カフェラテ≠カフェオレ #シロクマ文芸部
「レシートに書いてある番号を間違えたおかげで、私の人生観は変わりました」
隣の男性は懐かしそうな表情を浮かべている。
仕事帰りに立ち寄るカフェは、エミにとって癒しの空間だ。
今日も仕事で疲れた身体にカフェラテを注ぎ入れ、「ふぅー」と一息つく。
エミの声が聞こえたのか、隣に座っていた男が小さく笑った。
「仕事終わりにここでカフェラテを飲むことが、何よりも幸せな時間なんです」
エミは照れながら、この店でよく見かける中年の男性の方を向いた。
「わかります。私もこの店でカフェラテを飲みながら過ごす時間を、大切にしてます」
男もエミの方を向き話し始める。
「大切に…ですか?」
「はい。私があなたぐらいの年齢のときは、とにかく仕事ばかりしていました。カフェに入ってもパソコンを立ち上げて……仕事ができるスペースぐらいに思っていました」
「そうなんですね」
「ところがある日、レシートに書いてある番号を間違えたおかげで、私の人生観は変わりました」
◇
隣の男性は、竜二という名前だった。
竜二が若いとき立ち寄っていたカフェは、注文したときに番号が書いてあるレシートを渡され、その番号が呼ばれたらカウンターに取りに行くシステムだった。
あるときそのカフェで、竜二は間違えて、別の人が頼んだ飲み物を取ってしまう。
竜二は一口飲んでしまったあとで、同じ番号を何度も呼ぶ店員の声を聞き、間違いに気づいた。
カウンターの前では、スーツケースを持った髪の短い女性が、何やら戸惑ったような顔をしていた。
竜二は慌ててカウンターに向かい、その女性と店員に自分の誤りを詫びた。
その女性はハルと名乗った。
ハルが頼んだのはカフェラテで、竜二が頼んだのはカフェオレだった。
竜二はカフェラテとカフェオレの違いも分からなかったため、飲んだだけでは間違いに気づかなかったのだ。
店の中はかなり混んでいて、竜二は机の上に広げていたパソコンをしまい、ハルに向かいの席に座るようすすめた。
ハルがスーツケースを持っていたので、竜二は旅行かと思い「どちらに行かれたのですか」と聞いた。
「バリ島です」
「南の島ですか。うらやましい」
ハルはまた戸惑った表情をしたが、すぐに真顔に戻りきっぱりと言った。
「バリ島には、仕事で行きました」
ハルはコーヒーの買い付けにバリ島に行ったと話した。
仕事の合間に立ち寄ったカフェで、カフェラテを飲んだことが、その仕事を始めるきっかけだったという。
「当時は仕事が忙しくて、頭がおかしくなりそうでした。とにかく一息つきたいと思って飲んだカフェラテの味に包まれたとき……心がすごく穏やかになって、私は救われました」
ハルは人を救う力のあるコーヒーに興味を持ち、知識を習得し、やがて仕事として携わるようになったという。
「だから仕事が忙しくても、カフェラテとカフェオレの違いがわかるくらいには、味わって飲んでください」
竜二はこのカフェで何かを味わって飲んだことがあっただろうかと思い、自分を恥じた。
◇
「それからは、カフェでパソコンを立ち上げることはしなくなりました」
竜二はエミに微笑んだ。
「おかげで今はカフェラテとカフェオレの違いがわかります」
そう言いながら竜二は、カフェラテを一口飲んだ。
「ハルさんとは、それから会うことはあったんですか?」
エミが聞くと竜二は、
「はい。実は数年後に、偶然入ったお店でお会いしました」と言った。
「彼女は自分の店を出されていて、私はその店でカフェラテを飲むのが、日々の楽しみになりました」
「えぇっ? そのお店ってもしかして……?」
エミがカウンター越しにいる店主らしい女性に目を向けた。
女性は黙ってコーヒーを注いでいる。竜二は優しい目でその姿を見ていた。
小牧幸助さんの企画に参加させていただきました。
