青ければ良いのだ ドーハから北中米まで30年の定点観測
サッカー日本代表を愛しすぎて止まらない男の日本代表観察記
ドーハの悲劇が高円寺を襲う
元気な少年の8割がサッカー部に入った幼少期
まだスラムダンクは連載されてなくプロ野球で巨人は人気だがそんなに強くなかった。
バスケ部と野球部に人材は流出せず。
レギュラーに選ばれると下手くそなのでボールをもらうとすぐにパスを出しちゃうような少年、それが私。
二軍の試合だとキャプテンになれるので張り切って指示を出しPKも蹴る。
なので二軍の試合の方が好きでレギュラーに選ばれないことをひたすら願うような少年、それが僕。
小学校時代は不思議とチームが強く地区大会で優勝し都大会に出場。
中学に入るとサッカー部には当然のようにヤンキーも集まるも、皆子供の頃からの友達なので楽しく仲良く部活動。
試合前の整列で相手チームにヤンキーが多いとガン飛ばしてくる。
そこで速攻心が折れる、そんな少年が俺。
小学校の頃の背番号は28番、あいうえお順。
後に小野伸二が浦和でデビュー、背番号は28。密かにガッツポーズ。
中学のチームはインテルのユニフォームまるごとパクり。
当時のサッカー界はイタリアが中心、ACミランにオランダ三銃士フリット、ライカールト、ファンバステン。 インテルに西ドイツのマテウス、クリンスマン、ブレーメ。 そしてカリスマのマラドーナがナポリでブラジルのカレカとコンビ。 そんな時代。
高校に入るとサッカー部に入るもたいして強くない公立校なのに先輩の上下関係が厳しい。
今まで上下関係なくエンジョイサッカーしてきたので衝撃的。
服装も自由で楽しい学校なのに何故か偉ぶる先輩に嫌気がさし、ファッションや夜のナイトクラブ活動にも本腰を入れ始めた頃なので速攻退部。
部活を辞めると放課後が暇なので屋上で部活が終わる友人を同じく暇な友人と待ってたり。
不思議なもんでサッカー部を辞めた頃に世の中ではサッカー熱が高まる。
それまでは正月の高校サッカーかトヨタカップの時しかサッカーが報道されることは無かったのに。
何やらプロリーグが出来るらしいぞ。 日本にも読売クラブと日産と本田技研以外にチームがあんのか?
ラモス、三浦カズ、武ちゃん、キーちゃんの濃いめ読売クラブと真面目風な日産が合体したような日本代表チームが目立ち始める。
オフト、不思議な名前の監督が日本サッカーを変えた。
連日ニュースでサッカー報道が始まり、友人達と放送を見る。
今まで日本代表チームが異国で試合をしているのも知らなかったし、マラドーナやミランやワールドカップなどの海外サッカーは好きで観ていたけれど、そこに我らが日本代表が属しているという認識はまるで無かった。
しかも当時の代表、好きにならずにいられない、なんせキャラが濃い。
とにかくあの頃のカズはカッコよかったし、北沢のソバージュヘアもラモスの走り方やパスも柱谷の激怒も全部かっこよかった。 地味だけど森保も居たのも今日の代表に繋がっていてエモーショナル。
最終予選のドキドキも初めてで、このドキドキは日本代表が強く、初めて予選突破してワールドカップに出場出来そうだという期待感から来るもの。
中東で行われる試合は完全アウェーで観客席には真っ白い民族衣装に謎の笛の音。
そんな中でもラモスは走り柱谷は激怒しカズはゴールする。
何だこれは? とにかくカッコいい。 いやカッコいいだけじゃないぞ、
この興奮は。血が滾る、これは俺たちのチームだ、彼らは俺たちの仲間であり、俺たちを代表して走っているんだ。
マラドーナを観る時に感じる興奮とは全く違う。
俺たちの代表チームなんだ、と初めて認識した。マラドーナよりユベントスよりも日本代表チームが一番カッコいいじゃないか!
最終予選、宿敵韓国代表と対決、いやこの時に初めて韓国が宿敵だと知ったぞ。 今まで知らなかったぞ。
韓国に勝った時のカズやゴン中山の興奮、あの興奮でいかに韓国が高い壁だったのか知ったんだ。
そして運命の最終戦、相手はイラク。
勝てばワールドカップ初出場、もうすぐだ。
カズは日本をワールドカップに出場させるためにブラジルの名門サントスから弱小リーグだった日本リーグに参加。
サントスFCはペレやネイマールを生んだ名門中の名門なのに。
ラモスはブラジルから日本に帰化して命をかけて代表に魂を吹き込んでいる。
都並は足が折れているのに立っている。
もうすぐだ、もうすぐで念願のワールドカップだ、アメリカ大会だ。
高円寺の友人の家に集合し観戦。時間は何時ごろだったかな。
夜ご飯を食べてから集合した気がする。
当時は辰吉のボクシング世界戦なんかもよく友人宅で集まってみた。
まだテレビしかない時代、携帯電話もない。そんな時代。
試合開始、カズが先制点、来た! 興奮が止まらない。大騒ぎ。
イラクが得点し同点に追いつかれる、ヤバイ、引き分けだと得失点差で日本は予選敗退。
そこで最終予選でヒーローになった後ろ髪長いゴン中山。
魂のゴンゴールで逆転! 来たコレ! 大騒ぎ。
ゴンのゴールはバティストゥータみたいで魂のゴールなので周りに火をつける。
よし、落ち着け、もう少しで初めてのワールドカップ、みんなでアメリカだ。
俺たちの代表がワールドカップでイタリアやブラジルと戦うんだ。
マラドーナを柱谷が止めて、カズがドゥンガを抜き去るんだ。
よし、審判、もう笛吹け、ほら早く試合終わらせろ、時計見ろ!
もうタイムアップだぞ! ほら時計見ろ!もう終わりだろが。
よっしゃーゴール前の武田にボールが渡った、武ちゃんコーナーに行って時間稼ぎしろ、そうすりゃ終わりだ。 あ、武ちゃんセンタリングしちゃった、誰もゴール前居ないぞ。
あ、敵ボールだ、ヤバイやばいヤバイ、みんな走れ走ってくれ、俺たちの代表! よっしゃなんとか守った、相手のコーナーキックだ、これで最後だろ、審判? もう最後だよな? 最後の最後の最後だろ。
よし皆で守れ、俺たちの代表、最後だ、ワールドカップだ。
あ、ショートコーナー、 やばい。
カズが居るぞ(ここら辺から記憶が曖昧)
頼む、カズ、俺たちのヒーロー、止めてくれ。
カズが飛び込んだ、抜かれた。
あ、ボールが飛んできた。 あれ? あれ?
あ、、GK松永が飛ばない、ボールを見てる。
え? あれ? 柔らかくボールがネットに吸い込まれた。
嘘でしょ。 そんなハズないでしょ。
大興奮してた俺たち無言。 ここからずっと無言。
審判が笛を吹く、そしてもう一度笛を吹く。
試合終了、引き分け。 日本は念願のワールドカップ初出場ならず。
俺らは何もしゃべらず解散。
帰り道、自転車で夜道をフラフラと蛇行運転。
友達の背中をまだ覚えてる、あれは30年以上前だ。
俺らにとってはドーハの悲劇というよりは高円寺の悲劇。
負けたけど、負けちまったけど、この日から俺たちの代表が自分の中でとても意味を持ち大切なものになった。
俺のサッカー日本代表が始まった。
俺たちの船が沈没寸前、再び最終予選、暴動、解任
ドーハの悲劇は強烈なレッスンだったと思っている。
日本サッカーに与えたトラウマはやがてそれを乗り越える事でレッスンと呼べるまでになったんだ。
日本に誕生したプロリーグはどんどん成長して行き、風は吹き、追い風になっていった。 それ以降の日本代表チームはもう大人気。
監督はなんとファルカン。 ブラジル代表でジーコと活躍したレジェンド。
ファルカンが個性的な代表チームを作るも挫折し解任されて加茂周監督に。
日本リーグ時代の名将加茂監督が新しい俺たちの代表を指揮。
1998年のフランスを目指して航海に出発。
俺たちの代表を追っかけてホームである国立競技場での予選を観戦する為に前日から並びチケットを取り仲間と参加するようになる。
メンバーは4人。当時美術大学に通っていた俺は美大生活をエンジョイしながらも美術予備校で知り合った2人とドーハの悲劇を共に高円寺で体験したサッカー部の後輩の4人編成。
渋谷のクラブに踊りに行くときも日本代表のユニフォームやブラジル代表やバルセロナのユニフォームを着たりしてた。 とにかく俺たちの代表が最優先事項。
青山のクラブに行っても踊らずに4人のメンバーと俺たちの代表について激論を交わしたり、時には感情炸裂して泣いたり。 もう青春時代。
美大の課題もサッカーに関係するものばかり作っていた。
卒業制作も日本がフランスワールドカップで勝つような広告を作った。
サッカー熱上昇での追い風のおかげで東京の居酒屋やバーなど各地で代表戦が放送されるようになった。 呑みながら観る、もう最高。
サッカーはイギリスが発祥地、ビールの国イギリス。
もちろん国立競技場での観戦時もビールをガバガバ呑む。
試合前の国歌斉唱も誰よりも大声で唄う4人なので試合前に声がガラガラになっている。
周りに静かに座って観ている人たちを気にすることもなく、むしろ周りを巻き込んでウネリを作り出し大声で観戦。
俺たちの代表だからこんなの当たり前だ。
静かに観戦したかった皆さんごめんなさい。でも止められなかった。
最終予選の韓国戦での山口の伝説のループシュート。
ビールを呑み過ぎている俺は強烈な尿意とも戦いながら大興奮。
当時の試合会場にはカリスマ的人気の格闘家やバンドマンもよく見かけた。
俺たちの代表が日本中にグルーブを作り出し、TVではNIKEのCMが観たこともないようなカッコいい映像、ブラジル代表が躍動。
俺たちの代表は最終予選で負けが続き観客が国立競技場で暴動を起こす。
その試合を観戦してた俺たち4人もその場に居た。
一部の興奮した観客が暴れてはいたけれど、そんなに大暴動とは思わない。
俺たちの代表が不甲斐ない、だから興奮したんだろう。
それでも暴れずにバーに行って呑んで語れば身持ちも治まるのにねって俺は思ったよ。
次勝てば良いんだ。
だが監督解任、加茂監督の船に乗り合わせていた岡田さんが急遽監督になる。
岡ちゃん、眼鏡で一見頼りない。
だが中身は男の中の男だった。 鬼のような決断力を持っている。
当時のエースである三浦カズから中田ヒデへとチームの中心を変える。
アウェーの試合はお店で観戦。
お好み焼き屋で観戦した時にその場にいる客はもちろん皆が俺たちの代表フリークスなので、試合で勝利した瞬間に皆で興奮して飛び上がりその勢いでお店の天井からあらゆるものが崩れ落ちてきた。
俺は手を離さない。ジョホールバルの歓喜が吉祥寺HUBに襲来。
2002年に日韓ワールドカップ開催が発表。
これにより日本は予選なしで自動的に2002年はワールドカップ参加が決定。
しかしこれが初参加では情けないと、何とか1998のフランスで初出場を狙うわけです。
岡ちゃんが監督になるも結果が出ずに日本は最終予選で突破出来ずプレーオフでの一発勝負に全てを賭ける展開。
勝ったら初出場というヒリヒリ度マックスのたまらない展開に俺たちの日本代表は突撃する。
場所はマレーシアのジョホールバル、相手はイラン。
海外の為に応援に行けない俺たち4人は色々探した結果、吉祥寺にあるイギリススタイルの酒場HUBへ。
決戦はジョホールバルと吉祥寺HUB。
このHUBも長蛇の列、開店前から青い日本代表スタイルの男たちで溢れかえる。 吉祥寺の有名肉屋の大人気商品メンチカツの匂いも漂う。
メンチカツ? 勝つなんて縁起が良いぜ!と皆でメンチカツ食って気合を入れるぜ。
HUBなんで美味しいビールだらけ、試合開始前からお店のボルテージはマックス。 ビール呑んで国家を熱唱して試合開始。
この試合は俺たちの日本代表史上最も過激で興奮の極上エンターテイメントだった。 相手も強いしキャラ濃いし、俺たちの代表もカズにゴンに城に呂比須と全員が大活躍。呂比須は直前に母を亡くすという悲しみの中で戦っている。 有名なカズとゴンのダブル交代や城のポストに頭直撃ふらふら状態にヒデが寄り添ったり、相手のイランも試合前から骨折詐欺をして日本をかく乱したりとまるで映画、いやむしろ場外戦ありのプロレス状態。
もう反則なんてない、勝てばいいんだ、勝つだけだ!
ゴンの先制点、落ち着け、まだまだ。
相手が同点、そして逆転のゴール。 ノォォー。
落ち着け、まだまだ時間はある、俺たちの代表は今回は必ず、勝つ。
4年前のドーハの悲劇ではここら辺から記憶が曖昧になった、それを反省材料として俺自身も心を強くする為にあることにトライする。
両手を組み合わせて「お願いします」のポーズ。
これを勝つまでは何があっても離さないと決めた。
もし負けたら4年間このポーズで生活するということだ。
そんくらいなんだ、俺たちの代表が戦っているんだ、俺も戦うぜ。
すると城のヘッドで同点、よっしゃー まだ終わっていないから手は離さない。 同点のまま延長戦に突入、しかもこの延長戦はゴールデンゴール方式。
つまりはどちらかが点を取ったら終了、点を取った方がワールドカップ。
天国と地獄。 休憩の間にトイレに行くも俺は決して手を離さない。
手を組んだまま用を足すというのは非常に難しい。
友人に何やってんだと笑われるが「戦ってんだ」と答える。
無事に用を足しスタジアムへ。 もうビールは要らない。
アドレナリンはマックス、これ以上のエンターテイメントは無い。
決断の神様岡田監督は第三の男、野人岡野を投入。
延長開始から日本は攻めまくる、相手も日本も疲労の限界の中で岡野は走りまくる。 野人がひたすらボールを追いかける。
中田ヒデは皇帝の様に試合を操り何度も岡野にパスを送る。
絶好機も外しまくる岡野。 俺は握った手を離さない。
ついに皇帝中田ヒデは岡野にパスを出さずに自分でドリブルを開始。
こうなったら俺が決めると言わんばかりに。
そして日本サッカーの歴史が全て中田の魂に憑依して力強くシュート。
俺たちの代表の最後のシュートじゃ おりゃー。
相手キーパーが辛うじて弾く、そこへ走りこむのは野人岡野。
走りこんだまま滑り込みのスライディングシュート。
ふわりとゴールに吸い込まれるボール。
四年前と違うのはこれが相手ゴール。
ここら辺からまた記憶が曖昧。
吉祥寺HUBは大爆発。 勝つまで離さないと決めた手を天高く突き上げて発狂。
俺たちの代表がついにやった。 ついに初めてのワールドカップ。
路地裏のガッツポーズ
HUBで大宴会をしている最中で4人のメンバーで話し合う、国立競技場に行かないか? 今から。
真夜中の国立競技場にはきっと誰も居ないだろう、でも俺たちの代表のホームグラウンドに喜びと感謝を伝えたいと。
酔っ払った俺たちはそこら辺にいた誰かの車に乗って国立競技場へ一直線。
夜中だから吉祥寺から国立まではあっという間。
ついてみたら大歓声が聞こえる、おいおいおい、俺たちみたいな奴らがいるじゃんよ。 最高なお馬鹿さんだね、こりゃあ。
考えることは皆同じか。 自然と大きな輪が出来てそこにいる皆で肩を組んで日本代表の応援歌を大熱唱。
ヨーロッパのスタジアムなんかで聴く大音量の野太い声での応援歌。
俺たちの代表を応援する俺たちの声はどこにも負けない。
ついにそのステージに立ったんだ。 ご近所さんうるさくしてごめんなさい。
散々歌った俺たちは解散してバラバラに家に帰っていく。
忘れられない後ろ姿がある。
住宅地を独りで走って帰るお兄さん、もちろん日本代表のユニフォーム姿。 長髪の彼は野人岡野のように走りながら帰宅している。
誰も居ない静かな住宅地で彼は独りで静かにガッツポーズを繰り返しながら走って消えていった。
彼の後ろ姿を銅像にして日本サッカー協会に建立するべきだと思う。
彼の静かなガッツポーズは俺たちそのものだ。
三浦カズの落選
日本サッカー界の念願であるワールドカップ初出場を成し遂げた俺たちの代表。
予選を勝ち抜いたチームはワールドカップで戦う準備をしてチーム力を高める。
チームという船を率いる監督の最大のストレスはメンバー選考。
それもワールドカップ本番への選出。
ここで選ばれると夢のワールドカップに出場出来る
ここで選ばれなければ子供の頃からの夢の舞台をテレビで観ることになる。
日本サッカー初のワールドカップという名誉を勝ち取った岡田監督はここで日本サッカーの歴史の中でも飛びぬけて衝撃的なメンバー選考をする。
「外れるのは、カズ、三浦カズ。」
この呪いのようなフレーズは一生忘れられない。
若かった市川とベテランのカズと北澤が外れた、スイスでの直前合宿。
監督は大会で勝つために勝つためだけを考えて選考。
希望と期待と計算を必死になって何度も何度も考えてこうなった。
三浦カズはまだ若い頃、ブラジルの超名門サントスFCでの活躍中に日本をワールドカップに出場させる為に帰国し大活躍しJリーグを盛り上げて社会現象にして日本にサッカーを定着させたカリスマであり第一人者。
カズが居なければ今の日本のサッカーは無いと断言出来る、本当のカリスマ。
その選手を外すことがどれだけ苦痛だったのか、中間管理職であり子育て中の普通のおじさんである私でも理解出来る。
マスコミも大騒ぎ、カズのチームメイトも大激怒、日本中に怒号が鳴り響いていた。
その渦中、カズが見せた姿勢、これが言葉に出来ないほどに粋で男らしいものだった。
メンバーから外れて帰国した際にカズと北澤は会見を行った。
「日本代表としての誇り、魂みたいなものは、向こう(フランス)に置いてきた」
岡田監督への恨みやネガティブな発言は一切なく、選手たちがワールドカップを戦う為に応援していると発言。
テレビで観ていた俺は思わず、ウォォォと静かに泣きながらひれ伏した。
こんなことってあるかよ、こんなかっこいいこと言えるやつが居るのかよ、日本中がカズのワールドカップへの想いを知ってんだよ、みんなカズと岡田監督の二つの想いの中でぐちゃぐちゃになって冷静で居られないんだよ、
凄いよ、カズ、尊敬するよ、一生尊敬するよ。
その会見以来三浦カズは俺のヒーローとして君臨し、カズが日本代表のユニフォームを着ている写真を雑誌から切り抜いていつでも家に飾ってある。
いつか焼鳥屋でカズとビールで乾杯するという夢がある、実現させたい。
ブラジルを旅した際にはカズが当時通っていた定食屋や散髪屋にも聖地巡礼している私です。
ブラジルと言えば同時期に代表選考から外れた当時のブラジル代表のカリスマのロマーリオは大号泣しながら会見をしており、カズとロマーリオの対比が日本人とブラジル人を表現していて興味深かった。
あれ以来カズの置いてきた日本代表の誇りと魂は全ての青いユニフォームに深く染み込んでいる。
海外で暮らすことで芽生える日本人の誇り
今回のワールドカップに臨む日本代表メンバーは最強、海外リーグに所属している選手だらけだからね、と言われている。
私自身もアメリカで暮らしていた、また世界中旅して歩いていた時に感じたのだけれども、日本から離れると日本が好きになるという感覚がある。
外に出て初めて日本の素晴らしさを他国と比べることが出来て、最終的に日本は素晴らしいなあ、日本人に生まれて良かったなあ、なんて思う。
もちろんその逆もあり、日本の問題点にも気付く。
三浦カズは高校を中退してブラジルに渡ってサッカー選手になる為に生き抜く中で、日本を愛する気持ちや魂やアイデンティティが形成されていったはずだ。
現在の代表選手も若いうちから日本を離れてヨーロッパで生活している。
彼らも同じだと思う。
ドーハの頃の代表は全員がJリーグでプレーしていて情熱に溢れていた。
今の代表選手は彼らみたいに体内から溢れ出てしまうような情熱的な表現は見えない、その代わりに静かに重い情熱を体内に標準装備していると思う。
日本を代表する気持ちは全員当然のようにインストール済み、俺たちの代表はクールだろうが情熱的だろうが俺たちの代表だ。
赤い炎と青い炎の違いみたいなものかもね。 青い炎の方が高熱なんだよね。
スペインの床
俺たちの日本代表は毎回ワールドカップに出場している。
もはや当然のこと。
家庭を持ち父になった俺は会社勤めをして田舎に住んでいる。
サッカー観戦に行くには物理的にも精神的にも遠くなった。
それでもワールドカップはもちろん観ている。
俺たちの代表だからね。
前回はスペイン戦で三苫の一ミリで得点をした瞬間に興奮した俺は家の床を全力で叩き、床が抜けた。 これを我が家ではスペインの床と呼んでいる。
あの頃は勝つと飛び上がっていたが今はおじさんになり飛び上がらずに床を叩くようになった。ジャンプ力が低下。
もちろん正装の日本代表ユニフォームは試合観戦時に着用する。
子供達にも青いシャツを着せている。 横浜DNAのファンである妻の影響で青い(野球だけど)ユニフォームは沢山あるのでそれで代用している。
青ければ良い。 そう青ければ良いのだ、 これは青春なんだから。
国歌斉唱で毎回泣いてしまう森保監督の眼には何が映っているのだろうか、ドーハの悲劇に選手として参戦していた森保監督。
Jリーグが発足する前のアマチュアリーグから選手だった森保監督。
青い炎と溢れる情熱を併せ持っているんだ。
勝てば勝つほど我が家は壊れる、目標は家屋崩壊。
さあ行くぞ、バモス!
