公園の「監視の目」、本当は誰を見てるの?〜夫が気づいた「心の余白」が生む家族の幸せ〜
あなたには、公園で遊ぶ子どもを見守る親の姿って、どんな風に見えますか?楽しそうな笑顔?それともどこか緊張した表情や、鋭い視線?
先日、ショッピングモール内の公園で、まるで「怒号」のような親の声が飛び交い、子どもが無邪気に遊ぶことをためらうほどの「圧」を感じました。
使われているのは幼児語なのに、その語気はどこか強く、無機質に響く
ーまるで幼児語だけが独り歩きしているかのようでした。
皆さん休みの日に、人によっては疲れた身体を押して子育てに励んでいると思うし、僕もそういうシチュエーションは多々あります。
しかしふと思う時があります。なぜ、親たちはこれほどまでに気を張り詰めているのか?子どもたちは、そんな中で本当に楽しみを実感出来ているのだろうか?そんな疑問から辿り着いた、僕自身の家族内での関わり方・在り方について考えてみました。
親自身が抱えている、目に見えない「重荷」
僕もそうですが、親たちは決して好き好んで「監視員」に徹しているわけではありませんよね。
では、この強い緊張感は一体どこから来るのでしょうか?
1.「ちゃんとした親であらねば」という呪縛
親たちの「子供に良い遊びや体験をさせてあげたい」と願う背景には、
・人様に迷惑をかけてはいけないという条件
・きちんと躾けている親だと思われたい
という強い潜在意識があるよな、と思います。
一見子どもを見ているようで、実は「名も知らぬ誰か(=世間)」の方を見ているー
過去、僕にも思い当たる節があります。
2.親の自己肯定感の低下
特に子育て中は、親自身の自己肯定感が下がりがちだと痛感します。
完璧主義傾向に加え、慢性的な睡眠不足や疲労の蓄積は、どんな人のメンタルも容赦なく削り取ります。
だから、せめて他者評価は良いものにしたい。「ダメな親」と他者に評価されることだけは避けたい、と過敏にならざるを得ないのかもしれません。
親は常に緊張を強いられ、子どもはその雰囲気から「見えない鎖」を感じて、本来のびのびと楽しむべき「子どもとのひととき」が、どこか窮屈なものになってしまったとしたら…
「良い体験をさせてあげたい」「一緒に仲良く過ごしたい」と願っても本末転倒ですよね…。
夫として僕が気づいたこと
〜妻の「怒号」とその時の僕の葛藤〜
我が家の場合、妻の方がこの傾向ははるかに強いです。
先日も、人混みに出たのですが、つい楽しくて走ってしまった娘に妻は激昂。その時の僕はというと、「一緒に娘を怒るのも違う。さりとて妻を嗜めるのも『否定された!』と感じるだろうな…」と思う所があり、何も口を挟まない選択をしました。
その夜、この状況を振り返り、考えてみました。
僕としては、「核心にある『娘を思う気持ち』は理解できるから、妻を追い詰めたくない。でも、これが続くと子どもにも何らかの影響が否定できないよな…」
と感じていました。「妻を断罪して娘の味方につく」事は全く得策ではないと感じていた為、すぐにその考えを消し去りました。その末路は、夫婦の不仲を招き、それを目の当たりにして生きていく娘に多大なる悪影響を及ぼすからです
(僕自身、幼い頃に両親の不和を経験しているので、子どもに同じ思いをさせたくないという強い思いがあるからです)。
では、どうしようか?
考えて辿り着いたのは、「自分自身に『余白』を作った上で家庭の中に入る」事です。
「余白」を持つことの発見と実践
妻は外に出ると「人様に迷惑をかけてはいけない」というスイッチが強く発動する傾向にあるのは前述の通り。それにプラスして往々にして妻の方が平日接する時間が多い分、イライラの沸点が低くなりがちです。その時に臨機応変にフラットに対応出来るだけの「機嫌の余白」を常に持っておく事が望ましく、そのためにも僕たち夫は、自分で自分を日々満たし続ける必要があるなと考えます。
余白を作るには、とにかく一秒でも長く【自分で自分の人生のハンドルを握れている】状態を作る事が肝だと考えます。
僕は日々長距離通勤をしているのですが、通勤時間はインプット(読書、Voicy)とアウトプット(Voicyへのコメントや、写真のInstagramへの投稿、noteの執筆などなど)をする時間に。
夜勤明けには少し写真を撮ったり、疲れた帰りがけには自分にプチご褒美システムを発動したりしています。
「子育て中のパパなのに子供以外で楽しむなんてけしからん!」「夫のアンタが何でそんなイージーモードなん?妻と一緒に苦しめ!」そんな風に思う人たちもいるかもしれません。
…そう、かつて自分で自分の首を絞めて眉間に皺寄せ目を血走らせながら家庭に入っていた僕みたいに。
でも、そうした所で自分自身に余白が無くなっていったとしたら、それこそ今以上の気持ちの余裕は生まれないと思います。「声色は優しい風だけど目が笑ってないパパ」「疲れ切って心ここに在らずの夫」で家庭に入ったとしたら…
その末路は、想像に難くありませんよね。
それと引き換えに家にいる間は、一秒でも多く妻と娘に対して「質の高い関わり」をしていけば良いんじゃないでしょうか?
質の高い関係性は、必ずしも一緒にいる時間の長さではないと思います。
むしろ、自分自身に余白を創り出す事で
「三方よし」の状態になると痛感しています。
「余白」がもたらす「三方よし」
僕自身は、様々な手法で自己を満たし、「自分で自分のハンドルを握っている」感覚を保つことでストレスを管理し、心身の健康を維持できます。「余白」の源となりえるものですね。
娘にとっては、僕が心に余白を持つことで、娘の行動に対してより寛容に、そして冷静に対応する事で、娘にとっての「安心感」となりえるのかなと考えます。親の機嫌が安定していることは、子どもにとって嬉しいですからね。
そして妻にとってー
僕自身が常に穏やかで、臨機応変に対応できる「余白」を持っている事で、妻の心は多少和らいでくれているかなと日々過ごしていて感じます。直接「余白が大事だよ。時間作るから実践して!」なんて言うより、穏やかな行動で示していく事で妻にポジティブな変化があれば、ガッツポーズものですよね。とてもデリケートな問題ですが、これからも、花に水をやるようにコツコツと積み重ねていきます。
この小さな一歩が、きっと、僕たち夫婦だけでなく、娘の笑顔、そして同じように葛藤するたくさんの親御さんの心にも、穏やかな光を灯すことを願ってやみません。
終わりに
たまたま出掛けた公園の「監視の目」から始まった僕の気づきが、もし同じ葛藤を抱いている方の心の重荷を少しでも軽くできたなら嬉しいです。
親も子も、「どっちも」もっと笑顔でいられる光景、一緒につくっていきませんか?
最後まで読んで頂きありがとうございました。
