命の色が変わる時
プロフィール 福岡県田川市に生まれる。二十歳のとき、父が大事故に遭い、「日常は一瞬で崩れる」という現実を知る。介護の現場に身を置き、二十五歳で利用者の死に立ち会った瞬間、命の重さと儚さが胸に刻まれた。働きながら資格を重ね、特別養護老人ホームで介護主任を務める。現在は地域密着型通所介護の管理者として、日々人と向き合う。小さな違和感や表情の陰りーその気付きが、時に命を救うことがある。その信念を物語に託し、日常の中に潜む救いの瞬間を描き続けている。
気付きの向こう側
第一話 「笑顔の奥」
午前十時。デイルームの空気は、コーヒーとおしゃべりの匂いで満ちていた。健は、配膳台の向こうから笑い声を聞き取る。声の主は、田中さんだった。
「おはようございます、田中さん。今日はずいぶんご機嫌ですね。」
「ええ、もう元気いっぱいよ!」
そう言って、田中さんは満面の笑みを浮かべた。
しかし、その笑顔は少しだけ硬い。頬の筋肉が引きつり、目尻のしわが深く刻まれている。
「いやぁ、田中さん、元気で良かった!」
横から新人職員の美香が明るく声をかける。
健はその言葉に頷き、「そうですね、元気そうで何よりです」と返した。
……けれど。
カップをテーブルに置く仕草が、わずかにぎこちない。右手の指先が、小さく震えていた。
健は新人の方を向き、柔らかく声をかける。
「美香さん、今日の田中さん、いつもより笑顔が多いですね」
「はい!だから安心しました」
「そうかもしれません。ただ……もしかしたら、少し無理をしているのかもしれません」
午後、健は田中さんに声をかけ、静かな談話室へ誘った。
「今日は、ずいぶん賑やかにされていましたね」
「ええ、皆さんに元気なところを見せたくて……」
そこで言葉が途切れ、視線がテーブルに落ちた。
ぽつりと漏れた声は、小さく震えていた。
「実は、朝から右手のしびれがひどくて……」
健の胸がざわめく。
「すぐに看護師を呼びますね」
脳梗塞の可能性があるーそう直感した。
その日のうちに救急搬送された田中さんは、幸い早期の治療で後遺症も軽く済んだ。
翌週、施設に戻ってきた田中さんが、笑顔で言った。
「健さん、あの時気付いてくれてありがとう」
健は首を振った。
「いえ、笑顔のおかげです。あの笑顔の奥に、声にならないSOSが見えました」
笑顔もまた、救いを求めるサインになる。
健はその日も、デイルームのざわめきに耳を澄ませていた。
