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映像は「見るもの」から、「環境を育てるもの」へ。

── スクリーンの外に、映像は立ち上がる

空間に映像を投影すると、それは環境になる。

そして、その環境がその場にいる人にどんな作用を与えているのか——それは、その場にいるからこそ、肌で感じることができる。この感動は、モニターの中ではなかなか味わえない。多くのビジュアルアーティストが現場にこだわっているのは、その感覚を知っているからだ。

自分もその一人だと思う。


「見るもの」から「存在するもの」へ

以前の自分は、映像を「スクリーンの中に映るもの」と捉えていた。映画もテレビもYouTubeも、そこにはフレームがあり、自分たちはその中にある世界を眺める存在だった。

しかし、TouchDesignerを使ったインタラクティブアートや空間演出を続ける中で、その定義は大きく変わった。

光は空間に広がり、人の動きに反応し、音と呼応しながら、その場の空気そのものを変化させていく。そこでは映像はコンテンツではない。空間を構成する一つの「存在」になる。


「関係をつくるもの」へ

そしてもう一歩進むと、映像は「関係をつくるもの」になる。人と人の距離を変える。人と空間の関係を変える。人と自分自身との向き合い方を変える。

インタラクティブな作品の本質は、派手なエフェクトではない。「自分が動くことで世界が応答する」という感覚にある。その瞬間、人は受け手ではなく、その環境の一部になる。


「環境を育てるもの」へ

さらに最近は、映像を「環境を育てるもの」として考えるようになった。

良い環境は、人の行動を少しずつ変える。行動が変わると、思考が変わる。思考が変わると、その場にいる人たちの関係性も変わっていく。映像は、一瞬の演出だけではない。人の感覚や対話、学びを育てる「環境設計」の一部になれる。

そしてこの視点は、映像だけに留まらない。デザインも、教育も、都市も、AIも、すべて「環境を育てる営み」として見えてくる。


認識のスイッチ

だから自分は、授業でも技術だけを教えたいとは思っていない。もちろん、TouchDesignerの使い方や映像処理の仕組みは重要だ。だが、それ以上に学生たちに持ち帰ってほしいものがある。

それは、「映像とは何か」という認識のスイッチだ。

映像をスクリーンの中だけに閉じ込めてしまえば、できることは限られる。しかし、映像を空間として、関係として、環境として捉え始めた瞬間、表現は一気に広がる。

技術は、その認識を形にするための手段にすぎない。自分が本当に伝えたいのは、世界の見え方そのものが変わる瞬間だ。

その小さなスイッチが入ったとき、人は自分だけの表現を見つけ始める。そしてそれは、スクリーンの外にも、静かに立ち上がり始める。


「見えない価値」や「人の変化」は、どう次の世代へ受け渡されていくのか。 そんなテーマを、研究と実践の両面から連載しています。

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川村 健一 | Ken-ichi KAWAMURA この研究を応援いただける方は、サポートという形でご支援いただけると励みになります。