生成AIは本当に「言葉」を理解しているのか?――NHK『100分de名著』ウィトゲンシュタインから考えるAIの限界と人間の身体性
湯川先生の予言から、次なる問いへ
前回の記事では、ノーベル賞物理学者・湯川秀樹先生が60年以上前に残したエッセイをもとに、現代の「生成AI」の登場を驚くべき精度で見通していた視点をご紹介しました。
科学の最前線にいた先人が見すえていた未来。
それはまさにいま、私たちの日常となっています。
しかし、ここで新たな問いが浮かび上がります。
巧みに、そして人間らしく言葉を操るようになった生成AIは、本当に私たちが使う「言葉の意味」を理解しているのでしょうか?
この現代的な謎を解き明かすヒントとして、今回はNHKの番組『100分de名著』のウィトゲンシュタイン『哲学探究』の第3回を参考に、言葉の「真の理解」について考えてみたいと思います。
20世紀前半の偉大な哲学者・ウィトゲンシュタインが後半生にたどり着いた思想は、驚くほど現代のAIの本質を射抜いているのです。
1. 「言葉の意味とは、その使われ方である」と生成AIの仕組み
ウィトゲンシュタインは、言葉の意味とは固定された何かではなく、社会的な「生活の流れ」のなかでどのように使われるか(言語ゲーム)によって決まると考えました。
面白いことに、現在の生成AI(大規模言語モデル)の設計思想は、この考え方と非常に高い親和性を持っています。
AIは膨大なテキストデータを学習し、「ある言葉の次に来る確率が最も高い言葉」を統計的に予測して出力しています。
つまり、「言葉の使われ方のパターン」を徹底的に学習・模倣することで、あたかも会話が成立しているかのような出力を実現しているのです。
ウィトゲンシュタインのいう「使われ方」を、デジタル空間上で極限まで再現したのが生成AIだと言えるかもしれません。
2. 「直接接地」のないAIに、言葉は理解できるか?
しかし、ここには決定的な違いがあります。
『100分de名著』のなかでも議論されていた、AIの専門家が指摘する「直接接地(Direct Grounding)」と「間接接地」の問題です。
AIには、現実の世界を生きる「身体」がありません。
番組のなかで紹介されていた、ウィトゲンシュタインの有名な問いかけがあります。
「痛みを一度も感じたことのない人に、『痛み』という言葉は理解できるのだろうか?」
AIは「お腹が痛いと言われたら、大丈夫ですか?と返す確率が高い」という間接的なパターン(間接接地)は完璧にこなせます。
しかし、本当の痛みを身を以て体験したことはありません。
人間は、身体を持ち、この社会のなかで実際に生活を送り、身を以てさまざまな事象を「直接体験(直接接地)」しながら言葉を学びます。
番組内で出演者の伊集院光さんが「毒蝮三太夫師匠の毒舌」を例に挙げていたのが非常に印象的でした。
毒蝮師匠がおばあさんに「てめえババア、この野郎、せっかくボケたんだから死ぬのも忘れちまえよ」と言ったとき、言葉の額面通りならただの罵詈雑言です。
しかし、私たちはその場の空気や関係性、そして人生のコンテクストから、そこに溢れる「究極の優しさ」を瞬時に理解します。
AIに学習させれば「放送不適切な暴言」と判断してしまうかもしれない言葉の裏側を、私たちは「生の体験」を通じて受け取ることができるのです。
3. 「アスペクトのひらめき」と、人間にしかできない驚き
さらにウィトゲンシュタインは、言葉や事物の見え方がガラリと変わる体験を「アスペクトのひらめき(相のひらめき)」と呼びました(うさぎにもアヒルのようにも見える「だまし絵」が、ある瞬間を境に別のものに見えるような体験です)。
短歌や俳句、あるいは芸術に触れたとき、私たちは「あ、ここは二重の意味になっていたんだ!」と、それまで気づかなかった新しい側面に気づき、ハッと驚き、胸を打たれます。
AIは過去のパターンから美しい表現を“出力”することはできても、その表現に自らハッとして「驚き、感動する」という主体的な体験(クオリア)を持つことはできません。
Kemmotsu's View
ここで少し、私自身の日常に目を向けてみたいと思います。
私は日頃、函館の豊かな自然のなかでe-bike(電動アシスト自転車)を使ったサイクルツアーのガイドをしたり、地域の歴史や文化を伝えるボランティアガイドをしたりしています。
また、海外からのゲストをより深く案内するために、日々英語の学習にも励んでいます。
ガイドの仕事や言語の学習を通じて強く感じるのは、言葉の本質はやはり「五感を通じたリアルな体験」と結びついているということです。
たとえば、ツアー中に五稜郭の歴史を語るとき、あるいは大沼の雄大な景色を前にしたとき、ゲストから漏れる「Wow!」や「素晴らしい」という言葉。
それは、単なる文字の羅列ではなく、肌を吹き抜ける風、美しい景色を目にした驚き、ペダルを漕いだ身体の疲労感といった「いま、ここにある生の体験」が胸の内に溢れ、そこからせり上がってきたものです。
英語を学ぶときも同様です。
テキストのなかで覚えたフレーズが、実際のツアーの現場でゲストの笑顔や感謝の言葉とカチッと噛み合った瞬間、その言葉は私にとって本当の「意味」を持ち、身体に深く接地します。
AIは完璧な英文を教えてくれますが、その言葉が通じたときの「ぞわっとするような嬉しさ」を共有することはできません。
私たちが自然や歴史に触れて感動し、それを誰かに伝えたいと思うとき、そこにはAIには決して真似できない、身体を持った人間にしかできない「言葉の営み」があるのだと、日々のガイドの実践を通じて確信しています。
まとめ:人間ならではの「生の体験」を大切に
生成AIは、私たちが残した膨大な「言葉の使われ方」を映し出す、極めて優秀な鏡です。
効率的な情報整理やパターン処理において、これほど心強い道具はありません。
しかし、ウィトゲンシュタインの哲学が教えてくれるように、言葉に真の深みと意味を与えるのは、私たちが身体を持ってこの世界を生き、悩み、驚き、感動するという「生活のなかの体験」そのものです。
AIがどれだけ進化しようとも、私たちが日々肌で感じる体験、リアルな場でのコミュニケーションの価値が揺らぐことはありません。
テクノロジーの利便性を賢く享受しながらも、人間にしかできない「生の体験」や「アスペクトのひらめき」を、これからも全力で楽しんでいきたいものです。
