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エレママ20周年アルバム

どうも。
ケンジゾンビです。

今回はぼくら、エレママことELECTRIC MAMAが、結成20周年で制作したアルバムについて書きます。

この記事、おそらくめっちゃ長くなります。
いろんなことがありすぎて、何から書こうか、どこまで書こうか、探りながら進めていきます。

音楽観・バンド観・このアルバムにどんな気持ちを込めたか、もっといえば死生観、みたいなことが頭の中でぐちゃぐちゃに散らかってますが、整理しながら、感じたことや出来事を時系列で並べていこうかと思います。

シラフです。
下戸なんで、飲んではよくライブハウスの床になってますが、こういうときは飲みません。

落ち着いて、このアルバムが完成するまでのプロセスを書いていきます。

備忘録でもあり、ぼく目線でのドキュメンタリーでもあり、それを通じてこのアルバムを知ってもらいたい記録でもあります。

昔を振り返る、長い長いターンもあると思います。
いろいろありすぎたし、そのくだりも文脈に必要になってくるはずなので。



2024年12月21日。
アルバムを出しました。


このアルバムが大事な理由。
20周年っていうひとつの節目に、ぼくらの今までやってきたことを、きちんと総括するアルバムをつくりたい。
ベストアルバムや編集盤じゃなくて、今のエレママで、昔やってたこと・今やってること・変わらずずっとやってきたこと、これを完全なニューアルバムでまとめたかった。
20周年を迎えた2024年の時点でのエレママでやり遂げたかった。


今のエレママも、周りを見渡しても似たようなことをやってるバンドはおらんけど、結成当初は今と違った編成やったし、音楽的な遍歴も含めて振り返りたい。

できるだけわかりやすく言語化しながら、順を追って書いていきます。



2004年、1月4日にELECTRIC MAMAは結成しました。
前身バンドが2003年末に解散して、「さてどうしようか」と路頭に迷ってた2004年の正月。

音楽の専門学校を卒業してすぐに、その前身バンドの活動を始めて、「これからこのバンドでやっていくぞ」って決意したその年末の出来事やったから、ほんまに落胆した。
いちばん大事なバンドが、結成から8ヶ月で解散した。
やけになって、2004年の元旦からずっとゲームばっかりしてたけど、3日で飽きた。

「やっぱり、すぐバンドやらなあかんな」

新年4日目、2004年1月4日、スタジオに入ることになった。
前身バンドのボーカル、アリサゾンビと。
ここからずっと今まで続いてる。
事実上、この日がELECTRIC MAMAの結成になった。


アリサゾンビとは、専門学校の同級生やった。
ミュージシャン学科。
ぼくはギター科で、アリサゾンビはボーカル科。
アリサゾンビは、当時は元ヤンのファンキーな女子。
ぼくはサブカルかぶれのアングラ兄ちゃんやった。


学校では、アンサンブルの授業で、じゃんけんでメンバーを決めてバンドを組むことがあった。
アリサゾンビとはなかなか一緒にバンドを組む機会はなかったし、なんならまともに喋ったこともほとんどなかったけど、突然アリサゾンビにバンドに誘われた。

「自分、ゆら帝好きやんな?
バンド一緒にやれへん?」

当時ぼくは、ゆらゆら帝国というバンドが好きやった。
ゆらゆら帝国・通称ゆら帝。
アリサゾンビもゆら帝が好きらしい。

断る理由もなかったし、おもしろそうやったからバンドに入ることになった。

このバンドで学校外のイベントにも出たりしたし、路上の弾き語りでおこづかいとか稼いだりもした。

ちなみに、これは前身バンドの前身バンド。
専門学校のメンバーだけでやってる、在学中だけのバンドやった。


今思えば、このバンドは学内でも良い感じの評判のバンドやった。

専門学校は、いろんな学科があった。
音響科もあったし、デザイン科もあった。
卒業式は全部の学科で一緒にやったけど、ミュージシャン学科を代表してぼくらが演奏したりした。

卒業して、そのバンドはあくまで学内のバンドやったけど、活動を継続したいからぼくとアリサゾンビは新たにメンバーを募集した。

ぼくの中学時代の同級生がドラム、アリサゾンビの地元の仲間がベースともう1人のギター、この5人でバンドをやることになった。

これが、前身バンド「The ELECTRIC MAMA」の結成です。



この「The ELECTRIC MAMA」は、ぼくが本格的に始めたはじめてのバンドやった。

このメンバーでずっとやっていくと思ってたし、春に結成したけど夏にはシングルもレコーディングして、レコ発もやった。

そやけど、メンバーみんなが同じ方向を向いてるわけでもなかった。
5人が4人になり、そのうち

「留学する」
「警察官になる」

みたいな理由で、年末にはぼくとアリサゾンビ以外のメンバーは辞めていった。


さて、残された2人でどうする?


2004年1月4日、とりあえず2人でスタジオに入ることにした。

とは言っても、ベースとドラムがおらん。
ギターも弦楽器やからベースは一旦置いといて、ドラムをどうするか。
ぼくはギターを弾くのに両手を使うから、ドラムは叩かれへん。

そこでアリサゾンビが


「そしたらうちがドラム叩きながら歌うわ!」


って言い出した。

とりあえずやってみよう。
多分2時間ぐらいスタジオでセッションしたと思う。
案外、これはこれでいける。
曲になりそうなネタが数曲分あった。
セッションをMDで録音して、帰宅後繰り返し聴きながら曲に仕上げていった。

当時、ホワイトストライプスってバンドがあった。
男性ギターボーカルと女性ドラマーの、ベースレス2ピースバンド。
ブルースやガレージ、ロックンロール系の個性強めなバンド。
今となってはベースレスのバンドも珍しくはなくなったけど、当時はその元祖みたいな存在やった。

ぼくらは、ドラムボーカルとギターのベースレス2ピースバンド。
ぼくらも奇しくもブルースやガレージ、ロックンロール系。
「ホワイトストライプスがおるからいけるよな!」
一風変わった編成やけど、そんな感じでエレママは始まった。


そうそう、バンド名について。

前身バンドは「The ELECTRIC MAMA」。
(読みは ジ・エレクトリックママ)

ぜんぜん違う名前にすることも考えたけど、いくら考えても思いつかんかった。
それと、これは個人的な話やけど

「生きてる間はずっとこのバンドでやっていくぞ」

って思って組んだバンドが「The ELECTRIC MAMA」やったから、名前にも思い入れがあった。

「じゃあ、Theを取ろや!」

それでELECTRIC MAMAになった。


ELECTRIC MAMAは、神戸で初ライブをした。
その頃は、洋楽ではロックンロールやガレージのリバイバルがあったり、その流れがアンダーグラウンドでライブハウスでも盛り上がってたりした。

アリサゾンビの地元が兵庫っていうのもあったり、あとは学生時代の仲間も神戸でよく演ったりもあって、神戸でライブしてみようってことになった。

これからここに書くライブハウスふたつは両方もう無いけど、まず 神戸 Star Club にデモ音源を持っていった。
Star Club は、青春パンクやギターロックのシーンで盛り上がってた気がする。

「こっちのほうが合うと思うで」

と、系列店の 神戸 Back Beat を紹介された。


ロックンロール、ガレージ、パンクや歌謡、アングラまで。
色濃い独特なバンドで盛り上がってた。
ぼくらは「こっちやな」と思った。
ここで毎月ライブをするようになり、店長からいろんなことを教わったり、レコ発をしたり、オーディションを受けることになったりする。

CD-Rでシングルを出したり、夜行バスでツアーに行ったりした。
ライブ後、精算のときにそこそこダメ出しされたり、その後焼き鳥屋で打ち上げをしたり、次のライブの話をされたりした。

ぼくらはとにかく、これは今でもずっとそうやけど、目の前のことを一生懸命やる。
もちろん、その先、さらに先のことも考えなあかんけど、目の前のことがんばられへんかったら、その先はない。

なかなかうまくいかんけど、ちょっとずつ認知はされてきてるような気がしてた。
地道にやるしかない。
この頃の感覚は、今でもいちばん大事やと思ってる。
地に足ついた自力以上に大事なもんはない。
どれだけ牛歩やとしても。

「新しい展開を」って思ってた2006年。
3枚目のCD-Rを出すことになる。
タイトルは「The Wall」。

神戸 Back Beat・大阪は 十三 FANDANGO・東京は 東高円寺 UFO club でレコ発をした。

ぼくらは、このシングルに何かを賭けてた。
多分、何かを賭けるっていう感覚のはじめての体験やったと思う。

「これがうまくいけば何かが変わるかもしれん」

っていう感覚だけはあったし、威勢だけはよかったし、前のめりなパワーだけはあった。
そういう気持ちを知ってか知らずか、神戸 Back Beat の店長が

「オーディション受けへん?」

って言ってきた。

オーディションってどうなんやろ?
とりあえず、店長が持ってた書類を見た。
全国のTOKYO FM系列のラジオ局で開催するオーディションらしい。

よく見ると

「審査委員長 布袋寅泰」

って書いてあった。

HOTEI。

アンダーグラウンドのロックンロールをやってるぼくらからしてみると、それこそすごいメジャーな感じがした。

でも、やるだけやってみよか、ということになり、ぼくらはとにかく応募してみる。

オーディションやけど、いつも通りのライブをする。
めっちゃ原始的なロックンロール。
ぼくらはそれ以上でもそれ以下でもない、そういうのをやり続けた。


なんやかんやで、近畿ブロック代表まで来た。
ここで勝てば、東京の決勝戦まで進める。

勝敗は、ネットの投票で決まる。
もちろん、バンドのそもそもの人気も関係ある。
ぼくらは結成2年半くらい、まだまだ駆け出し。
周りにはファンが多いバンドもいたし、ここから決勝に行くには、かなりがんばらなあかん感じやった。

投票の結果、ぼくらは思いがけず審査員推薦枠で決勝進出が決まった。
票数では敵わんかったかもしれんけど、推薦してもらえたおかげで、グランプリが決まるTOKYO FMホールに行けることになった。

決勝戦当日。
進行はものすごくタイトやった。
普段のライブのセッティングの、半分くらいの時間での転換やった。
慌てながらも慎重にセッティングする。

表情がわかるくらいの距離に、審査委員長の布袋さんは座ってた。
ヒリヒリする緊張感。

ぼくらの番。
2曲演ることになってる。
曲は、「The Wall」と「Baby Don’t Cry」。
どっちも3枚目のCD-Rのシングルに入ってる曲。

1曲目、「The Wall」。
この曲は、エレママなりに、若くて勢いだけは一丁前なぼくらなりに、この2人編成で正統派なロックンロールをするにはどうすればいいか、これを真剣に考えてつくった曲やった。

曲には自信があった。
せやけど、ここでハプニングが起こる。
ギターのシールドが抜けた。

ギターのジャック、足元のエフェクター、それともアンプ側か。
瞬時に判断できんまま、リカバリーまで20秒くらいかかった。
その間、アリサゾンビはギターの音がないまま、ドラムを叩きながら歌った。

「とにかく目の前のことをやりきる」

当たり前やけどそれしかないし、そこで全力出されへんかったらライブじゃない。
それはそれとして、目の前のことで精一杯やったから、ライブ本番が終わるまでの詳細な記憶はあんまりない。
やるべきことはやったし、不器用なりにライブで出し切った。
そのあとどうなるかは審査員が決めるやろし、結果はさておき、ぼくらの決勝戦は終わった。

グランプリの結果は、後日ラジオの生放送中にバンドに直接、布袋さんが電話をして発表することになってた。

優勝とかは、正直よくわからん。
でも、放送時間にアリサゾンビと一緒に、「ひょっとしたら電話かかってくるかもしれん」ていう気持ちでそわそわしてた。


その、ひょっとしたらが起こった。
電話がアリサゾンビの携帯にかかってきた。
びっくりしたし、生放送やし、これから先どうなるんやろっていういろんな気持ちが混ざった感情やった。
そして嬉しかった。


グランプリを獲得すると、EMI Virginからアルバムを1枚リリースできることになってた。
本社は東京。
レコーディングも東京。
ぼくらは大阪に住んでたし、今もずっと大阪に住んでる。

ミーティングやレコーディング、そのスケジュールに合わせた東京のライブ。
2007年、ぼくらは毎月東京に通った。
アルバムにどの曲を収録するか、タイトルはどうするか、そういう話を進めた。


タイトルは「The Wall」。
オーディションで演ったこの曲を軸に、今までCD-Rで出した曲や新曲を収録することになった。
何かを賭けた曲が、ひとつ形になる。
これはすごいことやと思った。


レコーディングとライブとミーティングを繰り返して、東京に通い続けて2007年は終わった。
「The Wall」は、ぼくらがいつも演ってるバージョンと、布袋さんプロデュースの2バージョン収録することになった。
レコーディングの現場、特に布袋さんバージョンはめちゃくちゃ勉強になった。
アイデア・技法、勉強になることしかなかったし、今でも曲づくりの発想で大事な部分になってる。
音に対する向き合いかた。
これはこのときから今のスタンスになり始めた気がする。

2008年2月6日。
EMI Virginから「The Wall」がリリースされた。
雑誌に載せてもらったりもしたし、実家のおばあちゃんは、ロックなんかぜんぜん知らんはずやけど「ええ曲やね」って言ってくれた。

ラジオでヘビーローテーションで流れて、めちゃくちゃ嬉しかった。
テレビにも出た。
自分たちの曲が、遠くまで届いた気がした。

それとは別に、その頃ぼくらは、大人になってからいちばんお金のない時期やった。
レコード会社でぼくらは給料制でもなかったし、事務所に所属してるわけでもなかった。
毎月の東京通いの間、まとまった収入があるわけでもなく、ライブとレコーディングは強行してた。
家賃ももっと安いところに引っ越さんと生きていける状況ではなかった。

2008年春。
エレママは四畳半トイレ共同風呂無しの、築50年のアパートに引越しする。
お世話になってた先輩バンドマンの紹介で、優しくて面倒見のいいおばちゃんが大家さんの木造アパートを2部屋借りた。

このアパート、というか文化住宅を生活の拠点に、あちこちツアーする毎日が始まった。
風呂無しトイレ共同。
最初こそアトラクション感覚で楽しかったけど、2〜3ヶ月で生活のリアルを突きつけられる。


風呂がないから銭湯に行く。
できるだけ毎日行く。
これが意外とお金がかかる。
それに、営業時間を気にせなあかん。
深夜までやってるところは少ない。
ライブの日、打ち上げも銭湯の営業時間を気にしながら参加する。
冬は銭湯から家に帰る途中で湯冷めする。
なかなか過酷やった。

このときの生活を覚えてるから、寝る場所、トイレ、風呂があるだけで「なんてありがたい」って思える。
これは、ぼくとアリサゾンビの共通認識。

さて、ニューアルバム「Rock N Roll Universe」のリリースまで、まだまだ話があるんかいなってお思いの方々。
もう少しお付き合いください。

EMI Virginからの「The Wall」、めちゃくちゃ勉強になる経験やったし、メジャーの世界を垣間見たし、もっとセールスが伸びれば2作目もあったかもしれん。
当時のぼくらは、その頃のぼくらなりに本気で取り組んだし、いろんなところにツアーもした。
「The Wall」の歌詞、サビで「壁をぶち壊せ」って歌ってるけど、ここからさらに壁をぶち壊していかなあかん。
いろいろ考えたし、何より行動していかなあかん。


エレママは、ベースレスの2ピースでバンドを始めて、ブルースやロックンロールをやってきた。
ベースがおらんから、ギターソロを弾くとき音が薄くなる。
そやから、アレンジで工夫するか、もしくはそもそもギターソロを弾かんっていう選択もある。

ぼくはギターソロ弾きたい派やけど、曲をもっと骨格だけで聴かせられへんかなってずっと考えてた。
これは、「The Wall」をレコーディングする前から思ってたことで、「The Wall」はそれが上手くいった曲。

でも、もっと根本的に骨格だけで聴かせたい。
そう思ってる中、パンクに出会う。
ラモーンズ。
これはすごい。
シンプルイズベスト。


「The Wall」の頃は、パンクの有名どころはいろいろ聴いてたし、その影響もかなりあった。
パツパツの革ジャンを着てたのもその影響。

でも、パンクだけでは、何か違う気がしてた。
もっと別な切り口もあるはず。
それが何かわからんかった。

ある日、銭湯に行くと、アパートを紹介してくれた先輩がいた。
体を洗いながら

「何か良い音楽ないでしょうかね?」

って聞いてみた。

すると先輩は

「ポストパンク聴いてみたら?」

って言った。


ポストパンク?
パンクとどう違う?

とにかく調べてみよう。

2004年にバンドを始めた頃より、2008年や2009年ともなると、インターネットはどんどん進歩してた。

このとき、すでにYouTubeはあった。

「Post Punk」

ジャンルの定義は説明しにくい。
でも、どうやら「JOY DIVISION」(ジョイ・ディヴィジョン)っていうバンドが有名らしい。
これをYouTubeで観てみることにした。

なんかすごかった。
陰鬱で、湿度が高くて、低い声のボーカルが唸ってる。
無機質なビートで、カクカクしたリズム感。

大好きな感じって思えるほどではなかったけど、今までにない音楽を聴いたような気がする。
後からじわじわくる中毒性があった。
ぼくは、この感覚がエレママに良い作用がある気がした。


このジョイ・ディヴィジョン、ボーカルのイアン・カーティスは、1980年に自ら命を絶つ。
残されたメンバーは、新しく「NEW ORDER」(ニューオーダー)っていうバンドを結成する。

ジョイ・ディヴィジョンを聴き始めると、自然とニューオーダーに着地する。
これがぼくの、いやエレママのターニングポイントになるとは思ってもなかった。


ジョイ・ディヴィジョンはイギリスのマンチェスターのバンド。
そやから、ニューオーダーもマンチェスターのバンド。
この80年代のマンチェスター、独自のシーンがあった。
マッドチェスターって呼ばれてたそのシーンは、ハシエンダっていうクラブがめちゃくちゃ盛り上がってた。

ジョイ・ディヴィジョンのポストパンク、そのあとの流れのニューオーダーは、ニュー・ウェイヴやテクノをやってる。
ニュー・ウェイヴはポストパンクよりももう少しトーンが明るくて、シンセが鳴ってたりもする。
そしてテクノ。
バンドやのにテクノ。
デジタルのビートが繰り返しバキバキに鳴ってる。


衝撃やった。

ぼくはパンクからここまで辿り着いた。

さらに言えば、元はロックンロールやった。

この感覚をエレママに落とし込みたい。

発想から機材まで、いろいろと試行錯誤していくことになる。


バンドを始めた頃より、テクノロジーは日進月歩で進化してた。
ギターソロ問題に立ち戻って、「ルーパー」という物を使えばギターソロが弾けることがわかった。
ルーパーは、足元の操作で、その場のリアルタイムの演奏を録音・再生できる機材。
今弾いた音を録音して、すぐに再生できる。
これをネットで買って、自分の機材に加えた。


ぼくは、ギターアンプとベースアンプを同時に鳴らして演奏してた。
ベースレス編成の低音を補うために。
そのベースアンプにルーパーを繋いだら、低音だけループできる。
その上でギターソロが弾ける。


これは、ニューオーダーのテクノの話のあとに書くとややこしくなるけど、実は「The Wall」をリリースしてツアーに出る頃にはもうやってた。
そのあとにニューオーダーやテクノに出会ったから、ルーパーの使いかたが実はまだあるんちゃうかなって発想になる。


テクノは、4つ打ちのビートに、ベースラインも繰り返し同じフレーズが鳴ってたりする。

「これを人力でやったらおもしろいんちゃう?」

そういうアイデア。

アリサゾンビが4つ打ちのフレーズを叩く、ぼくがベースラインをループさせる。
この上で歌ったりギターを弾いたりする。
ポストパンク、ニュー・ウェイヴを経由した人力テクノ。
新しい発想が湧いてきた。

新曲をつくって、ツアーをして、新しいアイデアをまとめていく。
「The Wall」から3年経った2011年、エレママ2人が通ってた専門学校のレコーディングスタジオでフルアルバムをレコーディングする。

「Zombie」。

このアルバムは、エレママがパンクからポストパンク、ニュー・ウェイヴから人力テクノへの変遷をそのまま記録したアルバムになった。


もうわかると思う。
読んでくれてる人たち!

ぼくらがなんでロックンロールとエレクトロをやってるのか。

説明するとめちゃくちゃ長くなるし、それでもまだ説明は終わってない。
ここまで書いたからには、書ききらんとあかん使命感すら出てくる。

続けます。

(ちなみに「Zombie」リリースまでに文化住宅から普通のアパートに引っ越すことができました、雨漏りがめちゃくちゃ激しかったからがんばって引越しました)。


この「Zombie」をリリースしてからもライブやツアーを続けて、どんどん新しい曲をつくった。
デジタルへの興味も大きくなってきた。


遊びというか実験というか、手持ちのPCでなんとなく曲の断片をつくったりもしたし、レコーディングスタジオの機材が気になったりもしてた。

とはいえ、バンドは今まで通り人力テクノ。
そやけど、いろいろと思うところがあった。


ルーパーは、ひとつのフレーズに限らず、多重録音できる。
ベースラインだけじゃなく、生で弾いたアンビエントな音も重ねて録音したりした。


アイデアはどんどん広がるけど、頭の中で鳴ってる音を生で再現するハードルがどんどん上がってきた。
ロックンロールから始まったエレママが、気がつけば結成7〜8年でデジタルの音楽にのめり込んでいってた。

この頃ぐらいから、世間的に「EDM」っていう言葉を聞くようになる。
タワレコの視聴機にもEDM特集があったりした。
ニューオーダーからハマっていったテクノ、そこから2010年代にリアルタイムでEDMのブームが始まった。

あとはDTM。
デスクトップミュージックの略。
日進月歩のテクノロジーの産物、パソコンと一丁前の腕さえあれば、流通してる楽曲と同等のクオリティの音がつくれる。
すごい時代になった。

これは、過去にお世話になってたスタジオのレコーディングエンジニアが同い年の人で、よくいろいろと情報を教えてもらってた。

EDMもDTMでつくられる音楽。
バンドのレコーディングも、言ってしまえばDTMの機材でできるし、実際レコーディングスタジオもそう。

これは何か、運命的なものを感じた。

「チャレンジすべきか?」

人力テクノの複雑化は、アリサゾンビにも支障があった。
アリサゾンビは、ドラムを叩きながら歌う。
ルーパーでぼくが録音したフレーズをモニタースピーカーで聴きながら。
そのループのフレーズがどんどん複雑になってる。

ループに合わせてドラムを叩くから、リズムの主導権はループにある。
ドラムはループに合わせる側。
そのループが複雑ならなお難しい。

バンド史上、いちばん思い切った決断をすることになった。

DTMを取り入れて、デジタルのビート、それに歌とギターでやっていくことを決める。



まずはじめに、当時の最新のスペックのMacBook Proを買うことにした。
あとは、DTMのソフト(Cubase)やら、オーディオインターフェース(マイクとか繋ぐ機材)やら、全部で20万くらいした。
必死でお金をかき集めたし、それを買ったところで最初は右も左もわからん。


ひたすら勉強、ひたすらトライアンドエラー。
試し続けて、ちょっとずつ覚えるしかない。

ネットで検索しまくって、DTMに関することは全部独学で覚えた。

それと、いろいろ試すうちに

「これって実はこうできるんちゃうん?」

みたいな、自分の独自の技みたいなのも編み出したりした。


この新体制のエレママ、1年でアルバムをつくった。

「1982」。

このアルバムには、前作「Zombie」に入ってるタイトル曲「Zombie」のリメイクを収録した。

また、EDMのテイストも反映してるし、いろいろと実験的なこともした。



このアルバムから、ぼくらエレママは、自分たちのレーベルを立ち上げた。

「LEFT HORSE RECORDS」


これがぼくらのレーベルの屋号。
ロゴもぼくがつくった。


パンクの精神は忘れてない。

パンクの基本的精神は、DIY。
「Do It Yourself」。

ないものは自分でつくる。


EMIはお世話になったけど、ぼくらがずっとリリースさせてもらえる状況じゃなかったし、母校のレコーディングスタジオも、そのタイミングで運良く使わせてもらえただけ。

自分たちだけでつくった音源を、自分たちのレーベルからリリースする。
流通ももちろん自分たち。
そやから、はじめてタワレコに並んだときめっちゃ嬉しかったし、その気持ちは何枚アルバム出しても変わらん。


誰かが根回ししてプッシュしてくれるでもなく、制作・流通・デザイン・プロモーションまで、全部自分たちでやる。
めちゃくちゃ大変やけど、誰かにやってもらうより何倍も達成感がある。
何もせんかったら、何もないままやから。
これを背負って行こうって決めたのが、2014年。
ずっとやります。



「1982」をリリースしてから、エレママはいろいろと挑戦するも、苦戦することになる。

ぼくが独学ではじめたDTMやけど、それ自体はうまくいってた。
むしろ、このデジタルの音楽にのめり込んで、さらに思い切った決断をする。

「DJセットのみでライブをする」

「主戦場をライブハウスからクラブにシフトする」

めちゃくちゃ思い切った。

ぼくなりの考えでは、一歩踏み込んだデジタルの世界での武者修行のつもりやった。
ギターはぼくにとっては、今思えば体の一部みたいなもんやけど、10年前のぼくは、新しく始めたDTMなりDJなりを1日も早く極めたい気持ちやった。

ギターを置いた。
クラブでの活動を始めた。


いろいろと思うところがあった。

まず、今までライブハウスで共演した仲間は、クラブには見事にいない。
そして、クラブには、ぼくらみたいに曲をつくって生でライブするような演者も、ライブハウスに比べるとはるかに少なかった。

もうひとつ言えば、お客さんもそういう音楽をそこまで求めてないような気がした。
もちろんそれは、場所にもよるし、イベントの内容にもよる。
その要素は大きい。
お客さんのせいにするのはよくない。
でも全体的に、ライブハウスと比べるとそういう感触があった気がする。

DJはたくさんいるけど、ぼくらが思うようなライブをする場所とはちょっとイメージが違った。


それでも、一回決めたことやし、石の上にも三年って言葉がある。
とりあえずやるしかない。

小さいクラブで何回もイベントもやったし、「1982」以降も配信シングルを出し続けた。

石の上にも三年。
2018年、ぼくはDTMもDJも、「やれるな」と思えるくらいにはなった。
そこでまたひとつ、思うことがあった。

「DJやりながらギター弾けるんちゃうかな」

DJはDJで、曲中にも曲間の繋ぎも、やるべきことはたくさんある。
でも、プレイする分にはギターのほうがDJよりもタスクが多い気がした。
多少忙しくても、がんばればギターもDJもやれる。
そして思った。
ぼくはやっぱりギターが弾きたいんやと!


「1982」以降のデジタルなダンスミュージック路線、ここでギターを弾きまくってみよう。

ロックンロール→パンク→ポストパンク→ニュー・ウェイヴ→テクノ→EDM→そして、ここであらためてロックンロール。

エレクトロとロックの融合。
一周回って戻ってきた、ここでぼくらはまた新しい音楽ができる。
PCを開いてDJをしながらギターを弾く。
模索しながら、新しいスタイルができた。


ライブハウスに帰ってきた。
ギターとDJの二刀流になって。
エレママが3年間、ギターを置いてDJセットのみでライブしてたのを知るバンドマンは、ぼくに

「今まで何してたんすか?」

って言った。

「ほんまやな」

ほんまにそう思った。


それからぼくらは、またライブハウスでイベントに呼ばれたりツアーに出たり、今のスタイルのエレママとして活動する。

2018年。
「1982」以降の配信シングルと新曲を合わせたアルバム「Electricity」をリリース。
ここには、ベースレス2ピース時代の曲のリメイク「普通じゃない」が収録されてる。

さらに2019年。
全曲新曲、当時いちばんエネルギーと予算を使ったアルバム「Moment」をリリースする。
ほんで、このアルバム以降、リリースの度に時間・エネルギー・予算が毎回過去最高に費やすことになる。

命かけてるって言える。
評価もお金も、後から付いてくる。
ここで手を抜いたら音楽家失格やし、それなりの音とそれなりの曲やったら誰でもつくれる。
自分たちにしかつくられへん音楽を、限界まで追い込んでつくろう。

そう思ったのが、「Moment」出したときやった。



2020年。
世の中が、ご時世的に混乱してくる。
「Moment」のリリースツアー中から、世間ではライブもできる雰囲気じゃなくなってきた。

そんな中でもライブをやれる場所はあったし、小さなことにありがたみを感じれるようになったし、何よりライブの本数が気づけばぐんぐん増えてた。

仲間も増えたし、ファンも、その熱量も、混乱した世の中に反してありがたいことに増えていった。


2020年から2022年。
ずっとライブか制作やった。
アルバムリリース、本気で締切に間に合うか間に合わんかの瀬戸際やった。
制作期間の延長に次ぐ延長、予算も底を尽きて、レーベルもギリギリ、ぼくの生活もギリギリ、1斤¥100の食パンを食べながらツアーもした。

2022年リリース。
ほんまに命かけたアルバム。

「Dystopia Parade」。

このことについては、前の記事に詳しく書いてます。
これも長文です。
お時間ある方、どうぞ。


さて、20年を振り返りながらニューアルバムについて書くのも、そこそこ無理があるのは承知の上で、ここからがやっと本題です。

やっとここまで来た!



2024年1月4日。
はじめてアリサゾンビとケンジゾンビが2人でスタジオに入った日から、ちょうど20年。

この日、ELECTRIC MAMAは20周年を迎えた。

「Dystopia Parade」リリース以降は特に、ライブ三昧・制作三昧でやらせてもらってる。
「パンクの基本精神はDIY」って言ったけど、最近はTシャツも自分で刷るようになって、ますますDIY。


ライブと制作をしながら、前々から決めてた20周年のアルバムについて考える。

ベスト盤の案もあったし、何回も話し合ったけど、今のエレママを聴いてほしいということになった。
そのかわり、新しいアルバムで今までの20年間を網羅するような、幅広くてポップで、何よりロックンロールを感じるアルバムにしたかった。


音楽に正解はない。
そやけど、強いて言うなら、自分たちが本当にやりたいことをやって、なおかつそれをファンのみんなに楽しんでもらえる内容じゃないとあかん。
ちゃんと体重を乗っけた音楽で、20年間のエレママを表現せなあかん。

アルバムは、すでにリリースしてる配信シングル4曲、プラス6曲で計10曲を予定してる。
毎回エレママは、アルバムは10曲入りがいつものお決まりになってる。


毎回、曲をつくると、ネタのストックがゼロになる。
というか、何もないところから始まる。
悩みに悩んで、降ってきた小さいアイデアを膨らまして、絞り出してつくる。
リリースの日程を先に決めて、そこに向かってもがきながら、ちょっとずつ進めていく。

何もできんまま終わる日もある。
思いついたことを、後日丸々ボツにすることもある。
大変やけど、制作はそういうもん。
そう思わなやっていかれへん。


夏あたりから、ちょっとずつは曲の断片は複数用意してきた。
もっとペースを上げて、確実に仕上げたい。


「アルバムの中心になる曲を早よつくらな」


気持ちばっかり先走って、何も思いつかん。

その間もツアーに行き続ける。


ある日思った。

迷ったときこそ、原点に戻るべきや。
ぼくらは、前身バンドの残党で、2人だけでスタジオに入った日からずっと続けてきた。
そのとき鳴らしてた、めちゃくちゃ原始的なロックンロールを、今またやるべきや。

そこからいろいろと、連想ゲームみたいにアイデアが浮かんできた。


ぼくは何よりもロックンロールが好きやった。



例えば、ローリング・ストーンズ。
ジャンピン・ジャック・フラッシュ。
この曲は、エレキギターに聴こえる音は、実は全部アコギらしい。
歪んだアコギの音がエレキに聴こえる。

例えば、ザ・ブルーハーツ。
TRAIN-TRAIN。
「ブルースは加速していく」


アコギで弾いたブルースっぽいフレーズを、加速させて歪ませた。
ロックンロールは、そもそもブルースから派生してできたし、なんなら加速してる。
じゃあ、これはもうロックンロールや。

いっそのこと、めっちゃ加速させよう。
今あるエレママの曲の中で、いちばんBPMが速い曲になった。

そこに、ぼくらがよく曲のテーマにする宇宙が現れる。
宇宙っぽい、でもあえてチープなシンセが鳴る。
ロックンロールはかっこいいおもちゃやと思ってるから、これぐらいがちょうど良い。
アリサゾンビの歌詞とメロディが乗る。
ちゃんと感情が乗っかった、パワフルで優しい歌。
アリサゾンビ節、聴けば一発でわかるやつ。
最後に、ぼくがエレキギターを重ねて録った。
ギターソロは、ガツガツ弾いてヒステリックなテイクを採用した。



「Rock N Roll Universe」



これしかない。
アルバムのメインテーマになる曲が完成した。


嬉しかった。
とにかく嬉しかった。


ぼくらが無意識のうちにあっちこっちに置いてきた、点在する何かが線で繋がった。

20年前のエレママ。
10年前のエレママ。
そして、今のエレママ。
みんなおつかれさん。
みんなありがとう。


ーさて、これで終わりではない。

全然終わりではない。


あと5曲。


12/21、アリサゾンビの誕生日にアルバムはリリースされる。
この日は、大阪 北堀江 club vijonでレコ発ワンマンがある。

この時点ですでに11/17、CDプレス業者さんへのマスター音源入稿の締切は11/25。
あと1週間ちょっとしかない。


前作「Dystopia Parade」のときも、相当ピンチやった。
生きてる心地がせんかった。
でも、今回はさらにピンチかもしれん。
毎回、新作・新曲は「前回を超える」をモットーに制作してる。
そういう気概じゃないと、良い曲はつくられへん。
そやけど、ピンチまでしっかり更新するのがケンジゾンビらしい。
とにかく、間に合わせるしかない。


録りかけの曲・8小節ぐらいだけある曲・まだ存在しない曲、合わせてあと5曲。
これを仕上げる。
1週間、もう家から一歩も出んくてもいいように、食料とタバコを大量に買いに行く。
レトルトカレー、インスタントラーメン、スナック菓子、チョコレート。
大きな袋をパンパンにして帰ってきた。
ここからが、最後の戦い。


長い間寝ずに作業もしたし、出来上がった曲から随時ボーカル録りできるようにアリサゾンビにスタンバイしてもらってた。
曲が完パケじゃなくとも、まずボーカルを録れるように。
そのあとで個人的な作業は追い込めばいい。


毎日がそんな風に時間が過ぎた。
ボーカル録りも全部終わって、ギター録りやミックス・マスタリングもしながら、アートワークも仕上げていく。



この時期、世間ではブラックフライデーなるものがある。
通販サイトではどこもセールをやってる。
配送業者さんは、物量が増えてパンク状態やから、何か荷物を発送したとしても、日付を指定できん状態になってる。

つまり、マスター音源を最速で発送しても、締切に到着するとは限らん。

これは、前作「Dystopia Parade」のときもそうやった。
それで、夜行バスに乗って、東京のプレス業者さんに直接マスター音源を持って行った。


ーさすがに学習しました。
今回も、そのつもりです。


作業の休憩中に、ネットで行きと帰りのバスを手配した。
あとは、音源を完成させるのみ。



11/24。
この日は、夜行バスに乗って東京に向かう日。
まだちょっと仕上がってない部分をいじったり、微調整したりしてた。
アルバム、ほぼ完成ではある。

でも、問題があった。
1曲だけ、ギターをまったく録ってない。
もう日が暮れた。
今から録っても、ミックスとマスタリングがある。

やるしかない。



時計を見ながら、ギター録りとミックス・マスタリングを進める。
家を出る時間まで、あと1時間。
画面を睨みながら、手が震えながら作業終了。

滑り込みで完成した音源を、WAVで書き出す。

アルバム「Rock N Roll Universe」が完成した。


やっと完成、ついに完成。
あとは、収録順に曲を並べて、マスター音源のCDを焼くのみ。


ーここでさらに問題発生。
CDを焼く用に使ってるPCがなかなか年代物で、書き込みエラーが起きる。

焼き終えたCDが、再生できん。
何枚焼いても再生できん。


「こればっかりはどうしようもない」


家を出るまで、あと30分。
文字通り、祈るしかなかった。
ほんまにそうするしかなかった。

「いつもありがとう」
「今回もよろしくお願いします」

心の中でそう言いながら、ひたすらPCを撫でながら祈った。


家を出るまで、あと15分。
奇跡が起こった。
焼けた。
CDが焼けた。
ちゃんと再生できる!


今度こそ、ほんまのほんまに完成。
「Rock N Roll Universe」
エレママ20周年アルバムが完成した。



まだ仕事が残ってた。
風呂に入ってなかった。

大慌てでシャワーを浴びて、髪の毛びしょびしょのまま、マスター音源が入ったメッセンジャーバッグだけ持って家を飛び出した。


大阪駅。
夜行バスに乗る。
どれだけ寝ても寝過ごさないように、目的地東京駅が終点の便に乗った。


ヘトヘトやし、結構寝た気がする。
起きても、まだ東京駅には着いてない。
渋滞で大幅に遅れてるらしい。
1時間遅れで東京駅に着いた。


11/25。
東京は、思ったほど寒くなかった。
2年前はめっちゃ寒くて、立ち食いそばを食べた。
そのときは、プレス業者さんの最寄駅「五反野」を「五反田」と勘違いして、五反田駅の立ち食いそば屋で食べた。
食べ終わるまで気づかんかった。

もう間違えへん!

今回は一発で五反野駅に着いた。


移動中、ずっとアルバムを聴いてた。
夜行バスでも電車でも、ずっとリピートした。
五反野駅のホームに降りて、改札を出るとき、ちょうど「Rock N Roll Universe」が終わった。

「アニメのオープニングみたいやな」

って思った。


プレス業者さん、もう10年お世話になってる。
いつもギリギリで申し訳ない。
納期のことで、締切が迫ると何回も電話させてもらうけど、10年前のことも覚えてくれてて、照れ臭さと申し訳なさが同時にくる。
毎回ほんまにありがとうございます。
仕上がりがきれいで早くて、助かってます。


あんなにもバタバタしてたのに、五反野に来ると、今回もめちゃくちゃ穏やかにミッションが終了した。

もう重要ミッションは終わったけど、夜のバスしか予約が空いてなかったから、ひたすら散歩することにした。

五反野の松屋で朝ごはんを食べて、東京駅に戻ってから、歩けるだけ歩いた。
アルバムをずっとリピートしながら、途中でコーヒーを飲んだりしながら、夜になるまで歩いた。


11/26。
帰宅。
最高のアルバムが完成した。
無事入稿も終えた。
間に合った。
一旦おやすみなさい。


それからは、流通業者さんとのやりとり。
予約やったり、どの店舗でどんな風に展開していただけるかやったり、メールも電話も頻繁になる。

あとは、配信業者さんへの入稿。
サブスクも締切に間に合った。

そして何より、レコ発ワンマンの準備。
2時間演るから、リハもめっちゃ演る。

一気に年の瀬、師走を感じてきた。


ここで、アルバムの紹介を。
曲順通りにコメントしていきます。

1.Rock N Roll Universe

エレママ20周年。
ふさわしい曲をつくらなあかんと思った。
ぼくらの全力を込めた、20年目の結晶。
アルバム、何がなんでも最高にせなあかんかったし、この曲のメッセージに自分自身が助けられた。

MVは、毎回お世話になってるメトさん。
このアルバムのMVは全部メトさん。
今回なんと10作目です。
いつも音源渡すのギリギリやのに、今回も最高なMVありがとうございます。


2.Hyper Vega

2023年12月21日リリースの配信シングル。
燃えたぎる曲がつくりたかった。
どの曲についても、歌詞は聴いてくれる人たちの解釈に委ねたいので説明はしませんが、とにかく燃えてる。
「Dystopia Parade」以降、あきらめへん大切さが身に沁みてわかるようになった。
今回もそう、そしてこの曲の根っこもそう。


3.Taxi Driver 2

アルバム「Zombie」収録「Taxi Driver」の続編。
不穏でヒステリックでシニカル。
どの曲も、大なり小なりぼくも歌詞に関わってますが、この曲は結構ぼくの考えたメッセージが入ってます。
タクシードライバーの話なのか、もっと大きなスケールの話なのか。
ギターソロが奇妙で気に入ってます。


4.Space Derringer

2024年9月13日リリースの配信シングル。
毎回レコ発・爆誕祭を演らせてもらってた北堀江 club vijon の店長・松藤さんが、系列で新しくオープンした梅田 BANGBOOっていうライブハウスに異動、店長就任。
「オープン記念にエレママ何かイベントやって」ということで、松藤さんとBANGBOOに捧げた曲。
レコ発はもちろんBANBOOで演りました。
トランペットが斬新。

5.Sky Telepathy

ここ数年のアルバムには、毎回ぼくがボーカルをする曲が1曲入ってます。
歌詞もぼくが書いてます。
以心伝心。
遠くにいる人に、すっと気持ちが届けば。
世の中には、まだまだ科学では説明できんことがたくさんある。

6.Moon Diamond

新曲。
人・物・出来事、輝くこともあれば、輝きかたもいろいろある。
輝きが失われることもある。
そういう輝きかたもある。
世の中に永遠はない。
ないからこそ美しい気がする。


7.Astro Dancer

煌めいてる。
とにかく煌めいてる。
生きる肯定。
「音楽って良いな」って、ぼく自身がしみじみ感じた曲。
音楽も人生も答えはないけど、肯定は大事。
めっちゃ煌めいてる。


8.Baby Don’t Cry

布袋さんにプロデュースしていただいたアルバム「The Wall」収録曲の再録。
オーディションの2曲目に演奏した曲。
この曲を聴くと、昔を思い出すのと同時に、もっと音楽に生きようって思う。
いびつで不器用で音楽ばっかりやったけど、まだまだやれるし、そうすればいいと思う。
東京でイヤホンで聴きながら歩いてたら、泣きそうになった。


9.Starship Blues

宇宙を旅してる感覚。
宇宙じゃなくてもいい。
生きること自体が旅やと思う。
真理とか、見つからんかもしれん。
そういうのを探すこと自体が尊いし、意外と近くにあるもんかもしれん。
旅。


10.Black Hole Love

でっかい。
強い。
エネルギーを感じる。
こんな曲がつくれてよかった。
この曲で締めくくるこのアルバム。
美しいと思う。
ここからまた始まる感覚。
まさに輪廻。

アルバム「Rock N Roll Universe」
ケンジゾンビのコメントでした。


12/20。
レコ発ワンマン前日。
ニューアルバム「Rock N Roll Universe」のフラゲ日。
大阪のCDショップをご挨拶回りしてきました。


タワレコ梅田NU茶屋町様


ディスクユニオン大阪店様


タワレコなんばパークス店様


自分たちで制作も流通もやってるアルバムが、CDショップに並ぶとほんまに嬉しい。
これはしみじみ喜びが湧いてくる。
「発売したんやな」って実感する瞬間です。


ウェブニュースにも取り上げていただきました。

Yahoo!ニュース様

CDジャーナル様

Rooftop様


ほんまにありがたい。
事務所もマネージャーもない、完全セルフでレーベルやってるぼくらには、救世主のような存在。
ありがとうございます。


ご挨拶回りのあとは、次の日のワンマンのために、最終のリハをした。
泣いても笑っても、もうワンマン。
しっかりやらな。



12/21。
レコ発ワンマン当日。
あとは演るだけ。

2時間あっという間でした。
たくさん駆けつけてくれて、ほんまにありがとう。
アルバムつくって、ワンマン演って、ほんまによかった。

Photo by isasaka
Photo by isasaka

北堀江 club vijon、ソールドアウトでした。
ほんまにありがとうございます。


2024年、20周年の年はこれで終わりではなく、山口と福岡に早速ツアーで行った。
また帰って来れる街があるのは、嬉しいかぎり。
ありがとう。
この2本で2024年を締めくくりました。



2025年。
1/4。
エレママは21周年を迎えた。
去年出したばっかりの、ぼくらの全体重を乗っけたアルバムを、できるだく多くの人たちに届けるのがこれからの仕事。
各地を訪れます。
東京でもワンマンがある。
でもその前に、東京には用があった。


1/12。
東京にCDショップのご挨拶回りに来ました。
レコ発ワンマン東京編は1/25やから、まだ2週間近く先。
できるだけ早く来たかったんです。

タワレコ渋谷店様

ディスクユニオン ROCK in TOKYO様

タワレコ新宿店様

タワレコ池袋店様


ただただ嬉しい。
自宅でPCと向かい合いながらつくったアルバムが、CDショップに並ぶ。
ロマンがあるし、何より、「買ったよ」って報告してくれる人たちがおる。

ほんまにありがとう。
つくってよかった。


1/25にワンマンする渋谷ラママの石塚さん、3/15に新宿御苑 MERRY-GO-ROUNDで対バンするVERONICA VERONICOの勝さんにも会いに行きました。

石塚さん

勝さん

ぼくらに関わってくださる人たちに感謝。

あとは、レコ発ワンマン東京編。


1/25。
渋谷ラママ。
ワンマン東京編。

みんな来てくれてありがとう。
関西からも大勢来てくれて感動。
ワンマンは、当日を迎えるまでの緊張感がすごい。
始まってしまえば、2時間は走り抜けるように終わった。

やってよかった。
ほんまにありがとう。

Photo by isasaka
Photo by isasaka


ダブルアンコールもありがとう。
ほんまに嬉しい。
普段は日付けが変わる頃には閉まるラママが、バースペースを朝まで開けてくれてて嬉しかった。


20周年のアルバムが完成して、無事リリースできて、レコ発ワンマンは大阪も東京も、おかげさまでほんまに最高な日になった。

制作も流通も、全部自分たちでやってるって言ったけど、ほんまの意味では自分たちだけではないです。

関わってくれる人たち、協力してくれる人たち、ぼくらを応援してくれる人たち、フロアで楽しんでくれる人たち、ぼくらの音楽を良いって言ってくれる人たち。
仲間のバンドマン、お世話になってるライブハウス、家族、そしてアリサゾンビ。
みんなのおかげです。


エレママを信じてる。
あきらめずに、どれだけピンチな状況でもやり抜けば、なんとかなる。
やるしかないし、やり続ける。
今回も、小さな奇跡がいっぱい起こった。
あきらめんかったから、最後になんとかなった。


めっちゃ目まぐるしく毎日が過ぎるから、今までのことをここに書き残すのが遅くなってしもた。
リリースがゴールじゃなくて、このアルバムを広めるためにツアーをするから、ここからがスタート。
ライブハウスで会えたら嬉しいです。

みんなほんまにありがとう。

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