見出し画像

人の親として、人の子として、学んだこと

2024年。

人の親として
人の子として

自分自身のこれからの在り方

そんなことを学んだ。

人の子どもになって約40年。
人の親になって約5年

これまでは自分が子どもであることや
そして親であることに
深く考えたことがなかった。

それだけ恵まれた日常を過ごしてきたからだ。

考えるきっかけになったのは
両親と息子。

特に両親のことは、一番大きい。

これまで両親に助けてもらうことはあっても
助けてあげることなんてほとんどなかった。

東北の田舎で何不自由なく、余生を過ごしてきた両親。

1000年に一度とも言われる、東日本大震災があった時も怪我もなく
無事だった。

しかし今年。

父も母も変わってしまった。

父は何十年も続けてきた事業を、今年で廃業。

一番の理由は運転が難しくなったこと。

田舎暮らしでは、車は必需品。
車が無ければ、出掛けることが難しい。

買い物も、通院も、もちろん仕事も
車が無いと何もできない。

でも運転を諦めるしかなかった。
というよりも、諦めさせるしかなかった
という方が正しい。

きっかけは事故。

今年の夏、立て続けに二度も
事故を起こしてしまったのだ。

幸いにも人にケガをさせたりすることは無かったが
これ以上は危ないと判断し、半ば無理やり車を取り上げた。

それからというもの、父は家から
出ることはほぼなくなった。

趣味という趣味もなく、仕事一筋だったのもあり
仕事を取り上げたら、何もすることがない。

母の入院が長引いていることもあり、毎日話す相手もいなく
友人も少ない父の認知症状は加速していった。

事業を営んでいた父は負けん気が強く、プライドが高かった。

母や僕と喧嘩になり、自分が悪いとわかっていても
謝るような人ではなかった。

そんな父は今、ただ「ごめん」と謝るばかり。

生活に関することで指摘をしたり
何気ない会話をしているだけでも
いつも「ごめん」しか言わない。

そんな日々を過ごす中
胸を締めつけられるようなことがあった。

父の食事をする姿を見た時だ。
背中を丸めて、ゆっくりゆっくりと食べている。

仕事を辞める前の父は、年齢にしては姿勢の良い方だった。

食事の時も背を伸ばし、高齢者とは思えないほどの量を
ガツガツと美味そうに食べていた。

そんな父は今、背中を丸めながら
和室の片隅で、モゾモゾとゆっくり食べている。

そんな姿を見た時、痛感した。
本当に父なのか?

あまりにも変わり果てた父の姿に、一瞬目を疑った。

もうプライドが高く、負けん気の強い
今までの父ではないんだな・・

そう思った時、グッと胸の奥が締め付けられた。


同時期に母は大病を患い入院。
これまでも入院することはあったが、今年は半年にも及んだ。

長い入院生活のせいか、痩せ細り
ネガティブな言葉を発することが多くなった。

面会は一切禁止の病院だったので、会話はいつも電話。

ありがたいことに親戚が同じ病院に勤めていた。
その親戚が仕事の合間に、母の写真を撮って送ってくれた。

ある日、一枚の写真を見た時
父の食事する姿と同じくらい
胸が締め付けられた。

母は泣きながら、病院食を食べているのである。

その写真が撮影された日は
医師から病状と今後について
告げられた日だそう。

幸いにも命に関わる病気でなかった。

しかし退院してもこれまでのような生活するのは
難しいと宣告されたそうだ。

特にショックであったであろうと思うことは
スポーツが出来なくなるかもしれないということ。

毎日のようにジムや町内のスポーツコミュニティに参加していた母。

それを取り上げられるのは、生きている楽しみが
なくなるのに等しい。

もちろん命が助かるだけで、とてもとても有難いこと。

母は3人の子どもを大切に育ててくれた。

父は子育てに非協力的だったので
母が一人で3人を育てたようなもの。

寝る間も惜しんで、自分のことは後回しにして
子ども中心の生活をずっとしてきた。

子ども達が独り立ちして
ようやく自分の時間・人生を楽しめるようになった。

それなのに、唯一の楽しみが奪われる瞬間は
とてもショックだっただろう。

それからも写真が送られてきたり、電話で話してはいるものの
心身共に変わり果てていくのは、目に見えて分かった。

退院した今も、後遺症の影響で、歩くこともままならず
姉の家から通院・リハビリをしながら生活をしている。


今年はこんなことが続き
両親にとって、辛いことばかりだったと思う。

そしてこれからは、昔のような生活に戻ることは
出来ないだろう。

せめて少しでも楽に生活できるよう
関東で一緒に暮らさないか?とも提案した。

しかし両親ともに、首を縦に振らなかった。

生まれてからずっと暮らしてきた東北の町。
愛着も思い出もある。

だからこそ自分が今、親のためにできることを考えた。

けれども何ができるのか・・
医者でもない自分は認知や病気を治すことは出来ない。


正直なところ、現時点でこれという答えは見つかっていない。


でも少しでも両親の気持ちが前を向いて
残りの人生を楽しんでもらえるよう
諦めず考えていこうと思う。

18歳で上京してから、20年ちょっとの間
これまでは実家に帰省をしても年に1~2回。

電話もLINEも用事がある時くらいだった。

2024年になってからは自宅と実家を
毎月のように行ったり来たりしている。

電話でも頻繁に話すようになった。

そのおかげもあって、これまで知らなかった両親の
意外な一面も知ることが出来ている。

これまで以上に感謝の気持ちが溢れてきた。

与えてもらう側ではなく、与える側
支えてもらう側から、支える側
になる。

そんな自分の在り方を今年は学んだ。

そして息子はとてもありがたいことにすくすく成長してくれている。

まだまだ小さいので、これまでは育ててあげている
という感覚だった。

しかしある出来事をきっかけに、それは変わった。
妻との大喧嘩である。

喧嘩の理由はとてもつまらないことだった。

しかし両親のこともあり、気持ちに余裕がなかった自分は
妻に酷いことを言ってしまい、それがきっかけで喧嘩になった。

しかも息子のいる前で、喧嘩してしまったのだ。

喧嘩はヒートアップし、妻は家を出ていくとまで言い放った。

これまで喧嘩をしたことがなかったので
自分でも驚くほど、恐怖感を覚えた。

家族が、家族でなくなるような
そんな恐怖だ。

そんなことが頭をよぎった瞬間に
傍で見ていた息子が言った。

「僕が何とかするから、仲直りして」

その瞬間に不穏な空気が流れていた家の中が
一瞬にして変わった。

恐怖を覚えつつも、お互いに引くに引けない状況を
息子が変えてくれたのだ。

僕達夫婦は息子に助けられた。

この時ほど、息子の大切さと成長を感じたことは無かった。

それから僕達家族は少し変わった。

今まで以上に会話をするようになり、喧嘩の原因となった
家族の役割などもしっかり話せるようになった。

息子が変えてくれたのだ。

今までは息子を育てている・助けている
という感覚が強かった。

しかし、今では育てて・助けてもらっている
という感覚が正しいかもしれない。


このことを息子から学んだ。

2024年はこのように色々なことがあった。

正直なところ、自分自身も気持ちがついていかず
苦しい時期もあった。

でも
人の子どもとしての在り方を学べた。
人の親としての在り方を学べた。

色々なことを学べた。


そんな2024年だった。

いいなと思ったら応援しよう!

ケン いただいたチップは、よりよい活動のための費用に充てさせていただきます。 応援どうぞ、よろしくお願いいたします。