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久留米・太宰府(・博多)半日弾丸周遊

1.プロローグ

家族・親族は皆、私のことを熊本出身と言っている。自分では「福岡・熊本出身」と称している(都合により使い分けることもある)。大学に入学する前まで福岡と熊本にいたのだが、

  ・住んでいたのは福岡と熊本でほぼ同じ年数
  ・生まれは熊本、卒業した高校は熊本(熊本高校)
  ・両親ともに熊本出身
  ・昭和のGolden Agesは福岡で過ごした(物心がついて~中一途中)

という具合。出身地とは「精神的に最も影響を受けたところ」という定義とされるので、福岡・熊本出身は妥当ではないかと自分では判断している。

今回は実家がある熊本に帰省した後、福岡に半日ほど寄り久留米・太宰府・博多に行った記録である(宿泊せず夜間便で帰京)。写真は全て筆者撮影。

2.久留米の水天宮・全国総本宮初訪問
熊本駅11:42発の九州新幹線「さくら」に乗りJR久留米へ異動。全国総本宮水天宮は駅から10分くらいの筑紫次郎こと筑後川沿いにある。水天宮が近くにある地方から東京に来た方を除けば、東京の人は自分と同じく、水天宮と言えば日本橋人形町だと思っている人が多いのではないかと思う。安産祈願に行くところいうイメージが定着している。

実は久留米に水天宮総本宮があるのを知ったのは、「神社および神話・記紀との関係」というエッセイを書いた時であった。久留米の水天宮に孝明天皇が明治天皇生誕の前に祈祷に訪れたとのこと。水天宮総本宮の祭神は以下のとおり。

総本宮水天宮Webサイトより

天之御中主神は周知のとおり、古事記の最初に出てくる神で造化三神の一柱である(日本書記本文では登場せず異伝の中で天御中主尊として出てくる)。水天宮がこの神を祀っていることは意外であった。主祭神が天之御中主神である神社は他にはないかもしれない。神社の説明で「古来より水の神として農業・漁業・船舶業者のみならず、子供の守護神、安産、子授の神としても人々の信仰が篤く・・」とあり、この故、東京の水天宮も安産、子授け祈願の神社なのであろう。河童小さな置物を記念に購入。

筆者撮影写真

カッパの置物

全国総本宮水天宮のHP

3.九州国立博物館初訪問
JR久留米駅から西鉄久留米駅までバスで移動(10-15分程度)、西鉄電車で太宰府駅へ。もの心がついてから中一の途中まで福岡の中心街天神と太宰府の中間に住んでおり天満宮に何度もいったことがあり、今回は名物梅ヶ枝餅含めパスし九州国立博物館を訪問。10年余り前「北部九州旨いものツアー」を数名で敢行した際、この博物館の入口までは行った記憶にあるが、中には入らなかった(と思う)。

常設展示物は縄文期から江戸期に至るまでの主に九州の、及び九州を起点とするアジアとの交流に冠する多様で広範な遺跡(遺物)・文化財(陶磁器・絵画など)がある。個人的な意見としては、東京国立博物館の常設展示よりずっと素晴らしく、建物の形状を含めて是非観ることをお薦めしたい(国宝の保有数は東博・京博・奈良博には遠く及ばないであろう。しかし、国宝は常設展示されないのが普通)。

太宰府政庁跡から発掘された鬼瓦、「日本の印刷の歴史と江戸の本文化」で書いた日本最古の印刷物「百万塔陀羅尼」の百万塔もあり嬉しく思った。
<補足:百万塔陀羅尼>
称德天皇が恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱平定後に発願し、百万塔を作ったとされる木製三重小塔の中に陀羅尼経を入れ全国の諸寺に分置したもの。印刷年代・印刷施主が明確で正史に記載され現物が残っているという意味で世界最古の印刷物とされる。

有名な国宝「漢委奴国王」金印もあればベストだろう。これは福岡市博物館が所蔵し常設展示されている。九博は年齢の関係で入館は無料であった。

<蛇足>
福岡の小学校にいた時、高学年の臨海学校は志賀島で行われていて、志賀島で発見されたという金印の話を必ず聞かされてされていた。金印については一時偽造説があったが今は立ち消えになっている。
正月休みがとうに終わっているにも関わらず参道は大混雑であった。中国の日本渡航統制に関係なく、中国語・韓国語を話す人々が多かった(中国人と台湾人が話す北京語を聞き分けられないので中国か台湾かは不明)。幸い、
九州国立博物館は混んでいなかった。

筆者撮影写真

九州国立博物館外観
大宰府政庁跡から出土の鬼瓦
百万塔(中に陀羅尼経を格納するもの)

九州国立博物館のHP

4.太宰府政庁跡初訪問
太宰府駅の観光案内所で「太宰府政庁跡まで2㎞・徒歩30分」と聞き、徒歩で向かう。早歩きでないと(実際早歩きした)30分で着くのは苦しいような気がした。これは不動産表示の「駅から歩いて○○分」にも当て嵌まる。

前記のよう天満宮に数多く行っているにも関わらず、太宰府政庁跡は初訪問だった。最寄り駅は西鉄「都府楼前」・・都府楼は太宰府政庁の別称・・である。小学生時代の遠足の定番は都府楼前で電車を降り、徒歩で四王寺山という低山を超え「だざいふ遊園地」(今もある)で遊ぶというものだった。小学校の先生が政庁跡を何故ルートに入れなかったのか不明。

遠足ルート

寄ることを決めた背景は、NHK-BS歴史番組で「刀伊の入寇」を観たこと、大河ドラマ「光る君へ」で藤原隆家が登場し「刀伊の入寇」場面も出てきたことである。この近郊に大野城、水城など「白村江の戦い」「刀伊の入寇」に関連した古代の城の地名があり懐かしい地域である。

政庁跡といっても建物はなく礎石だけではあるが、壮観さは伝わってくる。例えば、東京の国分寺にある武蔵国分寺跡、武蔵国分尼寺跡、或いは府中の武蔵国府跡など何の感慨も感じないのとは大違い。近くには「令和」所縁の神社として一時有名になった坂本八幡宮がある。時間もなく興味もないのでパスした。

<参考:令和について>
元号の令和は、それ以前のものは漢籍からとったものと違って、和書由来とされる。即ち、大友旅人が太宰府で催した「梅の宴」で詠まれ、万葉集に入っている和歌からとっている。詳しくは触れないが、これについては以下の話がある。

・対象となった万葉集の歌にある「令」と「和」は中国「文選」の一節から
の引用と思われ、結局は漢藉由来ではないかとの意見がある。
 → 例えは妥当ではないかもしれぬが、「本歌どり」と同じようなもので
   特に問題無しだろう
・坂本八幡宮は太宰府に勤めていた大友旅人の屋敷跡の候補地の一つとして所縁があるということになっている。考古学的に同定/比定されているものではない。

筆者撮影写真

太宰府政庁跡公式HP

参考:路線図は西鉄Webサイトより

5.エピローグ:オマケの博多
博多は飛行機に乗る前に夕食をしたもので周遊ではない。福岡に出張した人なら知っているように福岡空港は福岡市中心街の至近(地下鉄で博多駅から2つ目)なので、大抵の人は飛行機に乗る前に博多駅で飲み食いして帰る。逆にいうと福岡空港に飲食店は殆どない。

東京駅キッチンストリートに博多が本店の「博多うま馬」というラーメン店兼居酒屋の支店が嘗てあり、お気に入りで会社の帰りに結構利用していた。その店がキッチンストリートのリニューアル+新コロナ感染流行時に閉店し残念な思いをしていた。そのため今回、祇園本店を初訪問してきた(地下鉄で博多駅の隣駅)。

この店の博多名物とり皮は素晴らしく美味しく、また食感が軽く、女性でも20本は行けるという感じである。他の数店でとり皮を食べたことはあるが、この店より美味しいところは自分は知らない。博多に「竹乃屋」という福岡だけなく他県に支店を展開するとり皮を売りにするチェイン店があり、東京のデパートの物産展にも出店しているが、旨さは「うま馬」のそれに遙かに及ばずである。

至高のとり皮

お気に入りだったもう一つの理由は、東京で「博多ラーメン」を称する店の中で、唯一子供頃に福岡で食べていた味がするラーメンを出していたことである。本店でそれを再確認した。因みに、正当な博多ラーメンは紅ショウガや辛子高菜は入れないのだが、時代の趨勢で変わりつつある。残念!

博多名物 酢もつ

<オマケのオマケ>
①博多と福岡はごっちゃにされがちである。本来は別物で、博多は古代より栄えていた港町、商業地・交易地。福岡は黒田家が配転された後に築かれたいた城下街・武家街で、黒田氏出自の地、岡山・福岡の名を付けた。福岡市で言えば、那珂川を挟んで東側が博多、西側が福岡である。嘗ては福岡市の中心は福岡側の天神で、JR博多駅およびその周辺は冴えない場所であった。今は大変な賑わいをみせている。

地図は福岡タウン情報より
https://www.fukuokatown.com/fukuoka-hakata-border/

② ニュースでイクラ・筋子が高いので明太子が人気だと報じていた。明太子というのはどうやら辛子明太子のことであった。辛子明太子といえば博多というイメージが定着していると思う、九州では明太子(東京などではタラコという)と辛子明太子と呼び、タラコ=明太子である。つまりタラコという用語はない。辛子明太子のルーツは朝鮮半島で、日本における商品の創業者は博多・中州の「ふくや」であることから、辛子明太子=博多のイメージは正しい。



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