家族ではなく、友達ではなく、恋人ではなく、でも、他人ではない。
『はじめての人』
もし今後、“彼女”について誰かに話すとしたら、僕は冗談めかして、「僕のはじめての人だよ」と言うと思う。
初恋の人ではない。
最初に付き合った女の子でもない。
『はじめての人』と言えば、普通はそういう想像をするだろうけれど、“彼女”はそういう相手ではない。
尤も、これは冗談だ。
そんな風に想像させようと目論んだ上での言葉選び、というわけだ。
『はじめての人』なんて表現は冗談でしかない。
それでも、それは冗談ではあっても、決して嘘ではない。
家族ではなかったし、友達でもなかった。
同僚や仲間というわけでもない。
仕事で出会った相手だ。
「なら、取引先の誰かなのか」と問われれば、僕はまず、「僕の仕事では、仕事相手のことを『取引先』とは言わないよ」と訂正すると思う。
僕のいる世界では、そういう相手のことを「相談者」と呼ぶ。
ある年の春。
四月。
雨により、桜が散り始めた頃。
僕の『はじめての人』――Hさんが死んだ。
あと数ヵ月で、八十八になるはずだった。
ソーシャルワーカー
僕はソーシャルワーカーだ。
……そう言われても、ピンと来る人の方が少ないと思う。
『ソーシャルワーカー』や、そのソーシャルワーカーが行うとされる『ソーシャルワーク』についての細かな定義はこの際、どうでもいいだろう。
これは論文ではないのだから。
ソーシャルワーカーとは、日本語で言えば、相談援助職だ。
生活上の困り事を抱えた人間の相談に乗る仕事である。
それは制度利用の手助けということもあるし、関係機関への連絡調整ということもある。
話を聞くだけの時も、ままある。
大学は社会学部だった。
社会保障や福祉制度を主に学んでいた。
社会福祉士という、福祉分野でそれなりに重宝される資格も大学時代に取った。
そうして、卒業後にはソーシャルワーカーになった。
「福祉に対する情熱がある人なんだ、凄い」と勘違いされると困るので、当時の僕の目論見を話しておくと、「親はどちらも公務員だったし、僕もそっち方面を目指すか」「とりあえず資格を取っておこう、就活に有利そうだし」という感じだった。
就活は大変だ、という情報だけは知っていた僕はとにかく就職活動をしたくなかった。
企業説明会に行くのが面倒くさかったし、エントリーシートなんて一枚だって書きたくなかった。
無事に就職し、半年経った頃。
僕はHさんと出会った。
僕ははじめて、主担当になった。
Hさん担当のソーシャルワーカーになった。
記録には残らない
僕が具体的にどんな支援を行っていたのか、ここには記載しないでおこうと思う。
守秘義務に反するし、それが今回語りたいことではないからだ。
Hさんには沢山の人が関わっていた。
ケアマネジャー。
病院の先生。
ヘルパーや訪問看護の事業所。
それ以外のサービス。
地域の方々。
だから僕は、Hさんを支える大勢の中の一人にしか過ぎなかった。
会うのも月に一、二度だった。
今となっては、僕にとってのHさんも、沢山の利用者の中の一人だ。
僕がHさんにどういう支援を行っていたか。
それは今回、あまり重要ではない。
それが今回語りたいことではない。
僕が話題にしたいのは、そう、記録には残らないことだ。
僕がどんな風に手助けしていたか、それは記録を読めば分かる。
関係機関も同じだろう。
だから、そうではないことを僕は話したい。
記録ではなく、記憶について。
要するに、僕は思い出話がしたいだけなのだ。
記録には残らなかった過去について、語りたいだけなのだ。
どうでもいいこと
―――どうでもいいことを沢山、覚えている。
覚えている中でHさんに関する最初の記憶は、二度目か、三度目の訪問後のこと。
その時、訪問には先輩が付いてきてくれた。
Hさんのはっきりとした受け答えを受けてか、帰り道、先輩が言った。
「元気なばあちゃんやで」。
何故か、その言葉を鮮明に覚えている。
どうしてだろう。
その時点でHさんは高齢だったはずだし、持病も重く、頻繁には外出できないような状態だったけれど、とても明るく、お話し好きな人だったからかもしれない。
その印象はそれから数年後、最後に会った時まで、変わることはなかった。
最後に会ったのは病院のベッドの上で、もう身体を起こすことも大変になっていたけれど、それでも。
こんなことがあった、とわざわざ言うまでもない記憶も数多くある。
例えば最初の頃、Hさんはお見送りをしてくれていた。
買い物に出掛けるのも大変なおばあちゃんがわざわざ玄関まで出てきて、さよならを言ってくれる。
気持ちは嬉しいけれど、心配が勝つ。
だから、Hさん宅から帰る際には、「お見送りは結構ですから」と告げることがお決まりになっていた。
お決まりと言えば、Hさんはよく、ヤクルトをくれた。
小さなやつだ。
僕達のような職種は原則としてお茶はお断りしている。
税金や利用料といった形で既にお金を頂いているからだ。
「お気遣いいただかなくて、結構ですからね」。
これも何度も言った。
それでも、Hさんは「そんなこと言わんと、ね」とヤクルトを僕にくれた。
最初の数回は困って、上司に相談したと思う。
いつの間にか、Hさんからヤクルトを貰うことはなくなったけれど、今になって考えれば、それは歩いての外出が難しくなった頃からだったかもしれない。
気軽にお店に行くことができないから、ヤクルトも買えなくなったのだ。
そうか、あの頃のHさんはまだ一人で出掛けられていたのかと、懐かしい気分になる。
座椅子を買ったこともあった。
使っていた椅子が古くなり、新しいものが必要となった際、月の収支から捻出できるお金を考えて、僕がホームセンターのHPで座椅子の候補を選んで、商品ページを印刷して写真を見て選んでもらって……。
携帯電話を手放すまでは、操作方法の相談に乗ることもあった。
マナーモードの解除に、音量の上げ方、待ち受け画面を設定……。
テレビの調子が悪いと相談されたこともあった。
こんなことは全部、言ってしまえば、どうでもいいことだ。
記録には書かないようなこと。
ただの思い出だ。
けれども、これ等は間違いなくあった出来事だ。
年月を積み重ねる中で、どうでもいいことも積み重ねていった。
一方で、後悔もある。
僕達のような人間はお一人当たりの訪問時間が決まっている。
他の仕事もあるし、次の相談者がお待ちのこともあるからだ。
Hさんはお話し好きな方だったけれど、ずっと話しているわけにもいかない。
だから、何十分、何時間も続けて話したことはない。
もっと色々な話をすれば良かった。
好きなこととや若かった時のこと、これからしたいことについて。
勿論、多少は話した。
希望を叶える手助けをできたこともあった。
でも、もっと話せば良かった。
僕の大学の話になって、Hさんも若い頃は京都に住んでいたと聞いた。
当時はどんな風だったのかな。
いつ、あの家に引っ越されたのだろう。
もっと聞いておけば良かった。
もっと、どうでもいいことを重ねていきたかった。
さようなら
数年が経ち、僕は休職することになった。
その関係もあり、Hさんの担当からは外れた。
後任の職員が訪問する度に、「どうでしたか?」と訊いていたと思う。
「お元気ですよ」。
「○○さんに会いたがっておられました」。
……そんなような言葉を、何度も聞いた。
「機会ができたら、また会いに行きますから、と伝えてください」。
これも、何度も言った。
仕事なので、「話したいから会いに行く」ということはない。
だから、機会ができたら。
機会ができたら、また会おうと思っていた。
嘘じゃない。
そんなことをしている内に月日が経った。
Hさんが他界したのは、ようやくHさんに会いに行く日程が決まった頃だった。
ずっと入院中だった。
体調が悪いとは聞いていた。
もう長くはないだろうとも。
「僕が行ったら、また前みたいに、お喋りしてくれるだろうか」。
当時の僕は仕事中、不意にそんなことを思い、繰り返し思って、「まるで恋だな」と苦笑していた。
亡くなるまでに一目、見たかったのだ。
多分、それは自己満足だった。
職務を超えた感情だったかもしれない。
けれども、僕は色んなことを教えてくれたHさんに、最後に、最期の前に、一度でいいから会いたかった。
葬儀の参列者は三人だった。
僕の職場から二人、あとは、葬儀の手配をしてくださった法律家の先生。
Hさんが亡くなる直前、同僚と急いで死後の準備をし、どうにか間に合った。
眠るHさんに対し、僕は心の中で、「ありがとうございました」と告げた。
ありがとうございました。
至らない点ばかりでした。
でも、あなたと関わる中で、僕は沢山のことを学びました。
一通り仕事ができるようになりました。
色んな制度を知りました。
今、その知識を使って、他の方をご支援しています。
だから、僕の『はじめての人』になってくれて、ありがとうございました。
ここまで読んでくださったあなたへ
ここまで読んでくださったあなたに伝えたいことがある。
もしあなたが福祉的な、何かしらの支援を受けているとしたら、知ってほしいこと。
もし今後、そういった手助けを受けることがあったならば、思い出してほしいこと。
僕とHさんは仕事上の関係だった。
家族ではなく、友達ではなく、恋人でもない。
だから、あなたを支援する人もあくまで仕事で関わっているだろうし、それが当然であり、正しいことだ。
だが、僕達は仕事をしている時、その中で、あなたのことを考えている。
それは数十分の一の時間かもしれないし、数百、数千、数万分の一の僅かな時間かもしれないけれど、あなたのことを考えている。
恩着せがましく思わないでほしい。
大事なのは次のこと。
僕達はあなたを手助けする中で沢山のことを学んでいる。
僕達を頼ってくれたことを嬉しく思っている。
これは記録には残らないけれど、僕の正直な感想で、多くのソーシャルワーカーがそうだろう。
あなたが誰かの『はじめての人』ならば尚更だ。
そのことをどうか覚えておいてほしい。
そして、今
異動で新しい職員が来た。
僕と同じ仕事になった。
僕は先輩として、その人に仕事内容を伝えている。
記録を見せながらまず話したのは、こんなこと。
「このHさんは、僕のはじめての人なんです。最初に担当した方なんですよ」。
今後、何度彼女について話す時も、僕はそんな風に話し始めると思う。
