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貧乏かつアホな宅浪ニートが京大受験に挑んだハナシ

 皆さんは宅浪という言葉をご存じでしょうか

 大学受験に失敗,もしくは何かしらの理由で進学を諦めた人が,翌年の受験での合格を目指して1年を過ごす状態を「浪人」,浪人している人を「浪人生」などといいます.例えば高3時の大学受験に失敗した場合などは卑近でしょうか.そしてこの浪人というのは,予備校等に通いながら行うことが多いと思います.予備校や塾で受験対策のプロから1年間みっちりと授業を受け,不足している学力を補うわけです.ただこれらの費用は決して安くないことから,夏期講習や通信教育等もう少し安価でポイントを絞ったサービスを選択する浪人生もいることでしょう.

 さて,そんな浪人の選択の中で最大の禁忌とされるもの(とひさかわが勝手に思っている)があります.それが,塾や予備校,通信教育の類を一切利用せず,参考書などを用いた完全独学での受験勉強を行う自宅浪人」,つまり「宅浪」です.何を隠そう,筆者ひさかわはこの宅浪を選択した,自称元宅浪ニートです.

 現役時代の受験失敗により,筆者は宅浪ニート生活を開始しました.勉強プランだけでなく日々の生活管理までのすべてを一人で計画し実行する日々はかなりの辛さを伴うものでした.しかも,自分の成長を客観的に判断する機会も限られてしまいます.そんな環境にあって,筆者は最終的に京都大学を受験することになります
 
 今,当時を自分なりの客観的な視点に立って振り返ると,それなりにハードな宅浪生活であり,失敗もしたが得るものも多かったと思っています.その宅浪ニート生活の経験が,どこかの誰かの人生を好転させる助けになれば良いと思い,このエッセイを書くことにしました

 無謀な京大受験の顛末をどうかお楽しみに...


現役生時代の受験失敗

 冒頭でも既に触れたが,筆者は現役生としての受験に失敗している.現役時代に受験したのは前・後期ともに神戸大学(神大)の工学部であった.当時のセンター試験の点数は8割ジャストくらいだったと思うが,例年より難易度が下がっていたように感じており,自分でも納得できないものであった.自分はまぁまぁ勉強ができると思っていた筆者にとって,神大は「行けそう」くらいの感覚で選んでいた気がする.ただ実は,高校で受けた模試でも神大にはE判定が付いていた記憶があり,本当は勉強自体も思うように進んでいなかったと、終わってみれば思う.神大はそれなりの難易度を誇る国立大であると言って良く,やはりそこそこ無茶な挑戦をしていたのだ.

 なお,他の大学などは一切受けていなかった.我が家は年収200万円台の片親世帯で,私立大学に受かったとて通うことは困難だと考えていたからである.ただ,貧乏だから私立を受けないという選択は,今思えば少し性急であった.世の中には給付型,有利子・無利子の貸与型など奨学金が数多く存在するので,合格後の金銭工面を理由に諦めている方は少し考え直して欲しいと今なら思う.ただ,筆者はそんなこと知らない情弱だったので,あえなく浪人への道を突き進むのである.

宅浪ニート生活の開始 ~金がないので工夫する~

 現役の受験を失敗で終えた筆者は浪人生活を送ることにした.予備校や塾,通信教育の類も一切使用しない宅浪」である.なお,これは他に選択肢がなかったが故のことであり,もし潤沢に資金があれば予備校に通う選択をしていたと思う.我が家は年収200万円台の世帯なので,子供の教育に使うような金は無いというシンプルな理由だ.また筆者には弟がいるのだが「弟が塾なしでやっているのにお前だけ特別扱いはできない」と父に言われた.いや,それなら両方行かせりゃいいだろ,とも思うが,つまるところ金がないのが理由で、父を問い詰めても仕方ないのでやめた.一度,同じように浪人が決まった高校の同級生が「たった80万円で予備校に通えるよ!」と勧めてくれたのが懐かしい.

 親族に大学進学者がほとんどおらず父自身も中卒だったため,大学進学という進路の事情をあまりよくわかっていなかったことも影響していただろう.高卒だった母親は私たち息子の勉学を気にかけていたが,残念ながら筆者が13歳の時にがんで亡くなってしまった.

 ただし,生活の原資が全くなかったわけでもない.まず、父が卒業祝いに4万円のお小遣いをくれた.また,親戚の叔父叔母が事情を汲んでお年玉をくれていたのも大きかった.ただ,これらをいくらかき集めたとて予備校に通うための費用には全く届かない.そこで,筆者は金なしでもなんとかなりそうな宅浪プランを立てて実行することにした

勉強場所の工夫

 まず,宅浪といえど自宅で勉強するのはNGにした.勉強を日常生活とシームレスに繋いでしまうと,筆者のように環境から影響を受ける性格ではメリハリが出ず効率が悪いと考えたからだ.勉強場所に選んだのは図書館で,幸運にも設けられていた利用無料の自習室を活用させてもらうことにした.勉強場所を自宅以外にしたことは勉強の時間を特別なものとし集中力を高める効果があったと思う.なお,図書館までは高校生活で使用したルートと途中まで全く同じ1時間程度の道のりで,特にストレスなく通うことができた.また,図書館の近くには激安スーパーや商店街があり,昼食の調達に都合が良かったという事情もある.

勉強時間の工夫

 勉強時間については,朝10:00から夜18:30~19:00を確保していた.この内,昼食休憩に1時間,小休憩に20分をとっていたと思う.今考えると1日の勉強時間がそれほど長くない(8時間ほど)ことに気づくが,息切れしてやめてしまうのが最も怖いことなのでこれくらいで良かったのかもしれない.そして,この1日分をだいたい3分割して各スロットで1教科ずつ勉強していたと思う.特に気をつけていたのが,教科を選り好みせず,合格のために勉強することであった.好きな科目ばかりやるようなアホなことをし出すと,実力にムラができるだけでなく「勉強している」と自分に言い訳ができてしまうため始末が悪いからである.

勉強法の工夫

 宅浪ニート生活において筆者が最初に行ったのは勉強法の勉強であり,これが浪人初期において最も大事なプロセスであるという意見は今も変わっていない.様々に調査する中で行き着いた和田秀樹氏の受験勉強指南書を読み漁り,そこに紹介されていた勉強法を「数学」「英語」「理科」で実践した.この和田氏の手法は効果抜群で,特に数学と英語について,現役時代と浪人を終えた後で筆者の実力は別人級であると思う.なお,国語と社会については和田氏の本をそれほど活用していなかった.国語は高校卒業時点でかなり仕上がっており,目は通したものの特に新しい手法を取り入れる必要性はなかった(実際,そのまま乗り切った).社会についても,所詮は覚えるだけなので特に必要ないと判断した.そもそも自分は物理化学選択の理系なので,社会の実力はセンターが乗り切れれば十分だったのである.

志望校の工夫

 志望校選びも重要なポイントであり,勉強する科目の種類や難易度はこれによって決定される部分が大きい.筆者は,志望校を前年の神大工学部から東京大学理科1類へと大幅に上げることにした.別に何も工夫しておらず,一番難しい大学の自分がやりたいことに直結する類を選んだのみである・・・と全く工夫していないというのも悔しいので,それらしい点を少しだけ捻り出してみる.東大志望の良いところは,勉強科目の取り漏らしがないということであろう.東京大学理科1〜3類は,理科系にも拘らず二次試験に国語を課しており,当時はまだ珍しかった.流石に社会は科目に含まれないが,それ以外の全ての科目において二次試験の勉強をしなければならないわけだ.これは最もハードなコースなのだが,万が一志望校を下げることになっても,新たに何かを一から勉強し出すという必要がないのである.実際筆者は受験直前で東大→京大の志望校変更を行ったが,この過程が実現したのは試験科目から国語が減るだけという関係性があったからである.

 ただし,神大に落ちている人間が独学で東大を目指すというのはかなり無茶な考えである.当然,周りからは冷ややかな目で見られていたと思うが,当時は知らんがな状態だったので気にしていなかった.

 このようにいくつかの工夫を凝らし,金なし宅浪生活を回し始めたかかる金と言えば「参考書代」「昼飯代」「電車代」くらいであり,アルバイトもせずにやりくりすることができた.ちなみに,和田氏の受験指南書は990円であったが,絶版となった今はプレミアがついているようである.

宅浪ニート1年目で伸びた力

 上のような計画のもと始めた宅浪は,思いの外順調だった.もともと真面目に高校の授業を受けていた(予習・復習という意味で)おかげで,独学で勉強する素養が身についていたのは大きかったと考えている.これを「独学の力」と呼んでいるが,つまりは間違えた問題の内容を,参考書などの解答例を見ることで理解する能力のことである.宅浪生活の勉強面で一番大事な力は,この独学の力であろう.

 生活面に関しても,誘惑に大きく引っ張られることもなく日々のプランをこなすことができていた.土日に適度に休んだり,夏休みに友人と遊んだり,帰宅後しっかりと睡眠を取ったり,と必要以上に精神を圧迫しないスタイルが良かったのだと思う.宅浪の場合は組織に所属しない孤独な戦いなので,サボろうと思えばいくらでもサボれてしまう.筆者の場合は特に片親ということもあり,家族から受けられるサポートも限られている(朝メシが出てくるとか起こらない).そういう意味で,早い段階から自分を追い込むことは危険なのだ.年下の女性に交際を申し込まれたこともあったが,好みでなかったので強い意志で断った.

成長が見えた夏のセンター模試

 実感として宅浪の滑り出しは順調に感じていたが,大事なのはとにかく本番で点数を取ることであり,従って日々の勉強が実践力につながらないと意味がない.そういう意味で,夏に開催されるセンター模試が最初の力試しとなる.この模試で測ることのできるものは,宅浪している自分と予備校に通っているであろう他の浪人生との差である.なお,現役生はまだまだ力が発展途上で点数も伸びないため,夏の時点であまり気にしても仕方ない.ただし,逆に現役生を侮ってもいけない(彼らは終盤に猛烈に追い上げる).
 この夏のセンター模試は8割を超え,神大の志望者順位では全国3位となった.また,東大の理科1類にもC判定がつき,自分の力が思いの外伸びていることを確認することができた.この結果が示すことは,予備校に通っている同級生に対して私が結構な差をつけて勝っているということである.直接コンタクトを取らずとも,どこに何人分布しているかを見れば,大体の立ち位置がわかる.模試の受験者の中では,既にそこそこの位置につけていたのである.

見えてきた課題

 このまま順調にいけば良かったのであるが,時間が進むうちに課題も見えてきた記述式模試の成績が思ったように上がらないのである.受けていたのは東大模試であるが,やはり素人が独学で対抗できる範囲には限界があるのでは?と思えてくるほどに当時は歯が立たなかった(E判定).ただ,今思うと当時の私は少し頭でっかちで,もう少し柔軟に力を測れば良かったかもしれないと後から思う.というのも,世の中には東大や京大,旧帝大以外の大学がもちろんあるわけで,そういった別の大学の問題にも手を広げれば,もう少し公正に実力を測ることができたかもしれない.というのも実は,多くの(たぶん)大学の二次試験で十分通用する力が既に養われていたのである.ただし筆者がこのことを実感するのは,宅浪2年目の中期日程当日のことであるのだが.

受験直前の仕上がり

 このように独自の宅浪プランを立て実行した1年目の浪人生活は,ついに本番を迎えることになる.ここまでで勉強した科目は,数学(Ⅰ〜Ⅲ,A〜C),理科(物理,化学),英語,国語(現文,古文,漢文),社会(地理)である.東大模試に不安こそあれ,現役時代と違って力がついていることを実感できた.この状態で,筆者はセンター試験(現在は共通試験と名前を変えている)へと突入していくことになる.

 また最も重要なことの一つであるが,筆者は1年目の宅浪生活で一度も病んでいない心も身体も健康な状態で受験本番を迎えることができた点は,かなり大きかったと思う(落ちたけど).

宅浪ニート,1年目の受験

センター試験

 現在は共通試験と名を変えているが,当時はセンター試験という名前だった.これまでやってきたことをぶつける日がようやくやってきたわけである.

 ここでは,思いがけない体験をした.というのも,同じく浪人していた高校の同級生たちと試験会場で再会したのである.彼らの多くは予備校に通い,見違えるような成長を遂げているらしかった.例えば,現役当時私より勉強がかなり苦手だった同級生が「センターの結果が良かったら阪大を受けるなどと言っていたのには驚いた.

 その言葉にすっかりビビり上がってしまった私だったが,幸いアホなのですぐに忘れて試験に臨むことができた.この年は特に数Ⅰ・Aの試験においてイジワルな問題が出たのだが,勉強の成果か私はすんなりと解くことができた.やはり,1年前からの成長を感じる.ちなみに,先ほど阪大受ける宣言をしていた同級生はここでつまずき,阪大を受けるどころではなくなってしまった.会場には他の多くの同級生も,やはりこの問題が解けなかったようである.これを見て,狭い範囲ながら自分の宅浪戦略の勝利を実感した.
 
 ただ,結果としてセンター試験の得点率は82%程度だったように思う.新過程2年目ということで,易しかった1年目から難易度の振り戻しがあった,と勝手に実感しているのだが,とにかくこの点数で東大を受けるかは微妙なところであった.何せ,二次試験の模試の成績が振るっておらず,このまま東大を受けてもかなり厳しい戦いを強いられる可能性があったのである.

阪大受験の失敗,そして2年目の宅浪ニートへ

 タイトルにもあるが,結局筆者は大阪大学(阪大)に前・後期とも出願した.1年間勉強した手前,このくらいの難易度は確保したいプライドもあったのだろう.ただご存知かと思うが,阪大も屈指の難関大である.センター後に阪大の赤本を買って勉強していたが,確かに難易度が高いと感じていた記憶がある.もちろん舐めてかかったわけではないが,最終的には不合格となった.ただし,不合格だったからといって1年の宅浪生活が全くダメだったわけではなく,予備校組と比較しても実力が上であったことは数字が示していた.とはいえ、自分の希望する大学への合格を叶えるには,あと一歩かあるいはそれ以上足りなかったようである.

 ちなみにこの年、弟は京大に現役合格している.叔父に言われた「お前は弟の7割くらいの出来だから諦めろの言葉には流石に打ちのめされた.そのような感じで,私の宅浪1年目は幕を下ろした.流石に2浪目が決まった時には放心状態で,このままどこにも進学できずただのプータローになるのではないかと恐れたものである.

宅浪ニート2年目

スタートを切ることができるのか

 成果が出なかった宅浪をもう1年,なんの後ろ盾もなく続けるということは恐怖であり,自分が腐らず無事にリスタートできるかどうかは不安だった.しかし,3月をしっかり怠けたことで4月からは自然と勉強を始めることができていた.そういう意味で,3月は本当にニートだったのかもしれない.ただ勉強する内容は基本的に同じで,図書館に行って勉強法をマイナーチェンジしながら日々コツコツと積み上げていくのみである.また,1日のスケジュールを少し変更し,図書館の閉館後に近くの公共施設に場所を移して追加で勉強するようにもなっていた.とにかく金がないので,次の受験をものにするしかない,のである.この,もう後がない,という点を理解していたのが,今の私の人生につながっているのだろう.

2年目で変わったこと

 2年目に勉強ばかりしていたかと言われると実はそうでもない.家と図書館の往復生活に閉塞感を感じていたのと,なんの資格もない19歳という状態が不安でたまらなかったこともあり,少し新しいことも始めた

 まず,バイクの免許をとった.バイクとは原付ではなく普通自動2輪車で,教習所での普通自動車と同じ授業,同じ学科試験を経て取得する.この試験に1回で合格したことで,自分が東大志望と言うイタい底なしのアホ,という疑いは少し晴れた.加えて,自転車で通っていた駅までの道のりが格段に楽になった.
 また,家庭教師のアルバイトも少しだけ入れ,自分の生活資金にした.側から見れば「勉強ができずに横道にそれ出した」と思われていたのかもしれないが,これらは良い気分転換になったと思う.

受験本番

 実は,宅浪2年目にそれほど真新しいことは起こらなかった.前年と同じく勉強をコツコツと積み上げる作業の毎日は意外にも早く過ぎ去っていったのである.ただ,この年は12月という大事な時期にノロウィルスに感染し,予定していた記述式の模試をサボってしまった.上から下からずっとゲロゲロ出ていたので行けるわけもないのだが.なおこの時,爆笑しながら息子の汚れたパンツを洗ってくれた父親にはめちゃくちゃ感謝している(恥).ということで,直前の実力判定ができないままの少し不安な状態で,筆者は3度目の受験に突入したのである.

 さて,最初はセンター試験本番であるが,この年は87%の得点率を出すことができた.社会と珍しくリスニングが足を引っ張ったが,それ以外は概ね順調だった.

志望校の変更

 次に問題となるのが志望校である.東大志望と宣言はしたものの,肝心の東大模試が振るわずこのまま受けても敗戦色濃厚との思いを強く持っていた.センター試験が良かった分,このチャンスを棒に振ることが怖くなったというのもある.じゃあ阪大かといえば,去年と同レベルというのにも抵抗があった.そこで目を向けたのが,弟の進学先として少し嫌厭(けんえん)していた京大である.何しろ兄弟が合格者なので,京大の赤本はすぐに手に入る.試しに数学の赤本をちょっと借りて解いてみたのだが,これが不思議なことにスラスラと解けるのである.これがたまたまなのかというとそうでもなく,他の問題に手を出しても同じようにかなり解くことができた.この後に及んで気づいたのだが,どうやら筆者は京大の数学に幾分か向いていたのである.またその他の教科についても問題の傾向を調査した結果,まさに自分の勉強法とマッチする問題が英語でも出ており,この辺りが決め手となって宅浪ニート2年目の志望校を京大にしたのである.

京大受験と感触

 京大受験の日はすぐにやってくるわけであるが,受験会場の下見さえしなかった.何せ弟が毎日通っているので,一番確実なルートを教えてもらうことができたからだ.そして肝心の試験であるが,幸運なことに数学でかなり解けた感触を得ることができた.英語についてもそれなりであった.物理と化学には不安が残ったものの,終わったことを言っても仕方ないのであとは運を天に任せて筆者の前期日程が終了した.

中期日程を受けてみて気づいたこと

 この年,実は中期日程という前・後期試験の間に設けられている特殊な入試にも出願していた.お恥ずかしい話,この試験日程の存在を全く知らなかったのだが,医学部や京大受験の滑り止めとしてよく活用されるものらしいということである.その試験を受けて思ったことは「こんなに簡単でいいの?」である.失礼を承知で書くのだが,あまりに問題がスラスラと解けてしまい拍子抜けした.無駄に意識が高く難しい大学の入試問題にばかりトライしていた筆者は,自分の視点がかなり偏っていたことに気づいたのである.

合格発表

 中期日程を終えた筆者は,後期試験の前に京大の合格発表を迎えることとなる.後期は阪大に出願していたのだが,これは京大が後期日程自体を廃止していたことによる.京大は前期試験一発勝負だったのである.

 合格発表は,友人の家のネット環境を借りて確認した.今思うと自宅で確認する勇気がなかっただけかもしれない.ともかく,これでもかというほどにビビりながら確認した結果…

合格者一覧の中に自分の受験番号を見つけることができた

当時の気持ちを正確に文章に落とし込むことは一生不可能だと思えるほど,あらゆる感情が一瞬で駆け巡る,しかし間違いなく人生最高の瞬間のひとつであった.宅浪ニートとして色々な本を読みながら我流で立てた勉強方法が京大の入試に通用してしまったのだから,そういう意味でもかなり大きな財産を手に入れたと言えるだろう.

宅浪ニートは2年で何を見たか

 本エッセイの最後に,2年間の宅浪ニート生活で見出したとある法則の紹介と,結びのご挨拶をお届けしたいと思う.

凡人が天才に勝つための3つの要素

 ここで書いた2年の宅浪ニート生活において,筆者はずっと凡人であった.神戸大学に落ち,翌年の阪大にも落ちている.京大に受かったからといって,その道のりはスマートとは程遠く泥臭いものだった.しかし,筆者は最終的に独学で京都大学に合格した.京大といえばだれもが認める屈指の難関校で,幼いころから天才との評価を受けてきた超有名進学校出身者たちも目指す場所である.要は,凡人である筆者は天才たちに何かしらの形で勝ったのだ.その凡人が天才に勝つための要素を筆者は次の3つだと感じている.

  1. 視野が狭いこと

  2. ハングリーであること

  3. キャリアパスがはっきりしていること

 1に示した「視野が狭い」は一見ネガティブだが,特定の能力を目覚ましく伸ばす目的においては強力な味方になってくれる場合がある.もし筆者が裕福な家に生まれていたら,私立大,専門学校,就職等といった余計な選択肢がちらつき勉強に身が入らなかったかもしれない.しかし,金無しの筆者にはそのような選択肢が全く見えず,難関大学の合格を目指した勉強のみを唯一の選択肢として日々取り組んでいた.例えば「〇〇先生が好きだから英語だけは頑張る」みたいなことを言っている学生と出合ったことはないだろうか?そういう学生は視野が狭くなっており,本当に英語だけ頑張って良い成績をとってしまったりするものである.

 2はもう少しわかりやすく,いわゆるハングリー精神と呼ばれるものである.「大学に合格しないと貧しい生活から抜け出せない」という思いが必死さを生む,ということである.もちろんお金を稼ぐ方法は大学進学からの就職のみではないのだが,そこは1にあるように視野が狭いのでやはり気にならなかったのだ.

 3は少し聞き慣れない言葉かもしれないが,要は「目的に対してとるべき手段が明確に定まっている」ということである.受験の場合は「大学進学」のために「試験に合格」ということで,キャリアパスは最初から明確である.ただ,この「凡人が天才に勝つための3要素」を受験以外に一般化すると必ずしもパスが明確でない場合があるので,最後に付け加えた.

 この凡人が天才に勝つための3つの要素は,2年間の宅浪ニート生活で得た最も大きな気づきのひとつである(3つだけど).

さいごに

 今回は,自分の人生の中でもかなりのインパクトを持つ宅浪生活について,その経験とそこから見出したものをまとめてみた.2年間独学で受験勉強するというのは暗闇の中を手探りでひとり進むような感覚で,孤独と不安を抱えながらの日々であったが,最終的に京大合格をしたことで帳尻はギリギリ合った気もする.

 なお,筆者はその後京大で博士号まで取得し,現在は国立大学の准教授を務めている.そして,今のキャリアと鋼のメンタルの礎となったのは,間違いなく19~20歳の自分がやり切った宅浪ニート生活の2年である.
 
 これを読んでいる,特に若い方に偉そうに少しだけ言わせていただくことがあるとすれば,今この瞬間は過去になり,未来の自分が必ず背負うことになる,であろうか.人生の選択に正解不正解はないし,選ばなかった方の未来を知ることは一生できない.そういう意味で,大学受験をあきらめるという選択肢が筆者にとって正解だった可能性だって全く否定できないのだ.ただ,今しようとしている選択の結果を未来の自分が必ず背負うことになるということだけ,頭の片隅に残ってくれれば幸いである.

K. HISAKAWA


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