1人TOUR DE EURO97 その1 海外逃亡
1997年の夏。
24歳の僕は、たった一人でヨーロッパを90日間かけて一周する旅に出た。
旅の名前は「一人ツール・ド・ユーロ」
フランスには「ツール・ド・フランス」という有名な自転車レースがあり、それにちなんで、人生のレースという意味を込めて名づけました。もちろん僕の旅はレースではない。誰かと競うわけでもないけれど過酷さだけは負けていなかった。
会社に人間関係に疲弊した3年間を過ごし。僕はもう死にたいでも死ぬ勇気はない。最後にせめて世界を見てみたい。そう思って会社を辞めて全財産をバックパッカーに詰め込んで日本を出ました。
たった90日間の旅がその後の人生を確実に変えました。
この旅で、僕はたくさん迷って、たくさん考えることになります。
「自分の人生って」
「自分は何を求めているのか」
「なぜ、こんなにも遠くまで来たのか」
今になって思う。あの頃の自分に伝えたい言葉がある。
世界は、広いようで意外と狭い。
これは、24歳の僕が見た世界の記録。
旅のルートを知りたい方はこちらです。
1)7月15日-ロンドン(イギリス)

1997年7月15日0時15分(深夜)に飛行機はイギリス、ロンドンのヒースロー国際空港に到着しました。
シートベルトを外し飛行機の外へ。
はじめてロンドンの空気を吸いました。
大きく一呼吸。
その瞬間に一気に緊張から解き放たれ足の震えは不思議とピタリと止まりました。だって……後は行動しないと生きていけないから。
僕は飛行機の中でずっと考えてました。
なんでこんな旅にでたのかと?
当時の僕は24歳です。
この旅をする為に全財産をバックパックに詰め込んで仕事を辞めて飛行機にのったんです。こんな無茶なことする人他にいないと思いながら心配する友達に笑顔で手を振り「世界を見て人生変えてやる!」と意気込み日本を飛び出しました。
でも本当は心で泣いていたかもしれません。
カッコよく日本を飛び出したけど、実は……僕は逃げてきたんだと思う。
何に?
仕事がツラくなり、人間関係もツラくなり、上手くいかない日々。出世する友達に夢を求め上京する友達。周りがキラキラみえていく中で自分は何も成長せず仕事ではミスばかり。生きている価値あんの?誰のために生きてるの?仕事もできず、成長もできず、ダラダラと遊んでる。周りの友達みたいに僕も人生プランを考えて資格をとったりスキル磨いたりして将来に投資しなきゃ。でもやる気が起きない。だから本当は自分自身に逃げてきた情けない人間なんです。
窮屈な日常から逃げだしたくて誰の目も届かない世界へ。
死ぬのは怖いから日本を飛び出しました。
ヨーロッパに行けば何か変わるというのか?
旅に出たからって人生変わるのか?
人生変わる??
正直そんなことどうでもいい。
ただただ一人になりたかったのかも。
いや僕の知らない人に囲まれたかったのかも。
僕の情けない過去を知らない人に出会いたかったのかも。
そんなことを考えていました。
飛行機を降りて無事にチェックイン。

さぁ始まる。
僕の旅が始まる。
色んな迷いがあったけど、何故か心は清々しく空っぽ。
全ての悩みを日本に置いて僕は無心で今、ロンドンに立った。
時刻をみると夜中の1時。空港から地下鉄が市内にでてるけど終電は終わってる。タクシーで市内に行っても今からホテル探すの無理だから…いきなり初日で野宿なの?全く何も考えず来たから真夜中の空港のフライトだった。まぁその分格安だったんだけど。
とりあえず僕は空港で寝る事にした。
いきなり野宿とは、この先どうなるのか(笑)
そして僕はこの90日間の旅で何度も野宿を経験し野宿の大変さを知ることになる。まだこの時は何もしらなかったんだけどね。
固いベンチで寝るけど熟睡なんて出来ないから何度も目が覚める。
地下鉄の始発に乗ろうと朝の5時には起きて駅へ向かうことにした。
そして野宿以上に大変なのは宿探し!
スマホもネットもない時代だから宿は基本直接いって交渉。これが今では考えられないけど超大変なんです。
というのも夏はヨーロッパ旅行のハイシーズン。外国人だけじゃなくヨーロッパ人も各地に旅行に行くので宿探しはどこも大変。
特に僕のような安宿専門でしか泊まれない旅行者達はみな同じ安い宿に押し掛けるので直ぐに埋まってしまう。
今のようにネットがあれば事前に調べて空いている宿を探せれるかもしれないけど、当時は宿の情報は本を見て調べることになります。
ヨーロッパを旅行するのに持つ本は、
①地球の歩き方
②ロンリープラネット
このどちらかになります。当時はみんなコノ本のどちらかを持って旅に出ていました。僕は地球の歩き方で1冊にまとまった分厚いヨーロッパ版です。EUは網羅していて1冊で基本的な情報が手に入ります。
僕みたいな安宿に泊まる人大抵YH(ユースホステル)に泊まりに来ます。なので集中するんです。
YHとは約80の国と地域に約3000か所の宿泊施設があり安く安全に宿泊できる施設なんです。日本にも北海道から沖縄まで沢山YHはあります。格安で宿に泊まることができるんです。97年当時のヨーロッパでのドミトリー一人宿泊費は1000円から3000円くらい。
ドミトリーというのは1部屋複数人のベッドがある部屋。キッチン、トイレ、シャワーは共同。寝るだけのベッドが確保。場所によってはいいYHもあれば酷いYHもあり、当たり外れがあります。
とりあえず真っ先にYHに向かいました。なんとか辿りついたけど朝早すぎて受け付け10時~と書いてたので仕方なく近くの観光できそうな場所をさがします。地図を見ていると近くにセントポール大聖堂があることがわかり、行ってみることに。

ここはダイアナ元王妃が結婚式を挙げた教会です。ここか~子供の頃ニュースでみたかもと。朝から重たいバックパックを背負いウロウロしていると急にお腹が空いてきてYHへ戻ることに。
時刻は10時。すでに長い行列ができてチェックインのために並んでいました。僕は内心あせって、あっ宿なくなったらどうしようと思い順番をまっています。なんとか順番がきて無事にチェックイン。初めてのチェックインですが英語で
①何泊?
②一人?
③パスポートチェック
④YH会員書チェック
⑤朝食のシステム
⑥宿のシステム
などの説明を色々されましたけど全部理解不能でした。わかった振りして、なんとか乗り切りました(笑)
受付の後ろの部屋で朝食を食べる人達がいます。
ヨーロッパのYHでは基本簡易的な朝食付き。
後から知るのですが普通はチケットを渡され引き換えに朝食を食べます。でもここはチケットがありませんでした。そこで僕はこっそり朝食を食べにいったのです。だってお腹すきすぎて死にそうだったから。
基本僕は貧乏旅行で使えるお金は少なく安く旅をしないといけないから、このチャンスを…あっ本当はいけませんが若かったから(笑)もう時効なので(笑)
パンとミルクとサラダを食べました。後から請求されたりチケット出せと言われたりしないかドキドキしながら食べてました。食後に荷物を置いてようやく身軽になり、観光へ。

ピカデリーサーカス広場を目指した後は大英博物館を見学し1号店目のハードロックカフェに行きビートルズグッズを散策。赤い二階建てバスにものってロンドンを満喫する僕。地下鉄(SUBWAY)に乗っているといい匂いがして、前を見ると座ってる人がフィッシュ&チップスを食べている。ロンドンのファーストフードの代名詞。これが噂のフィッシュ&チップスか~と思いお腹が空いた僕は地下鉄を降りてYH近くで店をさがし食べました。
これが上手い。アツアツでサクサクで美味しい。
YHに戻りベッドに入ろうとすると僕の番号のベッドに知らない人が寝ている。あれ?と思い番号を聞くと同じ番号の60番だった。
仕方なく受付に行き下手の英語で同じ番号の人がいると告げると、ひと言「SORY」と言われ違うベッドに移された。いきなりトラブルやん。どんな管理やねん(笑)
でも、この状況を、ほぼジェスチャーだけで伝えた僕はスゴイ!って思った。案外伝わるものです。沢山観光もできて楽しかったロンドン。あっと言う間に初日が終わったのです。
この時の教訓は、
1、人生、吹っ切れたら何とかなる
2、適当な英語とジェスチャーだけで通じる
3、フィッシュ&チップス激うま
次回は、その2
初のイギリス ロンドンは物価高すぎて早く脱出しないとヤバイのお話です。マガジンはこちらから↓
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娘が留学をすることになり、何か僕も父として背中を見せて、一人でもがんばって負けないように生きていけるように挑戦を始めました。娘との思い出もここに沢山残そうと思い記事を書いています。少しでも応援してもらえたらウレシイです。いただいたチップは活動費に使わせていただきます。