見出し画像

舞台のあかりは、あなたにもゆらめく—— 灯し火の螺旋

—眠れる舞台の記憶—

二十年目の舞台を終え、打ち上げの夜は更けていく。
私はひとり席を離れ、そっと窓を開ける。
いつか見た神社の灯りが、にじんでいるようだった。

木々のさやめきだけが、かすかに舞台をなでる。
再生の灯し火は、静かに息づいていた。
未来を担う"誰か"の手へ——そのときを待って。

岐阜県郡上市明宝気良けら
――水と踊りの町・郡上八幡を流れる吉田川。その源流域に佇む、小さな集落。

その灯りは、奥深い山あいの舞台に眠っていた。

気良歌舞伎けらかぶき

プロの俳優たちによる舞台ではなく、地元の人々が自ら演じる“地歌舞伎じかぶき”だ。

起源はおそらく江戸時代。何世代にもわたって受け継がれてきた。

舞台は神社の拝殿、観客席は境内。

「芝居」

——その言葉のとおり、年に一度の祭りの日、村人たちは、芝の上に腰を下ろして舞台を囲んだ。

衣装は手縫いで仕立てられ、小道具は身近な素材を工夫して作られた。
脚本や演出は、地方を巡る義太夫節の太夫たゆうや三味線奏者から、直に教わっていたという。

私の祖母はいま103歳になる。
彼女がまだ幼なかったころ、秋祭りが近づくと、太夫と三味線弾きが実家に泊まり込んだ。
物語を語る太夫の声、それに寄り添う三味線の調べが、夜ふけまで響いていたという。

ある晩、太夫がふと、こう言った。

「おまんは声がええ。いい役者になれる。」

そのときのことを、祖母はいまも、少し誇らしげに話してくれる。

そして、祖父も気良歌舞伎に携わったひとりだ。
すでに他界しており、もう直接話を聞くことはできないが、かつて「女形おんながた」として舞台に立っていた。

村の古老に言われたことがある。

「あんたのじいさんは、そりゃぁもう、きれいな女形やった。ほんもんの女の人かと思うほどやったわ」

当時の祖父の写真は残っていない。
けれど、1940年(昭和15年)、戦時下の秋祭り——
舞台に立つ祖父の姿が、彩色画として残されていた。
大阪から疎開してきた医師が、描き残したのだという。

それは、ただの絵ではなかった。

誰かの心に、そっと灯りをともす――

気良歌舞伎の舞台が、そこにあった。

小学生のころ、たった一度だけ、父の舞台を見た。

秋のお祭りの夜。
神社の境内は、人でぎっしりと埋まっていた。

むせかえるような熱気。
境内を揺らす太鼓の音。
屋台から立ち上る甘い匂い。
そして、人いきれ、ざわめき。

隣の母に話しかける声も、思わず大きくなる。
胸の鼓動が、じわじわと早まっていく。

キン………キン……キン…キン———。
幕開けの拍子木の音が響く。
黒、柿、萌黄——三色に染まった定式幕が開いていく。

照明に照らされた舞台は、煌びやかだった。
一瞬、目を細めてから、そっとまぶたを開ける。
そこには、白塗りの化粧と絢爛な衣装を身にまとった、いつもとはまるで違う、父の姿があった。

——夢の世界に迷い込んだようだった。
私は、その光景に圧倒され、心を奪われた。

それが気良歌舞伎の最後の舞台となった。
舞台の幕は引かれ、祭りの夜は静寂に包まれる。

けれど、あの夜は、私の中で生きていた。
「伝統」に触れた記憶ではない。
何かに、心を奪われた夜として。
それこそが、私にとって——そして、気良歌舞伎にとっての灯し火だった。


—若者の想い、再生の息吹—

2000年代初頭。村に戻ってきた若者たちがいた。
私もその一人だ。進学、就職。
一度は村を離れた。でも、故郷を想い戻ってきた。

春。炭火の熱に汗を拭いながら、村のイベントであまごの塩焼を振る舞う。
夏。盆踊りの夜、子どもたちの歓声を楽しみながら花火を上げる。
秋。神楽の奉納、となりの先輩の指の動きを必死に真似て笛を吹く。
冬。かじかむ手にふうっと息を吹きかけながら、公民館の屋根の雪下ろし。

どれも、ささやかな営みだった。
笑顔あふれる村を作りたい。
その想いが、私たちをつなげていた。

2004年。「村」が郡上市に組み込まれたのは、そんな時だった。
目に見える風景は何も変わっていない。けれど——
私たちの足元がふわふわする、そんな奇妙な不安が沸いていた。

その翌年のある晩。
私たちは、なじみの店で酒を飲み交わしていた。
いつもの味噌漬けの鶏肉を鉄板で焼く。
じゅうという音、立ちのぼる湯気、香ばしい匂い。
笑い声は絶えなかった。

ふと、誰かが冗談交じりにつぶやいた。

「俺たちで、歌舞伎やれんかな?」

その瞬間、笑い声がやんだ。
私たちは、顔を見合わせた。
胸の奥で、何かが熱くなる。
消えかけていた灯し火が、そっと——ゆらめいた。


私たちは、かつて舞台に立った先輩たちに相談した。

「ええやろ。せやけど、5年はやらなあかん」

その言葉は、私たちの心に深く刻まれた。
継続することによってのみ、本物となる。
それがどれほど難しいことなのか、私たちは身をもって知ることになる。

正直、歌舞伎のことは、何ひとつわからなかった。

私たちは隣町の「高雄歌舞伎」を頼ることとした。
——250年以上、地歌舞伎を続けている団体だ。

地元の銘酒二升を脇に抱え、その師匠のもとへ、いきなり押しかけた。

私たちは頭を下げた。

「…僕たちに歌舞伎を教えてください」

師匠の眉間に皺が刻まれる。
腕を組み、私たちの顔を見回す。
目を瞑り、大きく息を吸い——そして吐いた。

「…稽古はいつからだ」


稽古が始まった。

師匠の眉間の皺は、日ごとに深くなっていく。

——声が小さい。
大きな声を出そうとすれば、リズムが悪くなる。

——腰が高い。
足を大きく前に出そうとすると、重心が高くなる。

——立ち姿が悪い。
もはや、どう立っているのかすら…わからなくなった。

ひたすら稽古を重ねるしかない。
毎晩の反省会。
机に並ぶ空き缶は増えていくばかりだった。

そして会場設営。
安全を考慮して神社ではなく、地域のコミュニティセンターとした。

釘打つ音、材木を運ぶ掛け声が響く。
汗が滴る額をぬぐいながら、差し入れの缶コーヒーを飲む。
みんなの力をあわせて舞台、花道を作り上げた。


—そして、ふたたび幕は開く—

楽屋では化粧と着付けが始まっていた。

顔師かおしと呼ばれるおじいさんと向かい合う。
節くれだった手が顔に触れる。
べっとりと下地の油を塗られる感触。
その冷たさに思わず目を閉じる。

薄目を開けて隣を見ると、仲間の顔に白粉おしろいが塗られていた。
ぽんぽんぽんと白粉たたきが響き、白い粉が光に舞う。

向こうに、セリフを小声で繰り返している後輩がいた。
唇が何度も動き、言い直し、止まり、また始まる。

奥では、先輩がお腹まわりにバスタオルを巻かれていた。
衣装屋が、一本の腰ひもを口に咥え、もう一本を無言で巻く。額には汗がにじんでいる。

ひとりが息を切らせて飛び込んできた。

「お客さん、いっぱいや!」

私たちは顔を見合わせ——うなずいた。

会場は観客で埋め尽くされていた。
——小学生の頃、心を奪われたあの夜。
あの熱気と高揚感が、はっきりと甦る。

キン………キン……キン…キン———。
再生の拍子木の音が響く。
懐かしい三色の定式幕が、静かに開いていく。

幕開けを飾るのは『白浪五人男しらなみごにんおとこ』。

私は、花道へと飛び出した。
舞台がまばゆい光に包まれる。
世界が白く染まる。

稲瀬川を背に、五本の桜が咲き誇る。

客席に大勢の家族、隣人たち。
弾ける笑顔、ざわめきが揺れていた。

あの夜、そっとゆらめいた灯り。
その火は——静かに、たしかに、ともっていた。


—息子との忘れられない舞台—

続けることは簡単ではない。
本業、家庭、稽古、準備、片付け。
時間を確保するのは難しい。
口論になったこともある。

けれど、私たちはくじけなかった。

いくつもの笑顔。温かい大きな拍手。家族のまなざし。

それが、私たちの原動力だった。


私にとって忘れられない演目がある。
——12年前の「盛綱陣屋」。

まだ幼かった息子と共に舞台に立った。
息子は、父のために自ら命を絶つ少年を。
私は、その少年の祖母
——彼の最期を見届ける役を演じた。

襖を開けた瞬間、照明のまぶしさに目が眩む。
白足袋の右足を一歩踏み出す。ぎし、と床がきしむ。
客席には、いくつもの視線が、じっと並んでいた。

息子が登場する。
小さな役者の登場に、会場の空気がやわらぐ。
しかし、物語が進むと、ふたたび空気が張り詰める。
彼の白塗りの顔には汗が浮かび、紅がじわりとにじむ。

最期のとき、彼を抱き寄せた。

汗に濡れた衣装の手触り。
苦痛に嚙み締められた唇。
かすかな声が、震えながら漏れた。

彼の目が、私を見た。

その一瞬——

魂が、慟哭した。

客席には、妻、両親、祖母の姿があった。
舞台に立つ家族。そして、見守る家族。

——あの夜の家族写真は、今も玄関に飾られている。


—新たな舞台との出会い、未来への布石—

「もっと多くの人に届けたい」

——その想いは、画面の向こうへと静かに滲みだしていった。

2012年、SNSでの発信を始め、翌年には、YouTubeチャンネルを開設した。

何気のない普段の稽古の写真に「いいね」がつく。
ぎこちなさの残る、昔の映像も、再生回数が増えた。
スマホの画面の通知が灯るたび、胸が熱くなった。

ある日、遠くの地歌舞伎団体から突然DMが届いた。

「動画をDVDにして送ってもらえませんか」
見慣れない送り主の名前に、胸が高鳴った。

まだ見ぬ世界と、静かにつながった。

——ポスターも変えよう。

それまでは、ただ日付と出演者の名前が記された簡素なものだった。

私は、移住者の元デザイナーに協力を求めた。
出演したこともある彼は言った。

「気良歌舞伎の舞台って、すごいですよね…」

彼は何度も問いかけた。
演目に流れるテーマは何か。
代表するセリフはどれか。
そして——何を伝えたいのか。

私は、台本をめくる手を止めた。
一か所を指さし、言った。

「……これや」

彼はまばたきもせず見つめている。

そして、すうっと、あごに手をあてた。

彼が手がけたポスターは、ひと目で空気を変えた。

歌舞伎の伝統的な色使い。
それでいて近代的なテイスト。
大胆で、洗練されていた。

気良歌舞伎が何者かを語る、ひとつのアートだった。

ガソリンスタンドの窓に貼られた一枚のポスター。
おつりを待つ運転手が、ちらりと目を向けた。

「……これ、気良歌舞伎?」

いつの時代にも、心に灯りをともす舞台がある。
見つめるまなざし、描き残す手がある。
生み出された作品が、また——誰かの心に触れる。

そうか――

ネットも、デザインも、私たちの——新たな舞台だった。


—伝統は静かに生まれる—

気良の山あいに、木造の旧小学校と講堂が佇んでいる。
1937年(昭和12年)建築、文化財にも指定されている建物。
閉校となってからは、民俗資料館として使われていた。

旧校舎には、⾐装やかつら、⼩道具——数百点におよぶ収蔵品が棚の中に眠っていた。

対して、講堂はがらんとしていた。

2016年初春、私たちに声がかかった。
「講堂を歌舞伎の品々で飾ってくれないか?」

毎週末、みんなで講堂に集まった。
⾐装や紙鎧を飾り、大名屋敷の背景幕をかける。
数々の小道具も、一つずつ並べていった。

3月末、「気良歌舞伎展」が幕を開けた。

SNSで知らせると、遠くからも人が訪れた。
やわらかな日差しが入りこむ木造の講堂。
祖父たちの遺したものが、じっと佇んでいる。
あの時代の気配が、息づいていた。

私たちは仮設舞台も設置した。
講堂が芝居小屋の雰囲気をまとう。
そこは私たちの稽古場にもなった。

その秋。
私たちは、市長に出演を依頼した。
驚いたことに、市長はそれを受けてくださった。

子どもを迎えにくる、ただの村人役。
それでも何度も稽古に足を運んでくれた。

公演前の楽屋。
私たちとお揃いのTシャツを着る市長の姿があった。
長机を囲み、家族が差し入れたオードブルを一緒につまむ。

市長は、隣にいた子役に屋号を尋ねていた。

「したばんだ、だよ」

と、子役が答えると、市長は割りばし袋に走り書きをした。

そして、本番。

市長が舞台に登場した瞬間、ざわめきが、さざ波のように広がっていく。

 市長はセリフにアドリブを加えていた。

「しもばんだ、の子どもは器量よし」

一瞬、会場は静まり返った。

市長は「したばんだ」を「しもばんだ」と間違えていた。

場内はすぐに笑顔で包まれた。

市長の手には、割りばし袋が、ぎゅうっと握られていた。
——そこには「下ばんだ」の文字があった。

子役を抱いて花道を走る市長に、拍手が降り注ぐ。
そのとき、舞台は——みんなのものになった。


—静けさの中に、名乗りの声が響く—

2020年の春。
奇しくも、世代交代の年だった。 若き座長、若き執行部。
新たな舞台の幕を開けようとしていた。しかし——

緊急事態宣言。
世界が、静寂に包まれた。

しかし、舞台は途絶えさせない。
困難な時ほど、舞台には意味がある。

私は若い執行部に伝えた。

「ピンチをチャンスに変えよう」

私たちには、すでにYouTubeチャンネルがあった。

「観客が来られないなら、こちらから届ける」

無観客での収録と映像配信に踏み切った。

稽古で使っている講堂。
素朴であたたかい空気をまとっている。
昔ながらの芝居小屋のようだった。
客席や楽屋はない。
けれど、撮影だからこそ——ここでできる。

私たちは暗幕を張り、照明を調整した。
舞台セットもすべて手作りで仕上げた。
木くずが舞い、塗料の匂いが鼻を刺す。
マスク越しの息が熱く、言葉は少ない。
それでも、手はとめなかった。
仲間とともに、ただ黙々と、つくり続けた。

コロナは人と人を隔てた。
でも、私たちの心の距離は、ぐっと近づいた。

演目は『白浪五人男』。
思い入れのある「稲瀬川勢揃い」。
加えて、今回は「浜松屋」にも挑戦する。
弁天小僧は新座長。脇は実力者たちだ。

稽古は、これまでにない経験だった。
検温、マスク、声がこもる苦しさ——。
それでも誰ひとりとして諦めなかった。

SNSには「応援しています」のコメントが並んだ。
「クラファンの新聞記事を見たよ」と声も掛けられた。
私たちの想いが、静かに伝わっていった。

9月、私たちは無事に収録を終えた。
その1週間後、公演はYouTubeとケーブルテレビで同時配信された。

自宅で家族と並び、その映像を見つめた。
家族と画面越しに”観る”気良歌舞伎。
新鮮で、どこかくすぐったい体験だった。

SNSには、見知らぬ人々から、いくつもの声が届いた。
「あなたたちの姿に、勇気をもらった」と。

戦時下。祖父たちの舞台は、疎開してきたひとりの医師の心に届いた。

そして、コロナ禍の夜。私たちの舞台もまた、画面の向こうにいる誰かの心に——。

舞台のハイライト、「浜松屋」の名場面。

娘に化けていた弁天小僧が、ふてぶてしく向き直る。
長い赤の煙管を口に咥えて、ふうっと煙を吐く。

——そして、高らかに叫ぶ。

「知らざぁ言って、聞かせやしょう」

それは、静寂の世界に響く、私たちの名乗りの声でもあった。


—過去といまが、ひとつの物語になる—

翌年の秋の公演も中止となった。

秋の講堂で、ひとり静かに台本をめくった。
「通し狂言」という文字に、胸の奥が熱くなった気がした。
——無謀だろうか。

講堂をぐるりと見回す。
自分たちの手で作った花道、大道具。
新調した照明、定式幕。

やれるかもしれない。
いや——やるしかない。

選んだのは、『仮名手本忠臣蔵』。三大歌舞伎のひとつだ。
三段目と九段目を新たに撮影する。
これまでの記録と、これからの挑戦をつないで、ひとつの物語にする。

三段目の「江戸城松の廊下」は、地歌舞伎では馴染みのある演目。
問題は九段目の「山科閑居」だった。

深い心理描写と美しい舞台様式——挑むには、覚悟が必要だった。

11月下旬、総稽古の夜。
太夫と三味線弾きとの、はじめての合わせ。

冷える講堂に、石油ストーブの熱がじわりとにじむ。

太夫が、いつもの明るい口調で言う。
「長いこと語ってきたけど、こいつは難しいわ」
台本には、びっしりと真新しい筆入れの跡が見えた。

寡黙な三味線弾きが、ぽつりと呟く。
「もう四十年も前や」
道具箱から、和紙で綴られた本を出した。

「…俺の師匠が、いっぺんだけ、教えてくれたんや」

墨で書かれた三味線譜が、静かに並んでいた。
彼は、かすれた墨の跡をそっとなぞる。
ふうっと吐いた息が、白く溶けていった。

稽古は、夜更けまで何度も続いた。


そして、収録の日がやってきた。

舞台は、冬の京都・山科——

あたりはうっすらと雪が積もり始めていた。
白い紙吹雪が、ひらひらと舞っていた。

低く、静かな語りが、空気を震わせる。
白無垢の娘の手を引く、母親の深紅の着物が映えた。

雪のように、三味線の音色がしんしんと降る。
そして、太夫の語りが悲劇の始まりを響かせた。
三味線の調べが、氷のように冷たくなる。
やがて、激しさを帯びる。
早く、高く、そして——深く。

運命に翻弄された人たちの、想いがぶつかり合う。

白く冷たい世界の中——
心の火花が散った。
それは、私たちの覚悟と挑戦、その結晶の輝きでもあった。

幕が閉じる。

太夫は、恭しく台本をいなだき、深く頭を下げた。
三味線弾きは、やわらかな和紙の譜面を、ゆっくりと閉じた。

ひとひらの紙吹雪が、また——
ひらりと舞った。


—夢がかたちになった日—

芝居小屋を作る——。

最大の課題は楽屋だった。
化粧、着付け、出番直前の心の準備――。
あの「舞台裏の空間」が、ここにはなかった。

ひとつアイデアが浮かんだ。
旧小学校の会議室を楽屋として使おう。
そして、講堂との間に、「渡り廊下」をかける。

自分たちで屋根を架け、床を敷いた。
旧校舎と講堂とを結ぶ廊下が、ついに完成した。
まさに夢の架け橋だった。

2023年の公演は、地域の人たちのためだけの特別な舞台とした。
SNSでの告知はせず、広報は地域内の回覧板や口コミのみにとどめた。

この講堂が「芝居小屋」として本当に使えるのか——まずは試してみよう。
そして何より、この芝居小屋の誕生を、いちばん最初に、地域のみんなと分かち合いたかった。

公演当日。

笑顔と拍手が会場に満ちた。
子どもからお年寄りまで、にぎやかな声とともに講堂の扉をくぐっていく。

「この講堂に入るのは久しぶりやな」

年配のおじさんが目を細めて懐かしそうにつぶやいた。

かつて子どもたちの声が響いていた講堂に、再び賑やかな時が戻った。

一方、舞台裏では——。

慌ただしい足音と鋭い声が飛び交っていた。

幕間まくあいの舞台転換。

「ちゃんと持たんと危ないやろ」

汗だくの司会者に、黒衣が耳打ちする。

「まだ時間かかるから、間をつないで——」

司会者の顔がみるみる真っ青になっていく。

公演後。ほうきを手に、床を掃いていた。
ふと手を止め、舞台を見上げる。
——幕間に立てた町屋のセットが、斜めに傾いていた。

傾いた柱に近づき、そっと手のひらで撫でる。

完璧じゃなかった。でも、それすら楽しむ。
…まあ、気良歌舞伎、らしい——か。

渡り廊下に風が吹き抜け、入口の扉が——カタカタ、と鳴った。


—祝祭、二十年の想いが舞台に集う—

2024年。
気良歌舞伎復活20年の記念の年を迎えた。

この懐かしくて新しい芝居小屋を「気良座」と名付けた。
そして、思い切り華やかな「こけら落とし公演」を開くことを決意した。

公演当日。

昼間に会場準備をしていると、開演時間の5時間前にもかかわらず来場者が現れた。「埼玉から来ました」と。
その後も人が続々と集まり、芳名帳には東京、名古屋、新潟、金沢など、全国からの名前が記されていた。

新調した提灯が、気良座の夜を煌々と照らしはじめる。
開演前には会場が満席となり、立ち見が出るほどの賑わいとなった。

キン………キン……キン…キン———。
祝祭の拍子木の音が響く。
あでやかな新しい定式幕が、ゆっくりと開いていく。

稲瀬川に咲き誇る桜が現れた。
——幕開けは、二十年前と同じ『白浪五人男』。
今回の主役は小学生の女の子五人だ。

舞台袖には、光を待つ小さな影が並んでいた。
肩が、かすかに揺れる。

最終稽古のあと、泣いていた子。
何度も、何度も、声に出して練習した子。
父や兄の背中を追いかけてきた子。
それぞれに、乗り越えてきた壁があった。
背中に触れる手があり、見守るまなざしがあった。

ドンドン——出番を知らせる、太鼓の音が鳴った。

花道へ——
一歩、踏み出す。
まばゆい光に包まれる。

彼女たちは、もう「子ども」ではなく——役者だった。

小さな役者たちが見得を切る。
おひねりが宙を舞い、拍手が波のように広がっていく。

美しい五本の桜が——大きく咲いた。

舞台袖の母親たちの手には、濡れたハンカチが握られている。
——そこには、声にならない祈りが、そっと染み込んでいた。

二幕目は『絵本太功記 十段目』。

たびたび演じられてきた、大切な演目。
主役の光秀には、着実に経験を積んできた中堅の役者を起用した。
だが、歴代の座長が演じてきた役を継ぐ——その重圧は計り知れない。

朝、通勤の車の中で、プロの役者の音源を聞く。
夜、ひとりになれる空間を求めて、また車を走らせる。
その声に向き合い続けた。

彼の覚悟と努力は、舞台のうえで確かに昇華された。

何十回、何百回、何千回と向き合った、その声。
抑揚、緩急、間、リズム。
すべてが、彼の声とひとつになって、木造の天井に響きわたる。

首筋をつたう、一筋の光。
振り上げる刀、大きく踏み出す足。
すべてを込めた、渾身の見得。

そこに、若手の情熱、脇役の熟練の技。
それらが加わり、すべてが調和して——
舞台全体がひとつの呼吸で動き出した。

じわりと拍手が起きはじめた。
光秀の肩の震えに、大きな息づかいに、幕引きの太鼓の音に——
拍手が静かに共鳴し、残響が、舞台を包んだ。

幕が引かれた後。

——熱を帯びた息づかいが、そっと漂っていた。

三幕目は『仮名手本忠臣蔵 七段目』。

二十年前からのメンバーが中心の舞台。
主役の大星由良之助を演じるのも、そのひとり。
彼がずっと演じたいと願っていた特別な役だ。
相棒の平右衛門には私が指名された。

舞台は京都・祇園のお茶屋。

小唄、三味線の音色に舞台が華やぐ。
息の合ったやりとりに、ご当地ネタのアドリブ。笑いが起きた。
けれど、いきなり悲劇へと物語は加速していく。

会場の空気が張り詰め、息を呑む声が混じる。

ついに本心を明かす由良之助。
裏切者を引きずり出して、襟元を掴んで組み伏せた。

気良座のすべてのまなざしが、由良之助に釘付けとなる。

握りしめられた扇子を、大きく振りかぶって、一閃——。

刹那、灯りのほのおが——天を衝いた。 

生の舞台、芝居小屋の呼吸、みんなの想い。
――その場にしか生まれない一体感。

幕切れの拍子木が一丁、鳴る。

キン——。

私の胸が、大きく脈を打った。
まぶたに、汗か涙かわからない一滴。
——ぽたり、舞台の板に落ちた。 
あたたかい拍手とともに、にじむように染みていった。

終演後、出口で観客を見送る。
会釈する人、声を掛ける人、握手をする人。
みんなが微笑んでいた。

最後の観客が去った。

秋の涼しい風に、真新しい赤い提灯がそっと揺れている。

深く息を吐き、胸に手を当てた。
舞台の灯り、その熱が——じっと残っているようだった。


—あかりは、まだ見ぬ舞台へ—

衣装を脱ぎ、化粧を落とす。
近くの公民館でささやかな打ち上げを開いた。

缶ビールで乾杯し、公演が終わったことを祝う。

いつもの味噌漬けの鶏肉を鉄板で焼く。
じゅうという音、立ちのぼる湯気、香ばしい匂い。

二十年の歩みを笑って振り返った。

いつしか、机には空になった缶が並んでいた。
向こうで、何人かが静かに立ち上がる気配がする。
やがて、私の前に、ひとり、またひとりと腰を下ろした。
今日、端役として舞台に立っていた、私たちの息子らだった。

笑い声が止み、静けさが降りる。
視線が、彼らに集まる。

ひとりが、ごくり、と喉を鳴らした。

やがて、その彼が代表して、声をあげた。

「…僕たちで、『白浪五人男』をやらせてください」

そこには、二十年前の客席——
稲瀬川の桜を見上げていた、あどけない彼らの面影があった。

そのまっすぐなまなざし。
確かに灯りが、そっとゆらめいていた。

昔を思い出し、ふっと口元が緩む。

みんなが様子を見守っている。

私は、わざとらしく眉間に皺を寄せ、仰々しく腕を組んだ。
目を閉じ、大げさに息を吐き——
師匠の口調を真似て言った。

「…稽古はいつからだ?」

その瞬間、笑い声が一斉に弾けた。


夜は賑やかに更けていった。

私はひとり席を離れ、そっと窓を開ける。
吹き込む風に、木々のさやめきがのる。
その先に——神社の灯りが、やわらかくにじんでいた。

遠くから、若者たちの歓声が届く。
静かに瞬く星空を見上げる。
どこまでも、空はつながっている。
はるか遠く、海の向こうまでも。
私は、まだ見ぬ舞台に想いを馳せた。
——あの灯りは届く。

誰にでも、どの場所にも、いつの時代にも、眠っている舞台がある。
あかりがゆらめく日を待っている。

――あなたにも、きっと。

#創作大賞2025 #エッセイ部門

いいなと思ったら応援しよう!