1.【自己紹介】ステキな会社で仕事ができた私がなぜ転職し、独立したのか
はじめまして!
過能健太と申します。
福岡大学卒後に商社へ就職し、その後独立。
29歳で法人設立し、現在4期目で大好きな仲間と充実した日々を送っています。
独立したキッカケや今後の展望を書こうと思ったのですが、そもそも自分のルーツから振り返ってしまいました。
天職だと思っていた商社マンから起業を選択した理由
私は福岡県で生まれ、堅実な父と和やかな母によって育ちました。
父が国家公務員であるため、幼少期は関東や九州を中心に転校を繰り返し、中学生の時に福岡に落ち着きました。
学生時代は、父に「将来は公務員か銀行員に務めよう」と言われていたものですから、「文武両道」をモットーに部活と勉強に打ち込みました。
大学生となり将来を考え始め、社会人になると「好きなことを仕事にしたい」と思うようになりました。
それから興味のあった「アパレル」と「海外」に携わる仕事をするために1年数ヶ月留学し、アパレル業界で約2年間のアルバイト経験を経て繊維商社に就職することができました。
思い返してみると「将来は公務員か銀行員に務めよう」と良い意味で煽ってくれた父への軽い反発(反動形成)だったのかもしれません。感謝しかありません。
繊維商社は、私にとって天職と言えるような仕事でした。
興味のある仕事で一緒に働く先輩、後輩にも恵まれていました。
営業職でしたので、目標達成をするためにはどうしたら良いのかを考える毎日。
経験の乏しい私を年間数億売り上げる営業マンに育ててくださった先輩方のことを今でもリスペクトしております。
顧客第一主義の会社で、自身の時間を駆使しながらも最大限の提案をするために仕事をさせていただける環境や平均以上の収入を稼げる会社で充実していました。
大好きな飲み会も多かったですし。
そんな素敵な会社で仕事ができた私がなぜ転職し、独立したのか。
一言で言えば、「自分で稼ぐ力を身につける必要がある」と感じたからです。
理由は3つあります。
1つ目は「収入のギャップ」です。
年功序列と成果報酬との兼ね合いや部署に依存する報酬の差など給与システムへのギャップ。
2つ目は、「労働時間のギャップ」です。
当時の労働時間は、国内外問わず顧客や取引先に依存していたため、自分の時間を作り出すことが難しい状況であったことへのギャップ。
3つ目は、「労働環境のギャップ」です。
人生100年時代で定年退職はいずれ70歳を超えると言われています。
その残り50年間の職場や一緒に働く人を会社に依存せざるを得ないことへのギャップ。
この3点から、収入や時間、労働環境を管理下に置きたい。
そのためには、自分で稼ぐ力を身につける必要があると思ったからです。
まだ会社の立ち上げ段階ですが、ビジョンの実現のため、仲間と共に未来にワクワクしながら仕事をしております。
2026年には実績を積み上げさらに収入を上げることで、家族や恩師、仲間に孝行していきたいですし、なにより自分を育んでくれたスポーツやファッション業界を盛り上げ、長期的にはその業界に携わる次世代を担う若者や文化を継承し続けている先人の方々にも恩送りをしていきたいです。
スポーツを通じて感じた仲間と目標達成する面白さ
ここ数年で知り合った方々には信じていただけないのですが、私は元々内気な性格でした。
ONE PIECEのキャラで言えば、チョッパーみたいなタイプですかね。木陰に隠れるタイプです。
他にも例を上げると、ディズニーシーのセンター・オブ・ジ・アースに120分ほど並んだにもかかわらず、ビビりすぎて乗車前に離脱するようなヤツです。(今でもタワー・オブ・テラーは恐怖を感じます笑)
そのため、水泳、空手、サッカー、テニスなどの習い事を経験しましたが継続することができませんでした。ただ今振り返ってみると、内気な人でも熱量高くスポーツに向き合う人はいます。
本音は、集団の中で孤立する状態に耐えられずに離脱してきたことが原因であったのだと思います。
しかし、野球だけはどハマりしました。
なぜ野球だけ継続できたのかと言うと、打順という仕組みがあるからです。
主体的ではなくても、強制的にバッターボックスに立たざるを得ない仕組みがあるのです。
それから継続する中で、出来ないことが出来るようになったり、出来ることが増えていく面白さを体験から感じました。
またイチロー選手に憧れ、将来はメジャーリーガーで大活躍するプロ野球選手になりたいと思うようになり、目の色を変えて努力し始めました。
弱気な性格でしたが、当時の監督からキャッチャーというポジションを任されました。
キャッチャーは、「扇の要」と言われており、監督や投手、野手とコミュニケーションを図りチームを統率していくポジションです。
そのため否が応でも外交的となり「リーダーシップ」を発揮する必要があり、毎日がフラストレーションの連続でした。しかしプロになりたいという目標があった私は、何度もビビる自分に向き合って、経験を積むことで徐々に性格が外交的になっていきました。
努力だけは誰にも負けずにやってきた自負がありましたので、当時の恩師はその姿勢や人間的な成長のためにキャッチャーという役割を与えてくださったと感じています。感謝しております。
この経験から、苦手だからこそ伸びしろがあり、成長する可能性がある。そして自分の努力と周りの協力もあり乗り越えることができた経験が自信につながりました。
それからは、プロ野球選手になることに一点集中。
上手くなるためには、実績のある指導者の元で努力するしかないと感じ、住む場所も変えて強豪クラブチームに所属しました。
そして必死に練習を重ねた結果は下記の通りです。
小学:県大会2位。
中学:全国大会出場。
大学:全国大会出場。
仲間と共に目標達成をすることが本当に面白かった!
このような結果を残すことができたのは、両親が自分にお金と時間を投資していただいたからに他なりません。
中学では年間約100万円かかるクラブチームに所属させてくださり、実績のある監督やコーチから学ぶことができました。また土日の時間も練習のお手伝いや送迎をしていただきました。
だからこそ両親が還暦を迎えるまでに、家族旅行をプレゼントして感謝の気持ちを形にしたいです。
また自分も家族を持った時には、親がしてくれた事以上に子供や妻にお金を使える様になりたい。それが起業した理由の一つでもあります。
今は商社マンの時以上に楽しく仕事が出来ていますが、恩師や仲間と目標達成に燃えているからです。
プライベートで草野球やフットサルなどスポーツをしており、息抜きのつもりですが本気になってしまうことも多々あります。
余談ですがスポーツ後のビールは最高ですよね。

海外留学で広がった価値観と人生観
「メジャーリーガーに俺はなる!」という夢があったため、小学生の時から英会話に通っており、英語は幼少期から身近にありました。
大学時の部活中に20針ほど縫う怪我をしてしまい、1年間野球ができない状態となったことがきっかけで海外留学にチャレンジしました。
これはチャンスだと解釈できたことが、人生の起点だったと思います。
当時プロフェッショナル仕事の流儀で本田圭佑選手の特集があり、感化されたことを今でも覚えています。
大学の仕組みを活用したイギリス留学でしたが、この経験が人生を変えました。
当時20歳の私は、ある程度の人生経験をしていると思い込んでいましたが、その考えが覆されたのです。
経験談をご紹介すると、当時私が徒歩で移動中に起こった出来事です。
ちょうど交差点待ちで歩行者の信号機が赤、車道の信号機が青の状態でした。
そんな時、通りがかりの運転手から「Go ahead」と言葉を話しかけられました。「先に行きな」と言ってくださったのです。
私が急いでいた状況であったためかもしれませんが、ルールよりも人を優先する価値観や文化に衝撃を受けました。さすがジェントルマンの国。
それだけではなく、生徒に主体性があり自由で会話が途絶えない講義やフットボールの国民の熱量(FAカップ決勝を現地で観戦)など常識の違いを体感しました。
この経験により、自分自身が井の中の蛙であったことを知りました。
そして今後の人生の選択肢を広げるために、自分の知らない価値観や人生観をもっともっと広げたい!と感じ、帰国して奨学金を取り1年間大学を休学して今度はカナダに留学しました。
カナダを選んだ理由は、他国よりも比較的安全で教育システムの水準が高いからです。
結果として、英語でのコミュニケーション力やTOEIC900点弱の実績だけではなく、世界各国に友人をつくることができました。
たまにその友人が日本にも遊びに来るので、今度は私が会いにいく番ですね。
留学を決心した際は、大好きな友人たちと1年間離れることや大学LIFEを謳歌できないことに寂しさを感じましたが留学を通じての気付きや学びが今の人生に確実に生きています。
1年数ヶ月の時間と数百万の奨学金を留学に投資して本当に良かったです。
チャレンジ最高!

理想を実現するために
社会人は学生とは全く違います。
義務教育のように小学生から中学生、次に高校生、大学生と自動的に進むための舗装された道はありません。
当時私はやりがいのある目の前の仕事だけを直向きにやってきました。
ただその延長線上で本当に自分の理想とする未来が待っているのかはどうしても分かりませんでした。
いや、分かってはいたが見て見ぬふりをしていました。
つまりは起業するきっかけであった「収入」「時間」「労働環境」の3つのギャップを「自分で稼ぐ力を身につける」ことで打破したかった。
今の私があるのは、「人との出会い」があったからです。
過去の野球や留学の経験と同様に社会人でも「人との出会い」を通じ、知見を広げ選択肢を広げ、挑戦してきた結果です。
正解のない人生だからこそ、最大限の理想を描き、その理想を現実にする力を身につけることが最も大切なことだと私は思います。
今季はキャリア支援、営業支援、引越し支援、イベント運営に加え、初の飲食事業も手掛けることができました。
自分もまだまだ道半ばです。
一度しかない人生、どうせ死ぬなら思いっきり挑戦したほうが面白い!
これからもご縁を大切にし、理想実現の為に大好きな仲間と共にワクワクしながら仕事をします。
直近の目標は、2027年にスポーツとアパレル事業をスタートさせることです!
今後、どんな新たな出会いや経験をすることができるのか未来が楽しみです!
以上です。

