1人TOUR DE EURO97 その41 クラシック音楽に目覚める
1997年の夏。
24歳の僕は、たった一人でヨーロッパを90日間かけて一周する旅に出た。
旅の名前は「一人ツール・ド・ユーロ」
フランスには「ツール・ド・フランス」という有名な自転車レースがあり、それにちなんで、人生のレースという意味を込めて名づけました。もちろん僕の旅はレースではない。誰かと競うわけでもないけれど過酷さだけは負けていなかった。
会社に人間関係に疲弊した3年間を過ごし。僕はもう死にたいでも死ぬ勇気はない。最後にせめて世界を見てみたい。そう思って会社を辞めて全財産をバックパッカーに詰め込んで日本を出ました。
たった90日間の旅がその後の人生を確実に変えました。
この旅で、僕はたくさん迷って、たくさん考えることになります。
「自分の人生って」
「自分は何を求めているのか」
「なぜ、こんなにも遠くまで来たのか」
今になって思う。あの頃の自分に伝えたい言葉がある。
世界は、広いようで意外と狭い。
これは、24歳の僕が見た世界の記録。
旅のルートを知りたい方はこちらです。
41)1997年8月24日-ウィーン(オーストリア)
日曜日。朝9時に起きてチェックアウト。
駅まで40分歩き到着し駅でパンとコーヒー。155huf安い。(約110円)
10時50分出発なので、少しまだ余裕があった。
カフェではイーグルスのホテルカリフォルニアが流れていた。
どこで聞いても良い曲だ。ロスを思い出す。
ヨーロッパの旅の前にアメリカのロスに3ヶ月滞在しNYに行き、ロンドンに入国してヨーロッパの旅がスタート。ロスに滞在時に何度も聞いた歌だ。
予定の列車に乗り車内は広く快適だ。
さぁオーストリアのウィーンを目指す。

国境駅で3回もパスポートチェックを受けた。
これでようやくEC加盟国に戻る事ができる。やはりEC加盟国とそうでない国の旅は違うものだ。2時頃にウィーンの西駅に到着する予定。
ウィーンと言えば音楽しか思いつかないが、少しの間は音楽に触れてみよう。本場のオーケストラも見たいな~とか欲が出てくる。ドレスコードに引っ掛かるかもしれないなぁ。あまりにも汚すぎるから。オーケストラに興味のない人間だけど、ウィーンに近づくと何故か少し興味が出てくる。
駅に到着。方向がよくわからない。
インフォメーションでYHの予約が出来るか聞いたけど無理。売店でMAPを購入(220円くらい)して、ホテルの場所を探す。とりあえず両替だ。ハンガリーのお金2000huf→130S(単位はシリング)になった。1420円→1300円
オーストリアで地下鉄のことをU-Bahn(ユーバーン)というみたい。Uは英語のundergroundの略でBahnはドイツ語で鉄道を意味する。アメリカのNYでは地下鉄はsubway、イギリスではunderground。U-Bahnのインフォメーションに行きホテルの行き方を尋ねていると地図をくれた。
さっき地図を購入したのに。無料でもらえるなら買わなければ良かった。良く考えたら、大抵は地図は無料で手に入るのだ。やはり町が大きいからホテル探しも大変だ。パリやローマを思い出す。歩いて20分ほどだから歩いて行けとアドバイスをもらったのでYHを探しに歩いた。街中はとても綺麗。本当に映画の中の世界だ。美しい建築に装飾でお洒落だし上品だ。
これが西側なのだ。
YHは意外と簡単に見つかった。大通りではなく少し分りにくい路地だけど迷わず見つけることができた。2泊の予約をした。4時になれば別館の部屋に来てくれと言われたが、今はまだ2時30分です。

ロビーにあるTVでF1のベルギーGPが放送されていた。そうか、ヨーロッパは生放送だ。だから昼間F1を見るのか。日本は日曜日の深夜の録画だから深夜に眠たい目をこすりF1を見る感じだったけど昼間からF1というのも日本人には変な感じ。
でもノーカットでCMも無くみれるヨーロッパの人がうらやましい。まだ当時はノーカットで生のF1は日本では放送されていない時代。
今回の旅の目的の一つはイタリアGPを見に行く事だ。
一応、日程だけは調べている。ただ場所が分らない。
イタリアのどこで開催?F1のサーキット名は地域名が名前になる事が多い。
鈴鹿サーキットもそうだ。ドイツのホッケンハイムとかベルギーはスパフランコルシャン。肝心のイタリアはMONZA(モンッツア)だから地名はMONZAだと思う。ただMONZAってどこだ?また調べよう。
イタリアGPに合わせてMONZAに向かわなければいけない。それも大きなミッションだった。それも踏まえてスケジュールを考える。結局ロビーでF1を見ていた。そのままチェックインをして部屋に案内された。このYHは今までとは比べものにならないくらい綺麗で設備がいい。YHでも国により随分と差がある。
YHは自然史博物館から15分ほどの場所で、その前を通り王宮跡らしき建築を横目で見ながら街に進む。道端で女の子に声をかけられた。コンサートのチケット販売をしている子で今夜のコンサートチケットは要りませんか?と言われ310s(約3100円)というお手ごろ値段とラフな服でもOKとの事で、そのチケットを購入してしまった。
一応、場所を聞き地図で確認。
夜の8時30分からなので遅れないでねと言われた。
まだ時間があるから、もう少し町を散策してから行こう。
何だか緊張する。コンサートを見に行くなんて久しぶりだ。しかも一人だから余計に緊張する。ヨハンやモーツアルトの有名な曲を演奏するらしい。まあ、名前くらいしか知らないから、どんな曲かは分っていない。
なにやら説明はしてくれてるみたいだが理解できていない。とりあえず生演奏という事だけで満足だ。
ケルントナー通りを歩き(歩行者天国みたい)聖シュテファン大寺院を見物してドナウ川沿いに歩き市立公園の中に入りユーベルト像、ヨハン像をみた。少し離れた場所にはベートーベン像だ。途中でピザとジュースで腹ごしらえをしながら歩いていた。それにしても一気に音楽三昧だ。

少し早めにコンサート会場に行かないと不安だから早めに向かった。場所は到着した西駅よりもさらに西側にあるシェーンブルン宮殿のオランジェリーの中らしい。オランジェリーとは、オレンジを栽培する温室のこと。
様々な施設が作られたシェーンブルン宮殿のこの一画で、過去、舞踏会や演奏会が行われてきたみたい。場所にまつわる有名なエピソードに、ここでモーツァルトとサリエリが音楽試合を行ったらしい。 モーツァルトが30才の時、皇帝からオランダの総督のウイーン来訪を祝す音楽の作曲を依頼され、「劇場支配人」というオペラを作りました。そしてその祝宴で、サリエリのオペラとこのオペラが同時に演奏された、というお話。
ドイツとイタリアという2つの国のオペラを演奏して総督をもてなした、ということなんですが、このときモーツァルトは「フィガロの結婚」を作曲中という、音楽家として最も脂がのった時期だったそうです。そういう場所らしい。
建物は長細く白い天井のシャンデリアがとても豪華。コンサートホールとかではないけど宮殿の1室みたいな場所に椅子が沢山並べられている。この夏の時期は本家の有名な人やウィーン音楽楽団とかは海外遠征らしい。どうやら本格的は冬がシーズンらしくクラッシックにもシーズンがあると初めて知った。
だから今はオフシーズンという事で、そのオフシーズンは無名だったり学生だったり、色んな人達が有名な場所でコンサートを開くらしい。
シーズン中はプロやレベルの高い人たちがウィーンに戻るらくチケットも取りにくくなるらしい。毎年の夏、ここでの演奏は有名で多くの旅行者や観光客を楽しませている。無知な僕にしたら本場に来て生で見れるだけで感動だ。会場は満席で立ち見客もいる。僕はかなり後ろの方の席だ。会場が比較的狭いから後ろでも十分見れるし一体感がある。
演奏は1部、2部と分かれていて簡単なパンフレットをもらい見ていた。1部はモーツアルト、2部はヨハン。2時間の演奏で中には知っている曲が何曲かあった。全部知ってるという事ではないがCMやTVで聞いた事があるフレーズって意外と多い。2部のヨハンの最後に演奏していた曲(題名までは分らない)は会場の人も体をリズムに合わせながら強弱も激しく手拍子と一体化して大いに盛り上がっていた。外人とのコンサートは面白い。
ただ静かに聴いているだけじゃなく一緒に盛り上がれる。まさかクラッシックコンサートでこんなに盛り上がるとは思わなかった。もっと硬いイメージだったけど楽しかった。ドレスアップした貴婦人たちもいれば普通の人達、その中に紛れ込んでいる日本人は僕一人みたいだし、少し恥ずかしかったけど面白かった。
ウィーンで生演奏を聴けてよかったし、もっとウィーンにある有名なコンサートホールに行ってみたいとも思った。

ウィーンの町は旧市街はリンクと呼ばれる輪があり(元城壁)とその外の新市街で大きく構成されている。ある程度中心にオペラ座や見所は集中もしている。コンサートは新市街側でYHは旧市街なので少し遠いが歩いて帰った。
行きは地下鉄で来たが帰りは歩いてみた。気分がよかったので歩いた。
でも夜の人通りの少ない道は意外と怖く、リンク外には売春婦らしき女性もチラホラ見え少し危ない感じの場所もあった。何とか数時間かかりホテルに到着。地下鉄で戻ればよかったと思いながら、毎回町をよくあるく。
ある程度土地勘がつくので歩くほうが楽しい。本当に今日1日は音楽に浸かった1日だ。本当にウィーンって音楽の都だ。クラッシックと共に町が動いている。
みんな、音楽を愛しているし、この町で演奏する事が夢なのだろう。やはりここは音楽のクラッシックの聖地なのかもしれない。コンサートチケットを買ってよかった。節約のために、ワザワザ見なくてもいいかな~と思ってたけど見てよかったと思う。
この時の教訓は、
1、西側代表のような綺麗な国
2、F1のサーキット名だけ頼り
3、クラッシックのイメージ変わった
次回は、その42急にモーツアルトを語りだす話です。

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娘が留学をすることになり、何か僕も父として背中を見せて、一人でもがんばって負けないように生きていけるように挑戦を始めました。娘との思い出もここに沢山残そうと思い記事を書いています。少しでも応援してもらえたらウレシイです。いただいたチップは活動費に使わせていただきます。