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1人TOUR DE EURO97 その8 一歩間違えたら死んでいた

1997年の夏。
24歳の僕は、たった一人でヨーロッパを90日間かけて一周する旅に出た。

旅の名前は「一人ツール・ド・ユーロ」

フランスには「ツール・ド・フランス」という有名な自転車レースがあり、それにちなんで、人生のレースという意味を込めて名づけました。もちろん僕の旅はレースではない。誰かと競うわけでもないけれど過酷さだけは負けていなかった。

会社に人間関係に疲弊した3年間を過ごし。僕はもう死にたいでも死ぬ勇気はない。最後にせめて世界を見てみたい。そう思って会社を辞めて全財産をバックパッカーに詰め込んで日本を出ました。

たった90日間の旅がその後の人生を確実に変えました。
この旅で、僕はたくさん迷って、たくさん考えることになります。
「自分の人生って」
「自分は何を求めているのか」
「なぜ、こんなにも遠くまで来たのか」

今になって思う。あの頃の自分に伝えたい言葉がある。

世界は、広いようで意外と狭い。
これは、24歳の僕が見た世界の記録。

旅のルートを知りたい方はこちらです。

8)1997年7月22日-マドリッド(スペイン)

マドリッドの朝食はパリよりよかった。
パンとコーヒーでさらにクッキーまでついてきた。
バックパッカーで貧乏旅行をしていると朝のホテルの朝食が生きる上で大事な栄養確保の場。なにせ食費にはシビアでどこにお金を使うかで考えたら食費が一番後回しになってしまう。

貧乏バックパッカーの予算の使い方の優先は
①宿泊費(一番高い)
②美術館や博物館や観光地費用
③移動費(地下鉄やバス)
④食費
宿泊費は絶対に必要だから省けれない。次に高い、美術館や博物館などの観光地にかかる費用は、厳選してここだけは見たい!というをチョイス。お金があればアレもコレもと行けるけど外したくない場所だけ。その街での移動にかかる費用。これは押さえれるなら押さえて、なるべく歩く。時間をお金で買うという発想もあるけど、それはお金がある人の発想だと思った。それくらい予算は切り詰めている。

そうなると必然的に最後の食費だけど、余ったお金で食べることになる。
もし高価なものを食べたら①②③のどこかで調整しないといけない。要はいいもの食べるならお金のかかる観光施設に入らない選択になる。

僕の旅の予算は1日6000円として想定してました。当時に色んな本を見て旅している人の話から6000円で旅ができると書いていたので、そのまま信用して日本でお金を貯め計算していたんです。

単純に6000円×90日=54万円。これがヨーロッパ90日間の僕の予算です。
ユーレイルパスで約10万、航空券で約10万でした。合計74万円。多少の予備を入れて80万円です。実際に僕はこの予算内で旅をすることができたのです。当時の日記で細かく記録はなかったのですが旅から戻る時にトータルいくら使ったかを計算しているときに80万円でした。6万円程はオーバーしていますが、元々予定していた80万でピッタリ納まったのはよかったと思いました。もっとオーバーするかもと行く前は思っていて不安だったけど、お金を使う都市と使わない都市でメリハリもあり1日6000円を超えないようにしながら旅をしていたのです。

今思うと恐らく、80万円で90日間ヨーロッパ1周できたのは奇跡だったかもと思います。今、80万あっても同じ旅は二度とできません。試しにチャットGPTに聞いてみました。今なら1日約1万円ほどかかりますと返事がきました。(笑)超節約プランでも90万~100万だそうです。

僕の場合は飛行機費用10万引くと70万円です。20万から30万の差がありました。標準的なバックパッカーなら約150万はかかるとの回答でした。ドミトリーには泊まるけど観光や外食にケチらない場合っです。ちなみに、ゆとりプランなら250万円以上でした(笑)個室のホテルに宿泊して食事もしっかり食べる場合。

たしかに今なら予算130万として、どこまで残せれるかかもしれませんね。1日予算14000円これなら少し余裕を持ち行けそうな気もします。どのみち貧乏旅行前提です(笑)

話は戻してマドリッドで朝食を食べたけど外は昨日の夜から今でも雨が降っている。雨だと予定が狂う。移動するのも面倒になるし歩いて移動は大変になる。

仕方なく午前中はホテルの中でゆっくりとして近くの銀行に行ってお金を引き出そうとATMに行くと機械が故障中だった。ヨーロッパではこの先のよくATMの故障があり現金なくなるかもとドキドキしたものです。


午後は雨も止み熱い日が照ってきた。
直ぐに目的の王宮へ向かい850ペセタ(当時で700円ほど)を支払い見学。

豪華な食器に沢山の部屋だったが850ペセタを払うだけの値打ちは僕には無かったかもと思う。もう少し安いと嬉しいのにと思って王宮を後にした。

マヨール広場へ向かいスペインにきたら食べたかったパエリヤを食べるために店に入るけど注文は2人前からしかなく仕方なく二人前を注文。1500ペセタ(約1200円)だった。さすがに一人では量が多かった。でもこれがヨーロッパに来て始めてのレストラン。

一人ではレストランに入る勇気がなくスーパーで買うかファーストフードを食べるかだったので緊張。そもそもチップのルールも分からないので横の客が支払いするまで待ってみてから席を立つような感じでした。

パエリヤは塩が強く魚介類の生くささが鼻にくる。かなりドロッとして、おかゆみたいな米。もっと米がカリッとしたイメージだったので本場は違うのか?美味しいけど日本で食べる方がおいしいと思った。でも久しぶりにレストランで食べて、温かい食べ物を食べた満足度は高い。パンやフルーツ中心だったので温かい食べ物の有難みを感じる。

午後は市内散策しつつ闘牛場にも足を運んだけど試合がない様子。

その後はソフィア王妃美術館へ行った。
お目当てはピカソのゲルニカだ。それを見たくてここに来た。
他の作品はよくわからず僕は急ぎ足でゲルニカを探す。日本にいるときに本で見ているから作品は理解しているがオリジナルを見れるのはドキドキする。

いくつもの部屋をへて大きな広間にでた時、とても驚いた。
大きな壁一面に飾られた絵画。それがゲルニカだった。

ここまで大きいとは想像を超えていた。その迫力にまず驚く。
すぐにゲルニカに魅せられ言葉も失い立って眺めていた。

たった1枚の絵だけど人の心の奥に突き刺さると感じた瞬間だった。
この迫力は生でみないと伝わらないのかも。写真で見ていたけど全く違った印象をうけた。単にピカソの絵、ピカソらしい画風と思って気に入っていたけど生で見ると戦争の悲惨さ、訴える叫び、逃げる人々の葛藤が伝わってくる。写真じゃただのイラストに見えるけど巨大な絵画を見上げると、それは叫びに見えた。

ゲルニカ

6時30頃にYHホテルに戻り荷物をとり9時過ぎに駅に向かえばいいのでホテルで休憩。ロビーにいると日本人の男性と合い二人で話をしていた。

旅の話とこれからどこに行くのかなどお互いに話をして僕はまだ旅が始まったとこだけど彼は、もう2か月ほど旅をしていた。旅慣れた様子を感じ、何度か危険な目にもあった話を教えてくれた。イタリアのスリは気を付けなよ。
そんな話をしているとロビーにあるテレビのニュースが目に飛び込んできた。

マドリッドからコルドバへ向かう夜行バスが山で道を外して崖から落ちて多くの人が亡くなる大事故を起こしていた。運転手の居眠りが原因だったらしい。バスが横転し壊れた無残な映像が飛び込んできた。そして、その乗客の中に日本人がいて怪我をしているような報道だった。実際に亡くなったのかまでは分からなかったけど命が助かっても大けがをしてると思う。そのニュースを二人で見て最悪だな~と空いた口が開かず事故の悲惨さをかみしめていた。

もう運が悪いとしか言えないよねと言うしかなかった。

でも僕は内心冷や汗をかいている。
それは、そのバスひょっとすると僕が乗ったバスかもしれなかったからだ。昨日、リスボンに行かずコルドバへ行くバスを買っていれば、テレビの中の事故に遭遇した日本人は僕だったかもしれないのだ。ロビーで見るニュースはすぐにサッカーに切り替わり、誰かが死んだことは、もう過去のように大観衆のスタジアムに切り替わっていた。

日本人男性と別れて僕はホテルを出てチャルマンティン駅へ向かう。駅に向かう途中もずっとバスの事故の映像が頭から離れない。もしこんなところで死んだらどうなるのだろうか?僕の死体はどうなるのだろうか?親が引き取りにきてくれるの?こんな遠いところまで、息子の死体を引き取りにくる心境ってどんな感覚だろう。何時間も飛行機にのり、死んだ知らせを聞いてやってくる人の心境は計り知れないほどツライはずだ。不慮の事故とはいえ旅も運を味方に付けないといけない。もしこの旅を無事に終わらすことができたなら、僕はまだ生きてもいいと神に言われているかもしれない。まだここで死ぬような人生じゃない。
そうだ。本当に僕に将来,使命があるならば、こんなところで死ぬわけがない。そう信じて僕は駅に着いた。


4カ国目のポルトガルへ。

都市に入る前に本を読んで町のサイズ感をつかめるようになってきた。街の規模で滞在日数もわかるようになってきた。少しずつ旅にも慣れてきている。

列車の時刻表のトーマスクックも見慣れてきた。まだまだ複雑でややこしいけど駅で時間があるとトーマスクックをじっと眺めて電車を探していると不思議なもので理解していくものだ。

このルート調べは面倒だけど、意外と面白い。
何度も見直し計画を頭でシュミレーション。

一人旅だから正解も間違いもない。

全ての行動は自分一人で決め自分の感覚に頼ることになる。
いくら見所が多くても興味なければ居ても仕方ない。

またその逆で、情報や知識がなければ面白いものを見逃している事も沢山あるだろう。当時は「地球の歩き方」か現地で仕入れる情報と自分のヨーロッパ知識だけを頼りにしていた。

インターネットで情報を得るような時代ではなかった。そう思うと本はバイブルだった。そして現地での情報収集能力が旅を大きく左右したと思う。

夜遅くにチャルマンティン駅で列車を待つ。

夜の駅で列車を待つのは,、なんだか寂しい。人も少なくなり昼間とは違う顔がホームにはあった。駅ではいくつもの出あいと別れがある。駅のホームは毎日、嬉しさと寂しさを繰り返しドラマを生んでいる。

そして僕も寂しさを抱え、遠い異国の地にいる不安と寂しさを常に抱えている。

長い駅のホームで別れを惜しむ人たちを見ながら青いラインが入ったタルゴに乗り込みポルトガルの首都リスボンへ出発した。

さあ次の目的地はポルトガルだ。
太西洋へ一気に近づく。

今回は寝台列車のベッドをとらずに値段を抑えたので普通座席。だから横になれない。座ったまま寝るしかない。これが予想はしていたけど、あまり眠れないし首も痛い。明日のリスボンで宿が取れるだろうか?それが心配で揺れる列車に座り深夜に国境を越えて行った。

この時の教訓は、
1、パエリヤは一人で食べるものではない
2、ゲルニカはデカすぎた
3、旅を無事に終えるのは運だ

次回は、その9 ポルトガルで食べたあのケーキが忘れられないお話です。


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けんいち【kindle作家】 娘が留学をすることになり、何か僕も父として背中を見せて、一人でもがんばって負けないように生きていけるように挑戦を始めました。娘との思い出もここに沢山残そうと思い記事を書いています。少しでも応援してもらえたらウレシイです。いただいたチップは活動費に使わせていただきます。