さーて、来週のけんちゃぴは✊🖐✌️
けんちゃぴです🐶
批評のあとに生成があるのって
気持ちいぃですよね?
ですよね?
そのキモチィは痛みとぬくもりです
ドSに叩かれ
ドMが叫ぶ
ドSが加速し
ドMの燃料となる
これ愛の定位だと思いませんか
うろぼろしゅの円環とはおもいませんか


詠います
愛とは
感情ではない。
誰かを好きだとか、心地よいとか、そういうふわふわした「心の揺らぎ」だけで完結する物語じゃない
愛とは、僕とあなたの間にだけ強制インストールされる「OS(オペレーティングシステム)」だ。
世間はよく、愛を「境界線をなくして一つに溶け合うこと」だと美化する。
すべてを共有し、安心のゆりかごの中で眠ることが正解だと。
でも、それは違う。そんなものはただの停滞であり、消費だ。
愛の本当の姿は「定位(Positioning)」である。
相手と自分が、互いの輪郭を保ったまま、
離れすぎず、近づきすぎず、強烈な張力(テンション)を張り詰めた位置を死守すること。
それは優しい融合なんかじゃない。ヒリヒリするほどの「対峙」だ。
「俺はここからお前を見る」「私はここに立つ」と、世界に対して絶対的な座標をぶっ刺すことだ。
だから、そこには必ず猛烈な摩擦が起きる。
火花が散り、時に血が出るほど痛い。
自分が自分でなくなるような微振動に襲われ、
相手の存在によって、これまでの自分の形(ルール)がバグを起こし、書き換えられてしまう。
ドSが叩き、ドMが叫ぶ。
相手の反応を食って、自分が変容し、また相手を揺さぶる。
この終わらないエラーと再起動のループ。
傷つけ、傷つきながら、それでも決して逃げずに相手の前に立ち続けること。
俺はこれを「生きる暴力」と呼ぶ。
愛とは、生きる暴力だ。
相手の実存に否応なく干渉し、未来の方向を強制的に押し広げる力。
破壊ではなく、痛みを伴いながら共に世界を創り上げる「生成」の力学なのだ。
綺麗事という名のオムツ(安全層)を履いて、無傷のまま遠くから眺め合っているだけの関係に、
この愛OSは一生起動しない。
傷つくことを恐れるな。
不整合に揺らぐ、そのドロドロの質量をそのまま抱きしめろ。
狂おしいほどに相手を想い、自分を赦し、受け入れる器を広げろ。
燃え尽きたあとに、焼け跡だけが残るかもしれない。
でも、その焼け跡の匂いと温もりこそが、
俺たちが確かに「在った」という、たったひとつの証明(ログ)になるんだ。
——どう?
君も、このOS、インストールしてみる?
語彙つよっ
じゃーんけーん 🫰💰ぽんっ💰🫰
うふふふふ💛
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ふぇぇ...........
