それでも続けるワケ
先日、タイトル画像のようなお知らせをいただきました。
1000日まで、あと100日です(当たり前w)。
長く続けていると、当然にフォロワーさんも長期連続投稿者が増えるので、900日という日数にそれ以上の意味を感じなくなります。
長く続けられたことよりも、そこで出会った多くの方に感謝です。
さて、先日、とあるnoterさんとのやり取りで、投稿を続ける意味を考える機会がありました。
私自身、つぶやきで連続投稿をどうにか保っていることも多いものです。
最初の頃は、誰しもが続けることに意味を求めることでしょう。
しかし、続けるほどに、そこに意味は在るのかと懐疑的になることがあります。
何かに充てられるはずの時間を費やして投稿する意味。
時間がないからとつぶやきで延命するかのように投稿する意味。
私自身、続けることの答えは未だ出ずにいます。
ですが、このような考えは、続けているからこそ考えられるとも思うのです。
意味があるのか、ないのか…。
分からないからと途絶えさせた瞬間に、答えのないまま幕を下ろす。
そのような状態が、果たして私の本懐なのか?
この答えだけは「否」であると断言できます。
どんなことも、最初から意味のあることの方が少ないと思うのです。
続ける意味とは、「在る」か「無い」かではなく、続けることで「生まれる」のだと思うのです。
このnoteというサービスで言えば、続ける意味を生み出す存在は、きっと自分自身ではなく、記事を通して出会えた他者なのではないでしょうか。
価値とは、他者の評価があって成立するもの。
たとえ自分本位の投稿でも、誰かが足を運び、何かを感じられたのなら、あなたの記事に価値がつくのです。
連続投稿を止める理由は様々あります。
それでも続けるのは、私の記事からどのようなモノが生まれるのか、その行く末を見たいという、ただそれだけのことなのです。
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いつも足を運んでくださる皆様、たまたま訪れてくださった方々、本当にありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
