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「好きなことで生きていく」という甘い言葉と冷酷な現実

2022年10月25日。

その日の最高気温は13度でした。

娘の手を引いて散歩に出たものの、風が冷たく、ふたりで早足で家に帰ってきました。

リビングの隅で、お掃除ロボットが静かに充電器に戻る音がしました。

うちにはボストンテリアのラフがいるため、毎日ロボットが床を掃除してくれています。


妻のHannaには、少し変わった習慣がありました。

ロボットのゴミ受けを開けて、中にたまったゴミをじっと見つめることです。

「今日は犬の毛が多いな」

「昨日は砂遊びをしたから、砂粒がたまってる」

ゴミをダストボックスへすてながら、妻は嬉しそうにつぶやいていました。

他人には理解されにくい、彼女の毎日の小さなたのしみだそうです。


妻は、自分の仕事がたのしいと言います。

もちろん、イベントの事務手続きや、業務的なメールの返信などは面倒くさがって後回しにしています。

それでも、絵を描くことに関しては、こだわりが止まらなくなります。

妻は、描き上げたオーダーの絵を、必ず玄関に飾ります。

朝、娘を保育園に送るとき。

帰ってきたとき。

夕方のお迎えに出かけるとき。

夜、寝室に向かうとき。

何度も玄関の前に立ち止まり、その絵を見つめています。

時間を置いて何度も見ることで、わずかな色のちがいや、全体の柔らかさを確認しているのだそうです。


以前、オーダーの納期が明日に迫っている夜がありました。

妻が玄関に置いた絵をじっと見つめた後、アトリエに画材を持ち帰りました。

「何かがちがう」

そう言って、一晩かけて丁寧に仕上げた絵を、すべて絵の具で真っ黒にぬりつぶしてしまったのです。


ぼくの目から見れば、どこがちがうのか全く分からないレベルの微細な違和感でした。

それでも、つまは一から絵をかき直しました。

「どうせやるなら、100パーセントで届けたいから」

朝、完成した新しい絵をげんかんに置き、つまは少し疲れた顔で笑っていました。


口では「仕事をやめたい」と言いながら、何年も同じ場所にとどまり続ける人がいます。

「お金がないから」

「子どもが小さいから」

できない理由を探し始めると、キリがありません。

どうすれば環境を変えられるのか、どうすれば一歩を踏み出せるのか。

つまは言い訳を探さず、ただ目の前のキャンバスをぬりつぶし、かき直していました。

げんかんに置かれた新しい絵の具の匂いが、冷たい廊下に漂っていました。


凡人夫の備忘録。アーティスト妻の歩み

地方の無名アーティストの妻が、東京に挑戦するまでの話。
シーズン1から、全部読めます。

独立して、迷って、それでも描く。
正解のない日々を歩くシーズン2はこちら。

生活と、創作。
泥臭い日々の記録、最新のシーズン3はこちら。

初めての個展を経て、外の世界と繋がり、
泥臭く価値を証明していくシーズン4(共鳴編)はこちら。

自己表現を確立し、他者と深く繋がっていく、
最新のシーズン5(対話と確立編)はこちら。



アーティストHannaの現在

妻の作品はコチラで見れます。
https://www.instagram.com/hanna.iwanuma


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