タイのマッサージで、頭に乗られて体が青くなった話
タイに来たら、マッサージに行かなければならない。
これは義務である。法律ではないが、ほぼ義務である。街を歩けばあちこちにマッサージ屋があり、日本よりずっとリーズナブルで、しかも本格的にうまい。行かない理由がない。
僕はタイのマッサージが好きだ。好きなのだが、ひとつだけ長年の課題があった。
強さの調整である。
タイのマッサージは、強さを自分でリクエストするのが当たり前の文化だ。施術の途中でセラピストが「オッケーマイ(大丈夫ですか)」と確認してくれることもある。しかしそれ以外は何も言わなければ、そのままの強さで最後まで続く。日本人の感覚だと「途中で気を遣って聞いてくれるはず」と思いがちだが、タイでは「客が自分で言うもの」という前提が基本にある。黙って我慢していると、それが「ちょうどいい」と解釈される。
これを知らなかった僕は、何度か無言で耐えながら一時間を過ごしたことがある。
痛いのに「大丈夫です」という顔をして天井を見つめる時間は、マッサージとは呼べない。あれは修行である。
タイに来たばかりのころの話になるが、ある日僕はついに勇気を出して強さをリクエストすることにした。
その日のセラピストは、どちらかというと力が弱めだった。気持ちよくないわけではないが、もう少し強く押してほしい。タイ語もまだおぼつかなかったので、「ナック!(強く!)」と言いながら、こぶしを握って力こぶをつくるようなゼスチャーをした。我ながら伝わったと思った。
その瞬間から、マッサージの性質が一変した。
「強め」どころではなかった。「暴力」だった。
背中に乗ってくる。肘で押してくる。体重をかけてくる。挙げ句の果てに頭にのられた。そんなことある?
あわてて「トゥーストロング」と英語で伝えた。
セラピストは笑っていた。
あの笑いの意味を、僕は今でも考える。「あら、ごめんなさい」という笑いだったのか。それとも「強くしてって言ったじゃないですか」という笑いだったのか。たぶん後者だったと思う。あれは絶対ちょっとカチンときていた。こちらはゼスチャーまでつけて一生懸命伝えたのに。
翌日、体のあちこちが青くなっていた。青というか紫に近い色だった。しばらくマッサージには行かなかったのは言うまでもない。
それから時間が経ち、タイ語が少しずつ上達した。
そこで気づいたことがある。「ナック!」と言うだけでは「強く!」という命令になってしまうのだ。タイ語にはこういうときに使う、魔法のような一言がある。
หน่อย(ノイ)=ちょっと
この「ノイ」をつけるだけで、言葉の温度がまるで変わる。
หนักหน่อย(ナック ノイ)=強めでお願いします
เบาหน่อย(バオ ノイ)=弱めでお願いします
เบา(バオ)は「軽い」、หนัก(ナック)は「重い」。そこにノイをつけることで「ちょっと強めにしてもらえると嬉しいんですけど」というニュアンスになる。さらに語尾にクラップ(男性)かカー(女性)をつけると完璧だ。
ナック ノイ クラップ/ナック ノイ カー
これを覚えてからというもの、マッサージが別の体験になった。ちょうどいい強さで、ちゃんと気持ちよく、体が青くなることもなくなった。セラピストも笑わなくなった。いや、笑っているのだが、今度はいい意味で笑っている気がする。
タイのマッサージは、言葉を覚えてから行くと別の体験になる。
旅行でタイに来る方も、ロングステイの方も、この二フレーズだけ保存しておいてほしい。
バオ ノイ、ナック ノイ。
たった六文字ずつである。体が青くなるよりずっと簡単だ。
