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【自分が嫌いな人は、「妻の声」よりまず「自分の声」を聴け】というお話

妻の「地雷」パトロールから始まった育児準備
まもなく子供を迎えるパパさん、今どんな気持ちでいますか?「その日」に向けて、どんな準備をしていますか?自分が娘を迎える頃、ある行動に駆られていました。それは、世の中の子育て母親たちが何に怒りを感じたり悲しんでいるのかを知っておこうと考え、SNS等で情報収集に勤しむというものでした。

SNSや検索で引っ掛かってきた記事などをみまわすと、世の中の夫たちは、実に様々な事で妻の反感を買っていることが分かります。子供が産まれたばかりにも関わらず大勢の同僚を家に呼んでお祝いと称した飲み会をするというものや、夜夫だけ一人スヤスヤ眠ってるといった「あるある」から、夫のちょっとした言葉尻から不快に思ってしまったというものまで、実に多岐に渡ります。家事育児の最前線に居ない時(仕事の行き帰り・休憩中など)は、ひたすらXで「旦那への愚痴」パトロール。Googleで「旦那 ムカつく」等で検索、引っ掛かってきた記事をひたすら叩き込んでいました。

これらの情報収集にはメリットもありました。予備知識として知っておく事で問題を未然に防ぐだけでなく、辛いポイント・そこに至るまでの背景を知識として持っておくだけで、妻への共感につながります。
しかし、これを本当に上手く使える人には条件があります。
⚫︎きちんと自己受容出来ている事
⚫︎完璧主義を手放せている事
⚫︎自他の境界線をきちんと引けている事

これらが備わっていないと、せっかくの志も意味をなさなくなります。

かつての自分が陥ってしまったようにー

「妻を笑顔にできない自分なんて」— 完璧主義と白黒思考が招いた心の闇
子供が産まれたばかりの頃の自分は
⚫︎とにかく、妻から怒られるような真似はしたくない(ただでさえ怒られることが自分の存在や人格を否定されている風にとってしまう傾向があったため)
⚫︎SNSや検索に引っ掛かってきた人たちの同じ轍は踏みたくない
⚫︎反面教師の結果、妻にとって有益な夫であり続けなければならない。罵られるようでは意味がない
これらの感情を燃料にして生きていました。

極端な白黒思考と高いプライドを持ち、自己肯定感は地を這うようなもの、そしてそれを自己有用感で繕おうとしていたのです。
今思えばですが、知識武装と同時に「オレはこんな事で怒られてる奴よりはマシ」といった、驕り混じりの「安心材料」を手に入れたかったという目的も何処かにあったのかもしれません。

結果、全ては裏目に。妻の怒りや悲しみを目の当たりにした時に、それを「全て自分のせいだ」「妻を笑顔に出来ない自分なんて生きてる意味がない」と過剰に受け止めてしまい、自己否定が止まりませんでした。
例えば、妻に少しでも笑顔になって欲しくて行動した結果、
「私のためを思うとかどうでもいいから、子供を最優先で考えて!」と、ピシャリと突き返された時などは、
「自分自身の人格ごと否定された…妻に優しさを向けるのは間違っているのか?自分は要らない存在なのか?」という感情が湧き上がり、無力感と恥ずかしさをはじめとする様々な夫の感情が押し寄せてきたものです。

「妻の役に立ちたい」という願いはガラスのプライドごと木っ端微塵に打ち砕かれたのです。そうして、長い鬱状態のトンネルに入りました。

トンネルを抜けて、自分の声を聴く旅へ
その後、カウンセリングを定期的に受けたり、心理学を学んで知識を血肉にするなど、自分自身の立て直しを継続しています。その甲斐あって、鬱状態からは脱却。マイナス思考に押しつぶされる事も殆ど無くなり、過去の思考は少しずつですが改善されてきています。
立て直すにあたってこれまでの人生の棚卸しして、それらマイナス要素が生まれる源流となった幼少期を特に深掘りした事により自分を俯瞰して見られるようになった(「メタ認知」といいます)事が一番大きく、マイナス要素を徐々に手放す原動力となっています。
例えば、妻から何か苦言を言われたとしても、「ああ、自分が今悲しいのは、子供の頃に叱責され続けたアレルギーで過剰反応を起こしているんだな。」と冷静に俯瞰できる自分を手に入れられます。言われた時のショックをないことにするのはすぐには難しいですが、少なくとも感情に飲まれる事は格段に減ります。
もし、かつての自分のような性質を持った人が、こういった感情パターン学習を効果的に行うためには、まずは【自分と向き合う】というプロセスが不可欠だと考えます。
⚫︎自分をきちんと受容出来ている
⚫︎完璧主義を手放せている
⚫︎自他の境界線がきちんと引けている
といった前提のもとで取り組むと効果的だったんだなと、今にして思います。

誰かの期待に応えられなくてもいい。失敗しても良い。例え上手くいかない事があっても、自分自身の価値は1ミリも変わらない、という事を認識出来たらよかったなと思います。
「『やれない・出来ない』は甘え。妻の為に粉骨砕身」ではなく
精一杯やるけど、自分の出来る事には限度があって、全ての要求に応えなくても良い。時には「それは難しいけど、ここまでなら出来るよ」と言える勇気を持てたら素晴らしい事です。

産後を超えて、その先へー自分と向き合い旅に出る
ここまで読んで貰えた方の中に、同じように「完璧な夫・父親でありたい」と考える傍らで、自分自身の心を置き去りにしていたな、と感じた経験がある方はいるでしょうか?
【妻の声を聴いて家族を幸せにする】作業は、とても尊く意味のある事です。
しかし、「自分も完璧主義な所あるな」「0か100かで考えがち」「自己肯定感、低いな。自分の事もなんか嫌いだな」という人は、それ以前に、早い段階で【自分の声を聴いて、自分も幸せになっていく】ために、今一度自分自身と向き合ってみてはいかがでしょう?カウンセリングのお世話になる・心理学に触れる・何でも話せる関係性の人が身近にいれば相談するのも良いでしょう。それらは産後を超えて、親として・一人の人間として、あなたが困難に直面した時後々までその知識・知見がきっと大きな支えとなって貴方の味方になってくれるでしょう。
一歩ずつ、亀の歩みのようなもので構いません。その一歩は、確実にその後紡がれる家族の旅路を豊かにしてくれます。
何より自分自身が「踏み出して良かった」、そう心から思います。

良い旅路になりますように!応援しています!

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