1人TOUR DE EURO97 その46 宝石のように美しいけど悲しいヴェネツィア
1997年の夏。
24歳の僕は、たった一人でヨーロッパを90日間かけて一周する旅に出た。
旅の名前は「一人ツール・ド・ユーロ」
フランスには「ツール・ド・フランス」という有名な自転車レースがあり、それにちなんで、人生のレースという意味を込めて名づけました。もちろん僕の旅はレースではない。誰かと競うわけでもないけれど過酷さだけは負けていなかった。
会社に人間関係に疲弊した3年間を過ごし。僕はもう死にたいでも死ぬ勇気はない。最後にせめて世界を見てみたい。そう思って会社を辞めて全財産をバックパッカーに詰め込んで日本を出ました。
たった90日間の旅がその後の人生を確実に変えました。
この旅で、僕はたくさん迷って、たくさん考えることになります。
「自分の人生って」
「自分は何を求めているのか」
「なぜ、こんなにも遠くまで来たのか」
今になって思う。あの頃の自分に伝えたい言葉がある。
世界は、広いようで意外と狭い。
これは、24歳の僕が見た世界の記録。
旅のルートを知りたい方はこちらです。
46)1997年8月29日-ヴェネツィア(イタリア)

金曜日。朝7時30分に食堂へ。
オーストリアのYHに比べると物足りない朝食。今日はベッドをチェンジする為、306号室に移動が必要だから荷物も整理しなきゃ。
早速観光するためにジュデッカ島から本島の方へ船で移動してサン・マルコ寺院に向かった。対岸のジュデッカ島からも見えた。
ビザンティン建築を代表する建築の1つ。第1印象はスターウォーズっぽいって思った。モデルになったのな?トルコのイスタンブールのモスクはモデルになっているからイスラム圏の影響を受けた時代があるから似ているかも。
幾度となく改修を受けて今の形になったらしい。それにしても鳩の数は半端じゃないくらい多い。正直じゃまなほど鳩がいる。鳩の糞も多いから綺麗な広場がもったいない。礼拝堂の中も行列が出来ていた。

ツアー客も多く並んで嫌気がしたけど中は抜群に綺麗というか装飾が細かいし金が目立つ。もう少しゆっくりと見たいものだ。11時頃に出て町中を歩いていた。
11時30分頃だったろうか、いきなり空から氷が降ってきた。しかもビー玉より大きい氷だ。すごい音を立てて地面に叩きつけている。みんな慌てて頭を手で覆いながら屋根の下に隠れた。
僕も何個か背中に命中して痛かった。すごい勢いで大きな音で驚いた。生まれて初めて氷を見た。こんなに痛いとは思わなかったし、これは危険だ。地面はあっという間に白くなり30分近く氷は降り続いたので珍しくヴェネツィアの街は氷で埋め尽くされた。
何だか魔法をかけられたように空から無数の氷が落ちてきて攻撃してくるみたいだった。そのおかげで、かなり肌寒くなりTシャツだったので寒い。
今日の夜はYHのホテルで食事をしようと思った。YHで晩御飯を提供するところもあるけど、簡単な料理が多いので避けてきたけど、ここのYHの晩御飯は美味しそうだった。
昼は街中のレストランに入りカルボナーラを注文。また水とパンは不要なので断った。ケチな客だ。しかも一人だし。いらない物をドンドン出してくるから困る。無料ならいいけど、ちゃっかりお金を取られるからな~メニューに載ってる金額で考えているが実際に支払う時は水とパン代が加算され1.5倍くらい値段になる。

昼の2時頃に日本の実家に電話をした。20分くらい会話をした。久しぶりの電話だった。順調に旅していることと日本の家族の状況を少し会話した。
僕は今回、行った全ての都市の絵葉書を日本に送っている。
かなりタイムラグがあり日本に届いているようだ。
今、どこどこの絵ハガキ届いたよ~と言われ、随分前の街のような感覚。
そんな会話しているとテレホンカードもあっという間になくなる。
今考えるとマメな事をしていたと思う。ほぼ2日、3日に1度は絵葉書を送るのだから。まあ、でもそれも旅の楽しみの1つでもあった。自分では撮れない綺麗な写真を探すのも楽しい。
絵葉書を選んで1枚買った。

昨日よりは少しは道に慣れてきたかも。何となくだけど道が分る気もする。ただ、広い道で進めばいいという事ではないからクネクネと細い道を抜けて行くので面白い。きっとどこかに裏道がありそうだし、隠れ家的な場所もありそうだ。
変わった仮面が沢山販売している。年に1度大きな仮面舞踏会のお祭りがあるみたいだ。
次の目的地の列車の時刻を調べに駅に行こう。
僕はボローニャへの行き方を調べた。
少し早めにYHに戻ろうと思い駅前から船に適当に乗り込むけど船は右回り、左回りとありどうやら僕が乗ったのは逆周りらしい。だからYHまで戻るのに1時間以上もかかってしまった。
YHに戻り夕方7時前。料理を注文。1400リラ。パスタと魚のフライ、ジャガイモにパンとデザート。お腹がいっぱいになった。この量なら安い。外で食べると倍の値段はするぞ。

食後はYHの前にたむろしている旅行者のところに行き日本人を探して話をしにいった。昨日とは違うメンバーで、一人はアフリカを旅した事があるとかアフリカではホモに追いかけられて大変だったとかラクダで何日も砂漠を越えてきたとか、ようやくヨーロッパにきて残り10万円でこの先どうしようか?困ってるみたいだ。
他の人は各国で言葉の勉強をしているみただ。イタリア語、フランス語と友達の女の子が日本から来たらしく、今回ガイドとしてヴェネツィアに来たとか、他の人は40歳で毎年夏になると2,3ヶ月くらいかけて旅をしているとか定職はついてなくて日本に戻ればバイトをして夏になると旅をするらしい。
俺もう40だよ~と言っていた。すごい人もいるものだ。
日本に居るときは自分の周りでバックパッカーする人とは出会わない。世界には色んな日本人がいるものだ。日本にいた時は自分が変わり者のような感じだったけど僕なんてまだまともな方だと思った。
社会人なら1週間休みを取れればいい方だ。1週間ならヨーロッパなら行けても2、3都市くらい。一番多いのは大学生で夏休みを利用し3週間前後が多い。それ以上となると僕みたいに仕事を辞めて旅をしている人。
みんな貧乏旅行というキーワードだけが同じ。
学生から見れば僕のように仕事を辞めて90日間も旅をする方が変わってるのかもしれないだろう。複数人で旅をしていいると他の人との触れ合いも少なさそうだ。でも一人旅は寂しいからか意外と日本人をみかけると声をかけてしまう。初めは照れくさかったけど慣れてくると自分から積極的に話かけていた。
対岸にライトが揺れるヴェネツィアの夜の輝きを見ながら その淡い光景がなんだか遠い日本を思い出させる。
運河を挟んで、あちら側は華やかだ。笑い声が聞こえてくるようだ。こちら側は貧乏旅行者が集まり、みんな、人生や旅の話をしている。
心のどこかで、次はあっち側で自分も旅をしてみたい。そんな想いになった。
寂しくなり僕は日本の親や友達を思い出す。
短い旅でも、長い旅でも、日本を離れてしまうと妙に家族を心配するものだ。
旅は素晴らしい出会いの連続だけど、それは孤独で辛いことが多いから素晴らしい出会いを生んでいる。一人旅は9の辛いことに1の素晴らしいことかもしれんない。
本当に素晴らしい街だ。この街に来ることを進めてくれた人に感謝したい。
また誰かに伝えたいと思った。
ヴェネツィアのジュデッカ島のYHから見る夜のヴェネツィアが
最高に切なく綺麗だという事を。
この時の教訓は、
1、サンマルコ寺院にハト多すぎ
2、海に沈む前にこれてこかった街
3、人生を語るには最適な街だった
次回は、その47 不思議と集まるサッカー好き話です。
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娘が留学をすることになり、何か僕も父として背中を見せて、一人でもがんばって負けないように生きていけるように挑戦を始めました。娘との思い出もここに沢山残そうと思い記事を書いています。少しでも応援してもらえたらウレシイです。いただいたチップは活動費に使わせていただきます。