1人TOUR DE EURO97 その7 昼寝文化うらやましい
1997年の夏。
24歳の僕は、たった一人でヨーロッパを90日間かけて一周する旅に出た。
旅の名前は「一人ツール・ド・ユーロ」
フランスには「ツール・ド・フランス」という有名な自転車レースがあり、それにちなんで、人生のレースという意味を込めて名づけました。もちろん僕の旅はレースではない。誰かと競うわけでもないけれど過酷さだけは負けていなかった。
会社に人間関係に疲弊した3年間を過ごし。僕はもう死にたいでも死ぬ勇気はない。最後にせめて世界を見てみたい。そう思って会社を辞めて全財産をバックパッカーに詰め込んで日本を出ました。
たった90日間の旅がその後の人生を確実に変えました。
この旅で、僕はたくさん迷って、たくさん考えることになります。
「自分の人生って」
「自分は何を求めているのか」
「なぜ、こんなにも遠くまで来たのか」
今になって思う。あの頃の自分に伝えたい言葉がある。
世界は、広いようで意外と狭い。
これは、24歳の僕が見た世界の記録。
旅のルートを知りたい方はこちらです。
7)1997年7月21日-マドリッド(スペイン)

スペインの首都マドリッドへ向かう朝。
列車はかなり揺れる。揺れが心地いいレベルではなくガクンッガクンッと大きく揺れる。タイヤが摩耗する金属音が何度も聞こえる。複雑な線路の上を切り替えながら進んでいるようだ。朝になると早めに車掌がチケットを返しに来たので一安心。やっぱり預けるシステムだった。
マドリッドには7時半頃に着いた。ルートをずっと悩んでいて、ポルトガルに行くか行かないか?ポルトガルに行けば遠回りで、またマドリッドに戻る必要がありそうだった。違う街を移動して回れたらいいけど、どうやら不便でマドリッド経由で戻ってくる必要がある。それなら、もう行かずにスペインを南下してもいいかもと思っていた。ポルトガルは飛ばそうか?心の中で迷う。
ポルトガルで気になるの場所はあったけどリスボンに行って数日滞在してまたここに戻るからルート的に中途半端だから、その分スペインの他の都市を回る方がいいかなと思った。旅をしていると、一度言った場所に戻るルートを避けて一本筆で線路を書けるような道を選びたくなる。なぜか同じ道で帰ってくる時間が無駄に感じてしまう。しかも寝台列車をとらないといけない距離だから。
色々迷ったけど、とりあえず地下鉄(メトロ)でYHホテルを見に行くことにした。もしYHが開いてなければポルトガルに行こう。空いてたら1泊しよう。そう決めて駅を出た。
8時30分頃にはYHに着くと受付が9時からだと書いていたので待つことに。既に多くの人が並んでる。直ぐに受け付けはオープンになり自分の順番が来てベッドが空いているか尋ねると1泊だけ開いていた。
常に宿を予約する時は緊張する。下手な英語で通じるのか?相手は何を言っているのか?後ろに人が待っているのでモタモタしてたら嫌がられるとか考えながらドキドキして受付をしている。ロンドンとパリで宿取りを数回経験してくると旅行者の僕が話す事は決まっている。一人のベッドがあるか?何日宿泊するか?を伝えればいい。
上手く伝えられなくても大体は通じるものだ。YHやホテルの人は言葉の通じない相手に慣れている様子の手際がよかった。
リスボン行きを遅らせて1泊だけ予約。昨日は寝台列車だったのでシャワーをとりあえず浴びたい。やはり2日連続で寝台列車だとシャワーを浴びれないのはキツイなと思った。
部屋に向かおうとすると受付の人が声をかけてきて荷物は横にある部屋のロッカーに預けろと言う。部屋に持っていくな!という事を言っている。ここのホテルは荷物を部屋に持っていくのではなく、コインロッカーに預けるみたい。
変なシステムだな~と思いロッカールームに行くとコインで有料。当時約200円ほど。しかも別料金でまたお金を支払う必要がった。よくわからない仕組みだ。ロッカー込みで値段設定して鍵を渡してくれたらいいのにと思う。どうやら盗難にあうので日本人と知って僕にはそう言っている様子。他の人には声をかけてない。またはロッカー代を設けるために吹っ掛けられているか?
宿代が950円だったのでロッカー代で200円は高いと思いつつも支払うことに。フランのYHよりはかなり安いのでスペインの物価の安さを実感。
マドリッドからスペインを南下してコルドバやグラナダへ行くかポルトガルへ行くかずっと迷っていた。南下するならバスかな~とスペインのバスも調べる。
ホテル1泊だし明日の夜はスペインを南下するかポルトガルへ移動するか、どっちにしよう?そう考えながらシャワーを浴びて荷物を高いロッカーに預けて調べるために駅に行った。
スペインには有名な寝台列車がある。それが赤い筋がペイントされてる丸いフォルムのタルゴという寝台列車だ。この列車は揺れを抑えるために車両本体とベッドの部屋が二重構造でゆりかご方式を採用して車両の揺れが中の部屋に伝わりにくく設計されている。昨日の揺れは酷かったから、そんなハイテクな揺れ防止の列車に乗ってみたくなった。これに乗れるのは国際列車っぽいのでリスボンへ行くかフランスへ行くからしい。だから迷わずリスボン行きを決めた。ポルトガルを観光しに行こう!せっかくだしここまできたからという思いも出てきた。
この決断が後からゾッとする事になるとは今はまだ知らなかった。
駅を後にして街に出てみると、かなり静かだった。人も少ない。本当に首都かと思うほど少ない。後から知るけど月曜日で昼間は、皆昼寝をするらしい。だから店も閉まるようだ。これいわゆるスペイン時間と呼ばれるヤツだ。俗にシエスタ(Siesta)という。これは食後の後の休憩という意味らしいが、要は昼寝タイム。14時~17時を休んで夕方からまた少し働くらしい。暑いスペインだからもあるかもしれない。暑すぎて何もやる気がしない事もあるのかもしれない。首都でもこんな感じなんだ~と日本人には驚く習慣かもしれない。ある意味ウラヤマシイ。
僕は久々に日本の親に電話しようテレホンカードを購入。スマホがない時代って国際テレホンカード買って公衆電話で電話をかけてました。もう今は使い方わすれたかも。当時も国際電話となるとかなりややこしい。日本の自宅の電話番号を入力する前に色々番号を入力しないといけない。そのかけ方が国により微妙に違う。カードにより違うのか?もはやよくわかない。
国際電話する際に初めに番号を押して国番号と市外局番の0を除いた番号を入れて家の電話番号だけど、上手く繋がらない。何度か試しようやく繋がると外人が電話にでてビックリ。誰だ?と聞かれて「お前が誰だよ」って言って切った。その後も数回チャレンジしているとようやく日本に繋がる。何が原因だったのかもよくわからないほど、色んなことを試して繋がったから次はまた外人に繋がるかもとドキドキ。
親が出て1分くらいで購入したテレフォンカードが半分に減って焦った。とりあえず今スペインの首都と無事に生きているとだけ伝えて電話を切った。
国際電話のカードの残量の減りかた早すぎる(笑)
今ならLINE電話で顔見ながら話しも出来る時代なのに、当時のテレビ電話なんてドラえもんの世界だったから夢のまた夢だったと思いだす。

その後ハードロックカフェを見つけ休憩してスペイン広場まで行き一応行って見る。有名なドンキホーテの像を見た。まだこの頃は激安の殿堂ドン・キホーテは関西にはなかったと思う。もしドン・キホーテがあったら、きっと「ドンドンドンドンキー♪ドン・キホーテ~♪」と歌っていたかもしれない。
その後は近くにある小さなデボ神殿に行って王宮跡にも行ったけど中には時間が遅くて入れなかったのでYHへ戻る事に、王宮の周りの公園は静かで綺麗だった。
マヨール広場へ行って近くのスーパーで、りんごとトマトを買って7時30分頃YHへ戻った。
YHの地下室にあったコインランドリーで洗濯物をしながら買ってきたトマトとりんごを食べる。今日の晩御飯はこれだ。
YHで日本人の旅行者と会い2時間くらい話しをして夜の10時30分に寝た。
マドリッドの夜は蒸し暑寝にくかった。

この時の教訓は、
1、宿の宿泊で聞かれる事は決まっている
2、国際電話するのも一苦労
3、シエスタ文化日本にも導入してほしい
次回は、その8 バックパッカーの旅の予算の話です。
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娘が留学をすることになり、何か僕も父として背中を見せて、一人でもがんばって負けないように生きていけるように挑戦を始めました。娘との思い出もここに沢山残そうと思い記事を書いています。少しでも応援してもらえたらウレシイです。いただいたチップは活動費に使わせていただきます。