生成AIの自然言語プログラムの時代に必要とされる圧倒的な言語能力

連続ツイート 第2680回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、感想です。 #茂木健一郎の連続ツイート

生成AIの能力が向上して、自然言語について言えば、もはや自然言語のプログラミングの領域に達していると感じる。音声を文字起こしして、翻訳しそれを整えるといった方法を用いることによって、今までよりもはるかに高速に、言語の壁を超えて文章を加工、生成できるようになった。

大規模言語モデルを用いて、無限に文章を生成することができる。時折、その際オーナーシップがバグっている方を時々見かける。プロンプトを工夫して生成させたとしても、それは、その方の文章ではない。そこに、自分を表現するヒップホップの喜びはない。その勘違いはかなり致命的だと思う。

私の場合、手法として、自分で何かを話して、それを生成AIで文章化し、形式を整え、翻訳をするということはルーティーンとしてやるようになった。もともとのコンセプトや主意は自分から出てきたもので、話してライターさんが書いてくださったものと同様、自分の文章だと感じる。ただし留保がある。

生成AIが出してきた日本語や英語の文章を、それがもともと自分が話したものがもとになっているとは言え、文章のリズムやつながり、読み味(クオリア)の視点で自分なりに整える。その修正の作業において、頼りになるのは自分の言語感覚だけであり、AIは一切助けにならない。

生成AI全盛の時代に、プロンプトや音声の文章化、翻訳、スタイルの整えなどで自然言語のプログラミングができるが、最終的に文章の良し悪しを決めて整えるのは自分という生身の人間であるという視点は、決定的に重要である。そのためにも、良い文章をたくさん読んで自分のセンスを磨く必要がある。

日本語はもちろんだが、英語の自然言語のプログラミングで自分の発話から出てきた英語の文章の良し悪しを判定する自分の感性、文章のクオリアを味わい、最終調整する能力こそが最重要。つまり圧倒的な言語能力が必要だ。もっと磨かなければと思いながら、今、ジョイスの『ユリシーズ』の原文を読む。

連続ツイート 第2680回、「生成AIの自然言語プログラムの時代に必要とされる圧倒的な言語能力」をテーマに6つのツイートをお届けしました。 #茂木健一郎の連続ツイート

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