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1人TOUR DE EURO97 その3 宿がなくピンチ!

1997年の夏。
24歳の僕は、たった一人でヨーロッパを90日間かけて一周する旅に出た。

旅の名前は「一人ツール・ド・ユーロ」

フランスには「ツール・ド・フランス」という有名な自転車レースがあり、それにちなんで、人生のレースという意味を込めて名づけました。もちろん僕の旅はレースではない。誰かと競うわけでもないけれど過酷さだけは負けていなかった。

会社に人間関係に疲弊した3年間を過ごし。僕はもう死にたいでも死ぬ勇気はない。最後にせめて世界を見てみたい。そう思って会社を辞めて全財産をバックパッカーに詰め込んで日本を出ました。

たった90日間の旅がその後の人生を確実に変えました。
この旅で、僕はたくさん迷って、たくさん考えることになります。
「自分の人生って」
「自分は何を求めているのか」
「なぜ、こんなにも遠くまで来たのか」

今になって思う。あの頃の自分に伝えたい言葉がある。

世界は、広いようで意外と狭い。
これは、24歳の僕が見た世界の記録。

旅のルートを知りたい方はこちらです。


3)7月17日-パリ(フランス)

朝6時に起床。体が痛いくて目が覚める。
2日間でかなり歩いたので筋肉痛だった。

7時15分にワーテルロー駅へ向かう。

ワーテルロー駅からイギリスとフランスを結ぶ夢の列車ユーロスターに乗りこむと列車は海の下のドーバー海峡をトンネルをくぐり3時間でパリに着く。

このドーバー海峡をトンネルでつなぐ構想はナポレオンの夢だったらしい。今ではその夢もかない簡単に列車でいける時代になった。

7:53分出発で39ポンド。
当時の値段で(約8000円)イギリスの通貨ポンドが高いからイギリスは貧乏旅行者には向かない国だった。

当時は1ポンド約204円程度。約日本の倍の感覚。僕は国に入るとコーラーを買いいくら支払うかで金銭感覚をつかんでいた。
コーラーが1ポンドしてたから204円で高くてコーラーすら飲めなかったんです。

コーラー1本買うのに迷ってしまう。それがイギリスでした。

イギリス滞在を増やすと金銭的に厳しいので僕はイギリスを周る事を止めてEC加盟国へ夢の特急ユーロスターに乗り込む。

で、いきなりユーロスターで事件発覚!
おいおい夢の特急なはずでしょ(笑)

実は予約した席がないのだ。座席は全席予約制。
僕の席は5両目の1番。5両目に入るとシートNoが1がなく11からスタートしてる。1番がない。いきなり焦る。

出発時刻3分前になり車掌に「席がない!」と声をかけた。
すると「出発後に空いた席に座れ!」と何とも適当な答え。

とりあえず言われるがままに空席に座る事にした。

30分くらいして車掌が来てチケット検査。急に不安になってきた。思わず席を立ち僕はカフェ車両へ移動してたらカフェにも車掌がきてチケットをチェック。何も言われないので、まあいいんだろうという事でした。

無事にフランスへ渡れそうだ。なんせ1人だから心細い相談する人もいない。冷や汗をかいてから少し落ち着くと電車の中は英語よりフランス語が増えていた。

長いトンネルを抜けフランスの田園風景を進み一気にパリへ。

いよいよフランス 花の都パリへ!
10時53分、パリの北駅にユーロスターは到着。

さあ入国手続き!と思いきや列車を降り人の並にそって歩くとそのまま改札もなく駅の外へ出てしまった。あれ?入国手続きは?改札は?パスポートにフランスの入国印はと思いながら、もう僕は駅の外に立っている。

そんなに簡単に入国できるの?とビックリ。国境を越えた感覚が全くない。これがヨーロッパなの(笑)。そういえばユーロスターに乗る前にパスポートチェックはしていたし、それでOKだったんだろう。

さあホテル探しだ!
本を見てYHの場所を確認。地下鉄を見て最寄り駅を探す。全くどこかも分からない土地だから駅の名前だけを頼りに一駅ずつ片っ端から探していく。

駅名を見つけ地下鉄に乗り込んだ。何件かYHがあるみたいだ。観光に便利なノートルダム寺院に近いYHを選択して向かった。スマホもないから地図と方向感覚だけを頼りにYHに到着し、受付にいくと受付時間は3時以降らしい。まだ時間が早いので荷物だけ預け近くを観光へ。ノートルダム寺院を目指して歩いた。YHからは歩いて15分程度の場所だった。

ノートルダム寺院は何度もテレビや本でも知っている建築だけに興奮した。何といってもゴシック建築の最高峰と呼ばれている。左右の均等や精度の高さが美しい。※2019年4月に火災で一部が燃えている。そのニュースは世界に大きな衝撃を与えたニュースでした。

目の前にあるツーリストショップへ行き日本語のノートルダム解説本を探して軽く立ち読み。これなら無料で簡単な情報を得られる。中に入るとツアー客が沢山きていて日本人観光客も多く次々とツアーがやってくる。僕は北窓(別名バラ窓)と呼ばれるステンドグラスの下で次から次へとくる日本人ツアーに混じり説明を聞いた。これも無料で説明をきけてよかった。さらに深い知識を得れるのでツアー客に混じり説明を聞く事が一番いいと思い今後はこの方法で色々な説明を聞くことになった。 

800年の歴史とナポレオンの王冠式が行われている。神聖な空間で天井まで伸びる大きな柱と大きな空間とステンドグラスの芸術性に驚く。

信仰の深い信者が今日も神に祈りをささげている。
宗教の価値観を改めて考えさせられる空間でもあった。

やはり写真やTVでは伝わらないリアルさ。ここはまさに小さな宇宙だ。時刻により刻々と変わる壁の色、神聖な空気、匂いや温度、パイプオルガンの音色全てを五感で感じる不思議な宗教観念。

観光を終えて3時にホテルへ戻り部屋を確認。すると部屋は満室の為、無いと言われた。「エー!オーマイガ!」と思ったが仕方ないので別のホテル探しへ出発。

重たい荷物を背負い再び地下鉄にのり移動。ようやくみつけたホテルも満室で明日の朝もう一度来て!と言われた。3件目のホテルも満室!
「ヤバイ宿がない。今日は野宿か」

もう一度初めめに来たノートルダム近くのホテルに再び行ってみた。そしたら2日間なら部屋が空いたというので部屋を確保できホッと一安心!

ホテル探しで疲れたけど荷物を置いて早速町へ。もう時間は夜の9時だ。少し周りのデパートを散策しパンを買ってやっとここで腹ごしらえ。宿確保の厳しさを痛感。今日は重たい荷物を持ち歩いたので疲れたので早めに戻り寝ることにした。

ホテルに戻ると日本人と会い少し話しをした。その人も会社を辞めて旅行に来たみたい。人間関係が嫌になり旅をしに来たらしい。

僕だけじゃないんだ、そんな事を思い二人で話をしていた。

自分は日本を逃げるように飛び出してきた。

旅に出るにあたって何人かの人の影響もあった。
若いうちにしか出来ない旅があると教えてくれた人がいた。

それは無茶な貧乏一人旅だと教えてくれた。

話を聞いてて僕も一人でいけるだろうか?から突然「行ってみたい」という気持ちに変わった。それから旅の計画を描き始めた。

その頃は仕事に対する不満や人間関係の悩みも爆発するくらい抱えていた。毎日、24時間仕事の事ばかり考える日々。今でいうブラック企業。でも当時はそれが当たり前で、仕事だから仕方ないという感じだった。

だんだん仕事が嫌になっていった。こんな20代でいいのだろうか?きっと誰もがもがく葛藤かもしれないけど僕は耐え切れず逃げ出したのだ。

何もかも嫌になっていた。仕事も、人間関係も友達も親も地元も……そして日本も。まるで海外逃亡だ。日本を離れたら何かが変わるんじゃないかと信じて飛び出したんじゃなく実際には怖くて情けない僕は誰にも見つからない場所へ逃げてきたんだ。まるで人生を1から出直すように、生まれ変わるかのように知らない土地で知らない人と、過去の情けない自分を知らない場所へいきたくて。

そうじゃなきゃ居場所がなくなり死んでいたかもしれない。そんな勇気はなかったとは思うけど、今思えばあの時の自分に言っていやりたいです。
「若い僕が選んだ道は間違いじゃない」と

海外にいると、そんな人間と多く出会う。自分だけが特別じゃない。日本が嫌で飛び出した日本人は、当たりまえだけど日本では出会わない。だから海外にいくとよく出会うもの。お互いに何かを抱え日本を離れている。だから話もすぐに共感しあえる。YHで出会った人の名前は知らない。でもお互いに明日の旅の無事を祈った。この願いはお互いの人生の無事を願うような気がした。

僕はそんな出会いを、この旅で幾度となくしていくことになる。

この時の教訓は、
1、ヨーロッパ国境感じない
2、ツアーに混ざり日本語観光案内を聞け
3、日本を嫌で飛びだした人は意外と多い

次回は、その4 はパリの凱旋門で誓った決断の話です。


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けんいち【kindle作家】 娘が留学をすることになり、何か僕も父として背中を見せて、一人でもがんばって負けないように生きていけるように挑戦を始めました。娘との思い出もここに沢山残そうと思い記事を書いています。少しでも応援してもらえたらウレシイです。いただいたチップは活動費に使わせていただきます。

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