神と私のアディショナルタイム ――心不全から始まった、私の新しい証し――
全てが繋がった。
前日譚)
note
https://note.com/kenichi_1971/n/n049b44f91181
そう、はじまりは一本の電話から動き出したストーリー
1章:19歳、祈りの始まり
若き日の献身と祈りが、後の人生の実りとなった
19歳のころ、Nくんから統一協会への勧誘電話がかかってきた。 半年ほどの献身生活では、高額のハンカチを売ったり、天王寺あべので路傍伝道に励んだ。 恥ずかしい話だが、伝道数は日本3位にまで上がった。
やがてN家の働きかけと岸和田キリスト教会の導き、家族の祈りによって私は脱会した。 その後、岸和田教会の信徒や牧師たちと共に、2週間ほどフィリピン短期宣教に同行した。
そこでU牧師から教わった祈りが、今も私の原点である。
「主の御心が、私の人生に表されますように」
帰国後、奈良で行われた聖会で、K牧師からヨハネ4:35の御言葉を受けた。
「畑はすでに色づいている」
当時の私は、未信者を思い浮かべ「伝道すべき人が多い」という意味に受け取った。 しかし34年を経た今、わかった。
色づいていたのは、私自身の人生だったのだ。
2章:44歳、母教会への帰還
祈りを取り戻し、試練と奇跡を経て次の備えが整った
2015年、44歳を過ぎた頃。
私はというと、起業、自己破産、転職を繰り返す波乱万丈の人生を送っていた。 仕事に追われ、信仰は遠のき、心も生活も疲れ切っていた。
そんな折、かつて伝道したOくんが信仰を続け、結婚していたことを知った。 さらに、教会をカルト化した元牧師がいなくなったことも耳にした。
心のどこかで安堵を覚え、クリスマス集会をきっかけに、母教会に戻る決心をした。

久しぶりに祈った、あの祈りの言葉――
「主の御心が、私の人生に表されますように」
同年11月、私は後縦靭帯骨化症(OPLL)を発症し、入院・大手術。 一時的に半身不随となったが、奇跡的に回復した。

その後は嵐のような日々。 職業訓練校、一般就労、部長職、母の死…… コロナ禍では孤独と向き合い、ライブ配信を続け新たな出会いもあった。



しかし今思えば、これらは次なる試練の備えだった。

3章:53歳、心不全とICU
生かされていることを悟り、命を神に委ねる決心をした
2025年6月30日。心エコーで心臓に血栓が見つかり、即入院を告げられた。 すでに6月25日にBNP2000超が判明しており、 血栓が飛べば即死という状況だったが、 私は仕事・家族対応のために翌日入院を選んだ。

7月1日、入院。ダブル点滴。 翌7月2日、カテーテル検査で血管3本閉塞・心筋梗塞の痕跡が判明。 医師は言った――
「生きているのが不思議です」
その後、岸和田徳洲会病院ICUへ転院。 全身に管をつけ、尿瓶、バルーン、寝返りも介助。 だが、心は静かだった。
「あなたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」(1ペテロ5:7)

そう、この時の私は、これでは死なないことを確信していた。
7月8日、冠動脈バイパス手術。 ICUでの15日間、私はただ生かされていることを知った。
退院を控えたある日、神の導きを象徴する出来事があった。
退院前々日(7月27日):かつて教会をカルト化した元牧師が病室に現れる
退院前日(7月28日):牧師、妻、そしてO君が順に顔を見せてくれる
退院当日(7月29日):19歳で私を統一協会に誘ったNくんが迎えに来てくれた

その時、思い出した御言葉――
「探せ、そうすれば見出す。」(マタイ7:7)
さらに、7月19日にはFさんが仕事を抜けて早々に見舞ってくれた。 その姿は、まるで**エリヤを養ったカラス(列王記上17章)**のようだった。
私の命は、私のものではない。神の御手の中にあるのだ。
4章:アディショナルタイムの始まり
人生の泉があふれ出し、証しとして流れ始めた
退院後、心に迫った御言葉がある。
「あなたの井戸の水を飲みなさい」(箴言5:15)
20代のころ、私はこの意味がわからず、他人の井戸に水を求めた
(統一協会)。
しかし今、私の泉は神が守り、証しとして外に流れ始めた。
53歳のいま、悟る。
私の泉は神の泉。そしてこの水は、証しとして流れ出す。
これから届けたい証し
私のアディショナルタイムは、
生かされた命を神に委ね、証しとして流すこと
日々の制限、水分1500mlや塩分6gの生活も、結石や20分のリハビリも、 すべては「生きている」恵みの証だ。
どうか、この証しを見届けてください。



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web関係のお仕事をかれこれ18年ほど。主にECサイトの運営、構築をしております。営業・人事・総務・経理も約14年くらい経験あり、また保育士としても約2年ほど勤務してました。趣味はガンプラ・カラオケ・海釣りなど。