見出し画像

1人TOUR DE EURO97 その45 ヴェネツィアは車が1台もない街

1997年の夏。
24歳の僕は、たった一人でヨーロッパを90日間かけて一周する旅に出た。

旅の名前は「一人ツール・ド・ユーロ」

フランスには「ツール・ド・フランス」という有名な自転車レースがあり、それにちなんで、人生のレースという意味を込めて名づけました。もちろん僕の旅はレースではない。誰かと競うわけでもないけれど過酷さだけは負けていなかった。

会社に人間関係に疲弊した3年間を過ごし。僕はもう死にたいでも死ぬ勇気はない。最後にせめて世界を見てみたい。そう思って会社を辞めて全財産をバックパッカーに詰め込んで日本を出ました。

たった90日間の旅がその後の人生を確実に変えました。
この旅で、僕はたくさん迷って、たくさん考えることになります。
「自分の人生って」
「自分は何を求めているのか」
「なぜ、こんなにも遠くまで来たのか」

今になって思う。あの頃の自分に伝えたい言葉がある。

世界は、広いようで意外と狭い。
これは、24歳の僕が見た世界の記録。

旅のルートを知りたい方はこちらです。


45)1997年8月28日-ヴェネツィア(イタリア)

木曜日。朝7時起床し8時にチェックアウトして駅へ。

オーストリアのお金をイタリアのリラにチェンジをした。
日本円で9000円ほどが8600円になった。まだマシなほうかな。大抵レートで大きく損をする事が多いけどオーストリアのシリングとリラはあまり差がないから手数料を取られた程度だと思う。9時14分発のICで水の都ベニスへ。

15時50分頃に到着予定。列車はオーストリアから南に向かいイタリアに入国していく。やはりEC加盟国内の移動は超楽だ。パスポートチェックも簡単。

イタリアに入国すると景色もイタリアらしくなってきたぞ。オーストリアの綺麗な車窓が嘘のように、汚い街並みが増えていく。国が変わると、こうも変わるものかと本当思う。

スリに対する緊張も高くなる。

ベニスは本によると車が1台も走っていない街として紹介されていた。そんな街あるんだ~と行くのが楽しみだ。

イタリア語でVenezia(ヴェネツィア)英語でベニス。別名アドリア海の真珠と中世から言われた街。

列車は16時頃にサンタルチア駅に到着。この時間だからYHはおそらく予約が取れないだろうと思った他の宿を探す事にした。駅前に大きな運河があり有名なスカルツィ橋を渡るといわゆる、ヴェネツィアに入る。ここからは車は入れない。というか入るほどの道がないという事だ。狭い道で入り組んでいる。

すごい観光客の数だ。地図を見てホテルを探した。でも道が複雑で地図が役に立たない、本と道に迷う街だ。10件くらいホテルを回ったけどシングルで安宿は見つからない。全部高額な値段だ。

大きな移動は船がバス代わりで住民の足となっている。これじゃ移動が大変だと思って一度駅に戻り荷物をロッカーに預けた。ホテルが見つかってから荷物を取りに戻ろう。それか今日は野宿になるかもだなぁ。明日の宿を確保する為に、とりあえずYHを探そう。

YHの場所を調べると駅とは真逆方面にある。しかも離れ島らしく船で渡らないといけない。ジュデッカ島にYHがあるので、そこまで行く事に。

カナル・グランデ(Canal Grande 大運河)がヴェネツィアの北西から南東で街を2つに分けながら湾曲して流れる。150を超える運河が177の島々を分け400の橋でつなぐという街の構成だ。だから市民の足は船一択。観光用にはゴンドラと呼ばれる手漕ぎ船もある。

ちなみに警察もボートだ。運河に面した家も多く玄関に船で行く家もある。なんとも不思議な街。

ジュデッカ島に辿り着き船を下りてYHを探す。歩いていると直ぐに見つかった。海沿いに面した建物で、かなり古く歴史を感じる建物。明日の宿泊を予約したら、何と今日もベッドが1つ見つかったので早速おさえた。1泊2400リラだ。やはり高い。

観光都市だけにここのホテルは割り高だ。まあでもYHだからまだいいが一般のホテルに行くともっと高いからマシなほうかな。何とか無事に宿を確保できたので観光ついでに駅に向かう事にした。荷物を取りにいくけど、駅に行くことすら道に迷うから駅に中々辿りくけないのだ。

今自分が何処にいてるかわからない。こんな迷路みたいな町は初めてだ。何と言っても道が狭く入り組んでいて方向感覚が麻痺していくる。本当に迷い真剣にあせった。

駅を目指すが、お腹がすいたので途中で夕食だ。ここはどこで、駅はどこだ?今のようにスマホで地図を見ながら行けた時代じゃないから本当に感覚だけで進んでいるようなもの。

今日は朝のザルツブルグの朝食以来何も食べてなかった。レストランでコースメニューを注文2700リラ。スープにボンゴレパスタにサラダとイカ墨の白身魚と食後にカプチーノがついてきた。イタリアのレストランは水が有料。パンも有料。

しかも椅子に座れば自動で水とパンは注文してなくても出てくる。だからサービスと思い普通に食べると後からチャージ料みたいなものでお金を取られている。安いのだけど、こういうお金が無駄になるから頼んでもないのにお金を払うのが、どうも慣れないというか勿体ない気がしてしまう。

旅の予算が少ないから他の観光客とは違い物価の高い街では、これも自分にとってはツライ食事費用だった。きっとケチな客だな~と思われているに違いないと自分でも思う。

食事は美味しかった。イカ墨の白身魚は初めて食べた。ここにきてよく、イか墨の料理を目にする。パスタだけじゃないんだと思った。

日も暮れてきてサンタルチア駅を目指す旅を再開。気が付けば住宅街にいたり、人がいなくなり引き返したり、周りは建物が高く遠くの目印も作ることができない。とにかく方向感覚がなくなるのだ。そこで思ったのは人の流れだ。多くの人が進む流れがきっと駅に繋がるに違いない!とおもって、人の流れを見て皆が進む道について行くように進んでいくようにしたら、なんと駅までたどり着いたのだ。いや~スゴイ。何とか駅までたどり着き預けていた荷物を取り出し、テレホンカードを買ってYHホテルのあるジュデッカ島に戻ることを目指す。もう行ったり来たりばかりしている。

下の日本地図のような島がジュデッカ島
下の日本地図のような島がジュデッカ島

駅前から船にのり出発だ。船には番号があり、急行、各停みたいに船により種類がある。各停に乗れば沢山の駅を止まるので時間がかかるが、ゆっくり見るにはいいかもしれない。南側に面するサンマルコ広場まで早く行きたい場合は急行の船にのる。

夜の9時ごろ船にのり込むとフィンランド人の女性2人組と出会い会話した。YHに行くみたなので僕が知ってるから案内をしてあげた。でもこの時間だとベッドの空きはないと思うけどな~と思いながら一緒に向かった。夜のヴェネツィアもまた綺麗だ。

少し夜風が寒くなってきた気がする。ジュデッカ島について船をおりYHを目指す。フィンランド人の2人はドイツとイタリアを旅しているらしい。学生みたいでもうじき夏休みが終わるので急いで周っている様子だ。でも次の休みはスペインとか言ってるから活動的な女性だと思った。

2人組、3人組のツアー客や買い物目当ての日本人女性は山ほど見てきたけど、日本人の女性でバックパッカーと出会うことは本当に少なかった。

YHについて受付をしているフィンランド人たちは、やはりベッドが空いていないから別のホテルを探しに行ったみた。

1階に食堂と休憩場所があり、そこに日本人男性がいたので声をかけた。他にも日本人は沢山いるみたいだった。僕が話しをした男性は学生で友達と2人でヨーロッパ旅行をしているらしい。でも何か様子が変で話を聞いていると友達と喧嘩して離れ離れになったとか。

帰りの空港で待ち合わせらしい。少し落ち込んでいる様子だった。
でもそんなグループを今まで僕は何人も見てきたから気持ちがよく理解できた。

仲のいい親友と旅行にきてドイツに入国をしてドイツを南下している途中に行きたい場所のルートで意見が別れ、それまでのお互いの行動や些細な事でストレスが溜まり爆発したらしく、ここに来る前に分かれて帰る空港のパリで待ち合わせになったとか。話を聞いてても大変そうだ。

まだマシだよと声をかけてあげた。
僕がであった人で、同じように喧嘩したけど鉄道のパスが2人で1つのパスにしてる人がいて列車は行動を共にしないといけないから完全に別行動ができない人達を見たことを教えてげた。その人たちは駅に到着してから別行動して2日後の何時に、また駅で待ち合わせをしながら旅をしていた話。

その人たちは電車の中でも無言で、街中でバッタリ会っても知らないふりをするくらい冷え切った関係。それなら完全に別行動できる方がいい。

バックパッカーのような旅は絶対に一人でする方がいい。ほんとうに仲のいい人でも喧嘩する人を見てきたから。

喧嘩せず、または仲直りしながら進むのも旅かもしれないけど、決別したグループを何組も見てきただけに一人が正解だなと思った。

特に予定なんてコロコロ変わる。それを相手を気にしていたらストレスがたまるだけかもしれない。でもその分孤独なんだけどね。

一人の場合は本当に適当だ。今朝も朝から何も食べてないし、極限まで歩くし無駄な時間を過ごす事も多い。結局一人で来て正解だと思う。

YHの外は海辺に面しているので沢山の旅行者が、ベニスの綺麗なネオンをみながら話をしていた。みんな旅行話に盛り上がっていた。
夜の12時頃まで話をしていた。

この時の教訓は、
1、注文してないのが出てくるのは何か嫌
2、イタリアに帰ってきた~
3、こんな迷う町は世界に他にない

次回は、その46 宝石のように美しいけど悲しいヴェネツィア話です。


マガジンはこちらから↓


いいなと思ったら応援しよう!

けんいち【kindle作家】 娘が留学をすることになり、何か僕も父として背中を見せて、一人でもがんばって負けないように生きていけるように挑戦を始めました。娘との思い出もここに沢山残そうと思い記事を書いています。少しでも応援してもらえたらウレシイです。いただいたチップは活動費に使わせていただきます。

この記事が参加している募集