音のドレスコード
久しぶりに一人でカフェに来た。
640円のアイスコーヒーを一杯頼み、飲んでいると、店内で電話をしている声に耳がいった。
これを『認知的不協和』というらしい。
なんでも、会話の予測がつかないため脳がストレスを感じるのだそうだ。
その概念を知ってしまったからか、普段よりも気持ちがザワつくような気がした。
思えば、子育てをしてから「音」に繊細になった気がする。
それもそのはずで、生まれたての赤ん坊の声や物音は命に関わる。
しかも、静かな時ほど何か危ない事をしている可能性もあって、常に視界に入れておく必要があった。
たった1分ほどの『認知的不協和』の後が落ち着かない。
仕事の会議をする声、PCのキーボードを叩く音、店員さんを呼び出すチャイム。
ピンポーン!
デカい。
というか、チャイムがあるからお客さんも店員さんもお互いを見ようとしないのではないか?
そして今度は、別の席で赤ん坊が泣き始めた。
泣き止まないのは何かを訴えているサイン。
「どうしたの〜よしよし」では済まない。
懐かしいなぁと思いつつ、我が家の場合、そもそもこうしたお店に入らなかった事を思い出した。
ある程度大きくなってから子どもを連れてお店に行くようにはなったが、泣いたら一旦外に出るなどしていたし、「最悪、お金を払って謝って帰ればいいさ」とも思っていた。
子どもが泣いているのは仕方ない。
ただ、それを「子どもなんだから仕方ないでしょ」と周りに押しつけるのは違うと思っていたからだ。
周りの人も「うるさい!」なんて言うわけにはいかないはず。
ましてや、子ども自体が苦手という人もいる。
全員に配慮することは不可能かもしれないが、そうした歪みの積み重ねが生きづらさを生んでいるのではないだろうか。
様々な音が気になり始めたので、イヤホンで音楽を聴く。
歌無しがいい。haruka nakamuraにしよう。
普段から好んで聴いているアーティストだが、せっかくだから普段聴いていなかったアルバムを選んだ。
ピアノの打鍵音が心地よい。
森の中で、鳥の声が響くように。
また、川の流れる音が響くように。
子どもの笑い声が響くように。
その場その場で、相応しい音が存在しているように感じる。
「音のドレスコード」のようなものと言っていいかもしれない。
そして、それが崩れている事がストレスに感じてしまう。
もしかすると、
勝手に生きづらくなったのは私かもしれない。
ランチの時間が近づき、店内が混んできた。
帰ることにする。
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