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かつての「居場所」を失ったパパへ〜孤独が教えてくれた、自分を取り戻すためのハンドル

かつて寝食を忘れて楽しんでいた趣味のコミュニティ、久しぶりに覗いたSNSに上がった自分が居ない楽しそうな写真。
あの中に戻りたいけれど、もう戻れない。
自分だけが別の世界に放り出されたような、冷たい疎外感ー
日々頑張っているパパさんで、
似たようた経験を味わった事のある人はいますか?
僕も5年前、娘が生まれた時に同じような絶望を味わいました。
今も昔も、一個人の時は基本的にソロ活動主体ですが、
当時よりも気持ちは遥かに自由です。
今回は、その理由を話させてください。

善意の言葉が、僕を「個人」から「記号」に変えた

僕はかれこれ25年ほど写真を撮り続けています。娘が産まれるまでの僕は、定期的に全国レベルで撮り回っていました。それと同時に、同業者の写真展には可能な限り出向き、顔を覚えてもらおうと躍起になっていました。当時は根がコミュ障でしたが、「とにかく現場に飛び込め」と当時なりに努力をしていました。

「父親になる」と分かるその日まで、「やり残しのないように」と悔いのないようにやってきたつもりでした。そして娘が産まれて、一変した生活を送っていました。

そんなある日、無理なく行けそうな写真展があったので、近況報告も兼ねて久しぶりに行ってみる事にしました。
当時は、「良い夫・父親にならなければ」と「日々がしんどい」の狭間で慢性的に気分の落ち込みがちでした。そのため、「少しだけ気分転換になれば…」という気持ちがありました。

出迎えてくれた数年振りに会う人たち
※時世がコロナ禍というのもあったので尚更でした。
懐かしい同業者の写真の数々。
束の間でしたが、「戻ってきたなぁ」と思っていました。
ひとしきり観た後、ご挨拶をと関係者に話しかけるとー

「パパ、頑張ってるね!」
「可愛いのは今のうちだよ!」
「娘さんといっぱい楽しんでね!」

何だか遠くに追いやられたような悲しさ・寂しさが波のようにドバドバと流れてきた。

子供がいる相手には鉄板のキラーフレーズ。
もちろん悪意などあるわけがないのは知っている。そう、あるわけなどない。

けれど、その瞬間、僕は「一人の写真家」ではなく「パパ」という役割の箱に閉じ込められた気がしました。

「お前は写真家としてはおしまい。もうパパなんだから、こんな所で油打ってないでお家にお帰り」

冷静に考えたらそんな事あるわけないけれど、当時の自分にはそう聞こえた出来事でした。

自分を取り戻そうと入ったかつての場所が、墓場にでもなったかのような心境でした。その日から更に落ち込みが続きました。
それは氷山の一角に過ぎませんが、その後諸々心の不調が重なり、どうしようもなくなった僕は、カウンセリングの門を叩きました。その日から、「自分を見つめ直す作業」が日課になりました。

アウェイ環境での内省そしてアップグレード

【アウェイ育児】という言葉があります。
本来は「見知らぬ土地で助けの手もなく自分たちで乗り切らなければいけない状況での育児」を指すのですが、僕の場合、周囲に同じような境遇の人が居なかったという点で、それに当たったのかもしれません。
物理的に誰とも繋がれない時間は、「内省を深める時間」でした。
「以前の僕が求めていたのは、誰かとの絆だったのか、それとも『誰からも見向きもされない不安を埋めるための作業』だったのか」
「自己肯定感の著しい低さゆえに、孤高に我が道を言っているようで、実は他人からの賞賛や共感を渇望していたに過ぎないのではないか?そうでない自分に価値を見出せなかったのではないか?」
答えの出ない問答は長く長く続きました。

そんなある日、何気なく家から程近い場所で撮っていたのですが、近場でも息を呑む景色の連続だという事に気付かされました。

雄大な海が俯瞰できる丘
その海を行き交う大小様々な船の表情
季節ごとに彩りを見せてくれる花々

涙が頬をつたうとともに、「この景色をもっと撮りたい」と渇望していました。

そこからは、ほんの僅かな隙間時間があればその景色に会いにいくのが楽しみになりました。

只々自分だけの景色が楽しい
只々自分だけの時間が楽しい
只々心の向くままに
写真を撮ることが大好き
報告?しても良いししなくても良い。
評価…されたら嬉しいけど、
もはやそれが第一前提ではない。

初めて人生のハンドルを手にした気分でした。

一年撮り続けた頃には、人の目もかつてのコミュニティへの執着も自然と手放せていました。

「アウェイ育児」の環境が、「孤独」の意味を書き換え、僕を再起動させてくれたんです。
OSを格段にアップグレードさせた上でね。

孤独を楽しむことは、自分を見捨てたコミュニティへの復讐なんかではなく、自分自身への最高の肯定なんだと確信しました。

勿論、あの頃の僕が勝手に思っていた事なので、件のコミュニティには頃合いを見て、今の自分を引っ提げて再訪してみようかなと思っています。

終わりに変えて〜孤独は、不自由なあなたの救世主

今、かつての僕みたいに「アイデンティティを失う悲しさ」に打ちひしがれているあなたへ

今、あなたが感じている寂しさは、あなたが自分自身の核心に近づこうとしている痛みです。

痛いですよね。せつないですよね。

それでも、愚直に「自分はどうありたい?」「何がしたい?」を掘り下げていけば、渇望していたはずの人の目の事も忘れてしまいます。

誰とも繋がっていない今、あなたは、史上もっとも自由なはずです。

その自由を、どうか怖がらないで
思い切り楽しんでくださいね!

陰ながら、応援してますね📣

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