼの蛙の声や、
草むらの虫の音。
それは「うるさい」なんていうものではなく、
夏の夜を彩る、
どこか温かくて賑やかな風情だった。

夏休みは砂時計の砂のように減っていく。
神戸へ帰るのが嫌だった。

ー十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた


この曲が、
三木露風の孤独で切ない
幼少期の記憶から生まれた
「悲しい歌」だと知ったのは、
ずっと大人になってからのことだ。
私の胸に去来する『赤とんぼ』は、
露風のそれとはまったく手触りが違う。
露風の幼少期が切ない「孤独」であったなら、
私の龍野の夏は、
あまりにも恵まれた「幸福」に満ちていた。
けれど、だからこそ、
この歌は私の心に深く刺さって離れない。
重なり合わないはずの露風の「孤独の影」と、
私の「幸福の光」が、
あの夕焼けのメロディを通じて、
不思議と地続きに繋がっているような気がする。

温かく包んでくれた
おっちゃんやおばちゃんの笑顔、
兄弟で水飛沫をあげた用水路の冷たさ、
そして「もっと食え」と言ってくれた
あのスイカの甘さが、
露風の切ない詩の余白を、優しく、
温かく埋めていく。

露風にとっての赤とんぼが、
大人になった彼の目の前で
静かにとまっていたように。
私の中の赤とんぼもまた、
今もあの竿の先に、静かにとまり続けている。

私だけの、あの鮮やかな情景の中で。

あの懐かしい、
今はなき赤煉瓦の煙突を見上げながら。

ー夕焼小焼の 赤とんぼ とまっているよ 竿の先

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