見出し画像

最後の花火は最前で🎆最初のライブは後方で (松崎ナオさんのライブに行ってきました)

https://youtu.be/0qzWyOciO0U?si=G2d5Q_STB8ENbqWf


大切な話をします、君は美しい。



いつの間にか僕らも
若いつもりが年をとった
暗い話にばかり
やたらくわしくなったもんだ


まだユニコーン時代の奥田民生 (同学年) が、
そんなふうに歌ったのは 1993年、民生28歳。早生まれのわたしは27歳のときのことだった。


四十歳の歌は秋の歌である、蕭条として心が澄んでくる、あきらめのすがすがしさを身にしみて覚える。自分にどれだけの事が出来るかという見通しがすっかりつく。どんなことは出来ないということも解る。そしてまず、天の定め給うたおのれの職分と、それに対する配分とは、これだけだったのかという見極めがつく。なにしろそれで落ち着いてくる(中略)
昔は、日記をつけながらも、何月何日、晴と書くことは意味をなさないと思った。何となれば、晴か曇かは気象台の日記に委しく書いてある。この日大地震十一時五十八分より突如として起るという、時間の記録は無用であると思っていた。それは日本の歴史に記してあるはずだと考えていた。しかし四十歳の男はもうそうは考えないであろう。日記にあるおのれの生活は世界にたった一つの生活であった。

四十歳の歌 (『福原麟太郎随筆選』研究社出版)より


ただでさえ四十歳が今の六十歳くらいな、昭和初期に書かれた文章などを見つけては、やがて来る人生の黄昏時に、急に絶望することのないようになのか、老いの先取りというか、今から思えば取り越し苦労みたいなことをしていた。

それからさらに8年を経た 2001年、お隣の町のお祭りで、クライマックスに打ち上げる花火🎆がかなりの迫力ものであると聞き及び、5歳の娘と3歳の息子を連れて見物に出かけた。

ひとことで言えば自意識過剰な人生だったので、大人がする究極の火遊び…がもたらす大迫力のアート、打ち上げ花火の美しさに、それまで気がつきもしなかった。

子供が二人とも小学生になった 2005年以降もう20年間、毎年欠かせない家族行事になった。

隣町であることの、どこか後ろめたい感じもありつつ、集まる町民は誰も知らないのをいいことに、そんな人々も風景の一部として、家族と夏の終りの風物詩として。

(あと内心では) 満開の桜と、この花火を、
ぼくはあと何回見ることができるだろう。

毎年そう思いながら。

そして今年、2025年。娘はとっくに独立し、息子は行きたいイベントを優先し、妻も終ることのない猛暑に在宅を選び、初のボッチ参加に。

会社生活、最後の花火。
この日を目標に生きてきた。

喜びをほかの誰かと分かりあう、
それももう充分だ。

小さい子ども、若い夫婦。ジイジ、ばあば。
2005年の、あの日の僕と入れ替わり、
そういう家族をわたしは見ている。

そのとき見てた、初老の男。
(視点の入れ換え可能な人生になった)

行きの道すがら歩きながら、あ~しんどい! と、
何か言ってほしいような、話したいような、
10コ上くらいの先輩ジイサンがいた。
(声をかければよかったと、少し後悔した)



しかしボッチにはボッチの良さがあって。
花火が始まるまで、家ではなかなか集中できなくて進まない、読書の時間にできたし。


2冊を読了。どちらもすごく面白かった!




尾崎豊のファーストアルバム『十七歳の地図』を (つまり『I LOVE YOU』を)、埼玉県でいちばん最初にレコードで聴いたのは自分。無名の新人のデビュー作を、発売日に買いに走ったわたしだと思っている (ちなみに群馬県では同じ行動をした高田博之さん)。

ファンには怒られるかもだが『I LOVE YOU』みたいなバラードは 「それまで聴いた誰かを模して作った」 (© わたし) 「主題となる曲の箸やすめ」 (©妻) に過ぎないと思っているが、テレビでやってた 「音楽のプロが選んだ“最強メロディー”BEST100」の上位に入っていたりする。

それは尾崎のその後の人生と、みんなの 「それ」とが絡まった、音楽における巡り合わせ。

『イノセントワールド』は掛け値なしの名曲と思うが、わたしが Mr.Children (7曲ランクインした) に余りハマらないのは 「字余りソング」 に聴こえることが多いからだと気づいた。ドラマ (タイアップ) も観ないし。こちらの支持も桜井さんの思いとみんなの 「それ」 との巡り合わせ。

などとまた朝から妻に「ぶった」ところから始まった、久々に涼しい土曜日。午前中は月イチのカウンセリング。お昼には会社で長い付き合いになる、イッコ下の先輩 (社歴では) の、話を聴こうと思っていた。ご家族のことや仕事のことで悩んでおられるようなので。

家まであと10分、という所で、帰りは必ず信号待ちになるのだが、左に目を向けると「音喫茶」なるカフェがそこにはあって。いつか行ってみたいと思いながら歳月だけが過ぎていく。

ライブのスケジュールを久々に見てみると明日の土曜日は「松崎ナオ」さんが来るらしい。
「あの歌声」が生で聴けるのか、聴いてみたい。

予約をポチる手が止まった。イッコ下の先輩の予定がまだはっきりしないので。それが決まったらにしよう (と思っていたらリスケになったので、行くと決めたライブに行くと決めた)

「楽しみにしてることってありますか? 」

病院で、先生に訊ねてみた。

「例えば…ライブに行くとか♪」

先生もそうなんだ。

来年からの、お●●が入らなくなる生活に備えて外出を控えていたことで、気づけば唯一の希望 (偶然の出会い) さえ失いかけていた。が、
先生の自己開示のおかげで迷いがふっ切れた。



冬の真ん中、背中がかゆい。
大切な話をします、君は美しい。

松崎ナオさん、初めて聴く曲の、全体像すらわからない歌のパーツ、言葉の一つひとつが刺さってきて、なぜか泣けてしまう。


ドキュメント『72時間』のテーマソングとしてもはやこの曲以外は考えられない程一体化した
『川べりの家』(タイトル知らなかった! が、それって逆に凄いことだと思う) はいつでも頭に鳴らせるしナオさんの声を充分に堪能できたのでセトリになくても構わないと思っていたが…

「この曲で聴きに来てくれた人もいると思うので」 としっかり演奏してくれた (それはやはり特別なものだった)

演奏前のMCで 「この曲、どこかもの足りないと思っていた。でもそれでいいんだ。 パーツは埋った。それがわかった」 みたいなことをおっしゃっていたのが印象的だった。

昼公演にしたので、扉を開ければ外は明るい。

「聴こえてますか?」 「バランスは?」
いつもはバカでかいボリュームでやってるが、今日は小さな音でやる (住宅街のカフェだから?)
と、最初に宣言する松崎ナオさん。

ドラムの鹿野隆広さんとのやりとりでも、音に対する細やかなこだわりが感じられ、それが信頼に繋がった。久々のライブは「音」を楽しみたかったのだ (それはDATやハイレゾだとかトークの部分にも随所に表れていた)

「音喫茶一乗」さんの「音」を大切にしているのが伝わる空間に鳴らされた松崎ナオさんの世界。それゆえ至極の贅沢、至福の時間になった。


行ってよかった!
(と心から思った)

物理的な時間、ニュートン時間というものがないとして、そのことで得られる 「今」 というものがあるとして、僕らは記憶や経験が紡ぐ物語から、そう簡単に逃れることはできそうもない。

今年は太田市美術館で見た展示↓から始まった

他人にはまったく意味を持たないかもしれない、けれどあなたにとっては切実な意味を持つ何か( 以下「それ」)

それ、は続いていく。


シロちゃんが戻ってきた🐱




ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!