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「一番にならなきゃいけない」という妄想を捨てた時 あなたに平静な心が宿る

私は競争が嫌いだ。
争い事がこの世の中からなくなればいいと思って生きている。
しばらく関わった自動車レースの中でも、後ろから速い車が来れば、どうぞお先に、と譲ってしまうほど争いごとには興味がない。

競争という概念を中心に動いている社会

しかし、この世の中は競争という概念を中心に動いているように思えてならない。
単純なことで言えば、食べログやら全国温泉ランキングといったいわゆる、ネット上のランキングやら、スポーツ競技でのメダルや表彰など、最も優れたものを決めることが社会の価値として重要視されているように感じ、それに乗っからない、という選択は社会の異端児になるということなんだと感じている。
競争して勝つことが世の中的に大切な価値観として採用されているという見方もできる。

そんな私も、この社会の流れに、知ってか知らずか多大な影響を受けながら生きている。
競争が嫌いと言いながらも、運動会の徒競走で走れば一番にならなきゃいけないと思ってきたし、TOEICは満点取りたいし、F1などの自動車レースでは勝ち負けを追いかけながら観戦していることに気づく。

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自分のビジネスに於いても、業界ナンバーワンの座を取りたいとか、世界的に有名なコーチとして認知されたいとか、業界内の最高資格を取得したいとか、そういう思考はほぼ無意識的に、そして自動で醸成される

私が顕在意識として気がつくはるか前に、その思考は形成されているように感じる。
私の言葉で言えば「社会にやられちゃってる状態」になっている。

競争で勝ちたいと無意識的に思考してしまう癖

今日、私がなぜ、こんなことに気がついたかと言うと、私が作ってYoutubeで公開している動画の視聴数について考えたことが発端だった。

世間一般では、Youtube動画を公開して、数万〜数十万件の「いいね!」が付き、チャンネル登録者数も桁違いに増えることが「成功」とされているので、私も何も考えずに、視聴がぐんぐん伸びることを望んでいた。

しかし、現実は数百視聴されるのがいいところで、いわゆる大台には届かない。このことについて、とにかく悶絶苦しむような思いをしていた。

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なぜ視聴されない!と憤っていた

私がよくお客様に伝えていることの1つに、ストーリーをすべての側面から見る癖をつけること、というものがある。

人は自分から見える景色だけをとらえて、それがすべてのストーリーだと結論づける傾向がある。

私のYoutubeの場合だと、私の作った作品は視聴されないので人気がない、世界で認知されるための道筋を作れていない、といった「競争に負けた」ストーリーになる。

しかし、これは私の視点から見た事実であり、全てを包含したストーリーではない。

数百の視聴があるということは、数百人の人たち、それも私が動画を見るように強要したわけではない人たちが自分の意志で見てくれているということ。
実際、動画がタメになったとか、作ってくれてありがとう、といった声は私の耳に直接届いている。それも一人ではなく、多くの方から。

それらの声はおそらく合算で数十件あるのだが、世界で認知されるという競争の見地から見れば、いわゆる「成功」に必要な数十万という視聴者数の内の10件と極めて少ない数に見えてしまう

一人の視聴は、よく考えれば一人の人間であり、その人の貴重な時間であり、貴重なご縁なわけだが、競争という概念で物事を見ていれば、そこへの感謝は二の次、といった思考になってしまうのかもしれない。

プロのコーチでも陥る思考の罠

私はプロのコーチであり、心理学や脳科学なども独学で学んできた専門家でもあり、平和主義者であり、人との心からのつながりを大切にする人間なのだが、そんな私がYoutubeという単純なツールごときで、どうしてこんな風になっちゃうのだろうか?

あんたぐらいの専門家は、こういうことぐらいサラッと解決できないのか?といった声も飛んできそうで、極めてお恥ずかしい話ではあるが、実際に私の内面に起きていることでもある。

そんな思考を巡らせていて気づいたことを少し客観的にまとめると、こんな仮説が立つ。

仮説1:これまでの人生の中で植え付けられてきた「競争に勝つ&一番になることが最も優れている」という固定観念が行動や思考に色濃く反映される傾向がある

仮説2:この固定観念と自分の本来の「競争は嫌い」という信条は相反するもので、それが自分を苦しめてはいないだろうか

仮説3:商業的に成立する、成功するためには、競争に勝つ必要がある、と闇雲に信じて営んでいたりしないか

こんな仮説を立てることができた。

文章にすれば、至極簡単なことかもしれないが、残念ながら、今までこういったいわゆる「社会的な洗脳」と「自分の信条」とのギャップに苦しんできたことに気づけなかった。

そして、それに気がついた私が自分に問うべき問いは

私は本当に、そういう競争の中に身を置きたいのか?

という問いである。

そして答えは冒頭で書いたとおりシンプルで、Noである。
争いごとは嫌い。なるべくなら避けたい。

ではなぜ、Youtubeの視聴者数を伸ばしたいのか。
「人類のコミュニケーションを変えるには、大きな影響力が必要だから」
というもっともらしい理由はつく。

だけど、そのために他のYoutuberと競争して勝つ、ということは私の信条に反するわけで、それをやり続ければ自分自身が疲弊し続けることも明らかである。

あなたが平静な人生を送るために問いたいこと

ここまで、自分のストーリーを話してきたが、お読みいただいている皆さんにも同じ問いを問いたい。

一番になることや、競争で勝つことはあなたの中で本当に大切なことだろうか?

そろそろ「一番になる」ことが最良という「一択」の選択肢、みたいな考え方を捨てたいところだ。

目の前に見える人と何を共創することができるだろうか?

そんな問いに真正面から向かって、大切な人と手を繋ぐ。
もしかしたら、その乗算が人類の大きな変容につながるのかもしれない。

競争して勝つことは世の中的に興味度合いの高いことかもしれないが、それによって苦しんでいる人がいるとしたら、競争から身を引くという選択肢もあるのかもしれない。
小さく産んで大きく育てる、そんなアプローチももしかしたら成立するのかもしれない。

この記事もしかり。
沢山の人に読んでもらい、良い評価を得ようと思ったら、ここからもうひと頑張り、結論をしっかり書いて、アドバイスを3つぐらいのポイントでまとめ、万人受けするような画像を作って、体裁を整えて、なんて手間がきっと必要になってくる。

でも、そんなことより、本当に伝えたいことは、この記事をあなた自身の「思考を深める」きっかけとして使ってもらうことの重要性。
そうだとしたら、綺麗に結論づけることにはあまり意味がない。

この記事のこの文章まで辿り着く人はもしかしたら少ないのかもしれない。
でも、たどり着いてくださった方が思考を巡らすスタート地点になればそれでいいんだと思う。

あなた自身が、社会の求める価値観と自分の関係性や、競争に勝つことの意味、といったことを考え始めてくれていれば、この記事が何らかの役に立ったということになる。

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