絵の余白を言葉が埋め、言葉の余白を絵が映し出す
2022年11月17日。
朝起きると、すでにアトリエからトントンと軽い音が聞こえていました。
朝の六時すぎ、妻は机に向かって、木材に絵の具の下地を塗っていました。
「今のうちに塗っておけば、子どもたちを送って帰ってくるころにちょうど乾くから」
妻は筆を動かしながら、すっきりとした顔で言いました。
今週に入り、妻の体調はようやく元に戻ったようでした。
明日は、障がいを持った方々がはたらく就労支援施設へ、あたらしく発注したオリジナルパーカーの引き取りに向かいます。
そこは、一枚でも十枚でも同じ単価でTシャツを刷ってくれる、ありがたい場所でした。
「昨日ね、おもしろいことがあったの」
妻は、ハケを水入れに差し込みながら話し始めました。
県外の購入者から、子どもの誕生日に贈る絵のオーダーを受けていました。
裏面に刻むお祝いのメッセージを悩んでいると相談され、妻は一つの提案をしました。
子どもの性格や好きなことを箇条書きで教えてもらい、妻が代わりに言葉を紡ぐ、という試みです。
「元気」「本が好き」「よく笑う」。
届いた短い言葉たちを繋ぎ合わせ、妻はひとつの詩のようなメッセージをつくって送りました。
すると、相手から「感動して涙が出そうになりました」と、驚くほどの返信が届いたのです。
妻は、友人に貰った木下龍也さんの『あなたのための短歌集』という本を棚から取り出しました。
依頼者からの個人的なお題にこたえて、たった三十一文字の短歌を贈る歌人の本です。
「絵の余白を、言葉が埋めていくの。言葉を紡ぐことも、わたしの付加価値になるのかもしれない」
妻は、喋ることは昔から苦手ですが、ブログで静かに文章を書くことは大好きでした。
絵の具が静かに乾いていくアトリエで、妻は新しいメッセージの言葉をノートに書き留めていました。
そこには、絵の具だけでは描ききれない、もうひとつの表現の種が芽吹いていました。
凡人夫の備忘録。アーティスト妻の歩み
地方の無名アーティストの妻が、東京に挑戦するまでの話。
シーズン1から、全部読めます。
独立して、迷って、それでも描く。
正解のない日々を歩くシーズン2はこちら。
生活と、創作。
泥臭い日々の記録、最新のシーズン3はこちら。
初めての個展を経て、外の世界と繋がり、
泥臭く価値を証明していくシーズン4(共鳴編)はこちら。
自己表現を確立し、他者と深く繋がっていく、
最新のシーズン5(対話と確立編)はこちら。
アーティストHannaの現在
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