未熟なる者の管理者への道①
個人的な意見ですが、医療・教育・福祉といったインフラに従事する者には専門性が求められると考えています。
…いや、考えていました。
私は現在、福祉業界に勤めています。
前職は製造業で20年近く勤務しており、福祉とは無縁の就労・生活をしていました。
ちょっとしたご縁から、福祉の中でも障がいを抱える方々の社会参加を支援する業務に就いて、ようやく1年半ほどの月日が流れていきました。
障がいとは、何なのか?
検索することもなく生きてきた人間にとって障がい者福祉の世界は、視野や思考の拡張だけでなく、価値観や世界観、さらには私自身の存在意義をも変えてしまうような、ある意味でカルチャーショックを与える世界でした。
障がい者は、健常者と呼ばれる者と比較して決して何かが劣っている者ではなく、むしろ、私たち以上に感覚や感性が優れているがゆえに社会において生きづらさを感じていることも多くあることに気づきました。
そして、専門的知見を以って支援する立場の福祉職の人間の中にも、私たちが日常の中で目にするような、社会福祉の精神を感じられない人間がいることにも気づかされました。
右も左も分からない状態から、少しずつ視界が開けてきたとき、私は非常に「歪んだ世界」だと感じるようになっていきました。
さまざまな理由があるでしょうが、おそらくは一般的な「普通」や「平均」といった、原色を淡いパステル調にする要素が少ないことが挙げられると思います。
強い個性を持つ障がい者と、それを抑えようとする支援者。
「個の力」が問われる時代で、あまりにも保守的な体制…。
私が今の職業を選んだ理由の一つが、この保守的な体制の変革を画策する、一つの集団のトップからの誘いからでした。

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「今度、新しく事業を立ち上げるんだけど、もしよかったら一緒にやらない?」
社会人大学生として、起業や経営を学んでいた私にとって、それはとても魅力的な勧誘でした。
障がい者福祉業界の現状や文化・風土など、当時は全く知りませんでしたが、今地域にないブルーオーシャン的なサービスを提供するというビジネスモデルを聴かされてワクワクしたことを今でもはっきりと覚えています。
…まあ、一年半前のことですしね(笑)。
私が大学で学んだことや、お聴きしたビジネスモデルで気づいた点などを意見交換しているうちに、そこで働くイメージしか見えないようになり、ともに障がい者の社会参加の手助けをすることにしたのです。
ともあれ、どんな事業であれ、現状を知る必要がある。
私にとっては未知の領域であった、障がいを抱える方たちとの日常が始まったのです。
さて、障がいには、基本的には三つの類型が存在します。
視覚・聴覚障がいや肢体不自由者、内部障がい(内臓機能などの障がい)などの「身体障がい者」。
生まれつき、もしくは成長の過程でIQ(知能指数)が、一般社会で生きるには困難であると判断される「知的障がい者」。
そして、社会の一員として生きていく中で、社会の本流に呑まれてしまった「精神障がい者」の三類型です。
…「発達障がいはどうなるの?」
そんなふうに感じる方もいるかもしれません。
発達障がいは、現在では診断された段階で、精神障がい者と同様に「精神障害者保健福祉手帳」が発行されます。
しかし、まだ精神障がい者が福祉制度の庇護に置かれるまでの間…、つまり、精神障害者保健福祉手帳のない時代には知的障がい者と同様の「療育手帳(地域によっては”愛の手帳”)」が発行されていました。
ですから、発達障がいを抱えても、「発達障害者手帳」なるものは、現段階では存在しないため、身体・知的・精神の三類型から、障がいは「三障害」と分けられているのです。

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約7カ月の間、私は福祉的支援が無ければ生きられないような重度の障がいを抱える方たちの支援をさせていただきました。
わずかな期間ではあるものの、この経験が「なぜ福祉的支援が存在するのか?」という基本的な疑問を払拭してくれたと感じています。
障がいを抱えるということは、「普通」や「平均」から外れた生活を余儀なくされるということです。
医療行為を必要としないから医療的支援ではなく、教育の充実で社会参加が可能になるわけではないから教育的支援でもなく、ただ、その人がその人らしく生きる「福祉=しあわせ」のための支援が求められるのです。
身体障がい者は、脳機能が私たちと何ら変わらない方も多く、ハンディキャップが目に見えることから理解も得やすい傾向にあります。
もっとも、それでも合理的配慮が無ければ、社会での生きづらさはありますが…。
知的障がい者についても、重度であるほどに周囲から障がいを抱えていることが理解できますから必要な配慮も受けやすいと言えるかもしれません。
むしろ、軽度の知的障がい者の場合は、周囲も本人でさえも障がいであることを理解していないことも多く、苦しまれることもあるでしょう。
そして、もっとも母数が多く、もっとも個人差が激しく、もっとも社会的理解を得にくいのが、精神障がい者だと私は考えています。
精神障がい者は医療と福祉の両面からの支援が必要であり、一般的な社会的生活を送ってきた者も多くいるため、社会参加できないジレンマを感じやすいのではないかと感じています。
就労というカタチで社会参加や社会貢献できる能力があっても、社会的に排除されるリスクも背負わなければならないことが多いからです。
例えば、うつ症状が強く出ている状態で生産性向上のために作業速度を上げることは難しいと言えるでしょう。
しかし、投薬や周囲の環境の変化によって状態が緩和されれば、生産性向上が可能な人財でもあるのです。
本人が、作業の出来ている部分を認めて欲しいと思っても、会社は利益を求めていますから、作業が出来ない部分があることを評価します。
結果、うつ症状を理由に会社に居づらくなり退社してしまうといった話を、私たちは耳にする機会があるでしょう。
本人の努力と自己理解、周囲の合理的配慮と障がい理解。
障がい者福祉において、就労支援と呼ばれる事業では、この両面をサポートすることが求められており、当然に専門性があればどちらにも手厚い支援ができるはず…。
…そう思っていましたが、そうではない現実もあるのだと知り、必ずしも知識や技能の専門性があればよいというワケではないことを痛感しました。
そこには、支援者も人間であるという当たり前でありながら、もっとも根深い課題が潜んでいたのです。
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ということで、途中ですが、今回の投稿は以上です。
「未熟なる者の管理者への道」は、これまでの記事のリメイクを含め、シリーズとして書き進めていこうと考えています。
障がい者福祉とは無縁な方にとって、今回の記事は対岸の火事程度にしか感じられないかもしれません。
ですが、わずか1年半で一つの事業所の管理者に抜擢されてしまった私の葛藤と、これから醸成させていくビジネス的思考は、きっと別の職業に就かれていても共感できる部分があると思います。
毎日連載する予定はありませんが、時間を捻出しながら、可能な限りあるがままを書いていこうと思いますので、これからもよろしくお願いします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
