親である僕たちは土を耕し続ける民である〜「子育ては農業」を考えてみる
と言っても、「農業はいいですよ、さぁ、あなたもどうです?」といった内容ではありません。それはおろか、我が家は家庭菜園はおろか気まぐれで観葉植物に水と光をやるくらいです💦
最近読んだ本を元に少し考えた事を残そうと思います。
ある考え方がとても琴線に触れたんですけど、
子育てにとってとても大切な考え方だなと痛感したんです。今回はそんなお話です。
子育ては農業と捉えたら楽になれる
先日読んだ本で、妙に腹落ちした概念なんですけど、丁度、楽しみにしていた予定が娘の体調不良で水泡に化した直後だったので、スルッと実感できたんです。
子どもも自然物ですからね、人間の手はある程度以上は及ばないんです。だから、そこはもう自然にお任せする、と。子どもは自然存在なんですから、どういう果実に育つかなんて親にはわからない。とりあえず毎日機嫌よく生きてもらえれば、それでいい。
そうだよなぁ、例え手塩にかけて育てた野菜も一発の台風でダメになる事もあるように、どんなに風邪ひかないように服装に気をかけたり何だりしても風邪をひく。
数十分前にに言っていた内容が見事に覆ったり、
ついさっきまで満面の笑顔だったのに不貞腐れてたりー
子育てで日々起こる、どうにもままならない出来事や時として「理不尽だ…」と思いたくなるようなあれこれも、そういう考え方にシフト出来たなら確かに楽にはなれるよな…。
この考えを手に入れてからの僕は、少しだけ「仏」になれた気がしました。
土を掘れば掘るほど湧く矛盾
⚫︎子どもは謎なんです。ミステリーなんです。謎の存在なので、自分の思い通りになるはずがない。思い通りに育てようとするからつらいんじゃないですか。
⚫︎教育もそうですけども、子どもを工業製品みたいな捉え方をする傾向が強いですね。家が「ファクトリー」で、子どもが「プロダクト」だと。
確かに、今の時代の子育てって、「頭が柔らかいうちに幼児教育をさせよう」「幼稚園から英語ネイティブの環境に身を置かせよう」など、「親=子供の製造責任者」感が強いよなぁとは常日頃感じているので、非常に共感できた。
熾烈な競争社会に、如何に我が子を「使える人材にして世に出す」か。
理屈は分かる。でも「ハイそうですねじゃあ僕も」と二つ返事は出来かねる。
だから響いたのかなと感じます。
一方、それと同時に疑問も湧いてきたんです。
とはいえ、大人が「工業」理論の最前線で生きている限り、この考えに全振りするのは不可能では?どうやって折り合いを付けたら良いんだろう?
大人になると、どうしても「工業の理論」(例えば、就業時間・納期等の約束・業績など)からは逃れられない。ましてや当の農業従事者だって「御天道様至上主義」ではないはず。
そうした時に矛盾していないだろうか?
この【農業】の意味を、
「天然物でも加工品でも自分が自分らしく生きていく力を身につける手伝いをする事」と定義してみる。例えば自己肯定感を育てる・自己受容が出来る環境作り・自分や他人の感情を理解する力(EQ)なんかが「農業的」な部分で、「幼児教育」「習い事」といった「工業的な考え方」と対をなすもの。
とはいえ、僕の願う「自己肯定感を上げよう、EQを高めよう」としている事自体が既に「工業的思考」なんだろうか?
突き詰めれば突き詰めるほど矛盾点にぶち当たる。
掘れぼ掘るほど、この畑、
一筋縄ではいかない。
相反するものを同居させたら見えてきた
では、当の農家さんはどのように作物を作っているんだろう?
実情は、最新の気象予測データを使い、ビニールハウスで環境を制御して、一年を通して安定供給をはかっている。
極めて「工業的なプロセス」ですね。
でも、大雨や台風などの自然災害や病気などを前にした時に、「どれだけ手を尽くしても、ダメな時はダメだ」という【諦め】がセットになっている点が、「純然たる工業的プロセス」と決定的に違うところなんだろうと思います。
これって、僕たち親に置き換えると、
⚫︎身体にいいものを食べさせたり、健全な心を育むための働きかけなど、「これ、我が子の為にやった方が良いよね」という事に対して手をかけていく
↓
⚫︎それでも、その期待が裏目に出た時
(例えば病気してしまったり、手をかけた料理を一口も食べなかったり、せっかく入れた習い事が身にならなかったりという、親の意にそぐわないような結果になった時)
「まぁ、そんなもんだよね…。」
「別の生き物だもの、完全にコントロール出来ないよねー」
と、しなやかな気持ちで臨むこと
なのかなと考えました。
僕も気をつけないとつい陥ってしまうんですが、
「この子の自己肯定感を上げるような関わりをしなければ。安全基地として機能しなければ…」
大切な事だけど、これも想いに度がすぎると、「肥料のあげすぎによる弊害」のように悪い方向に作用してしまうんだと思います。
子供にも、当の親自身にも…。
改めて「子育ては農業」の本質とは、
期待を込めて色々手は尽くすけど、出た結果は「そんな時もあるよね」と受け入れられる、親自身の心のしなやかさ
「転ばせない為に何をさせるか」より、「何を選んでその先どうなっても応援・伴走出来る心の持久力」
そう受け取りました。
こうして解像度を上げていくと、書くは易し、難しい事に取り組もうとしているんだなぁと思います。
それでも、「良い土壌作り」はしっかりしていきます。土壌が悪ければ立派な樹になったとしてもいずれ枯れてしまうから。
娘にも僕にも、永く続くようにね。
