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香りが充満する店から始まった、金曜夜の小冒険

金曜日。

仕事の定時終了と同時に、私たちの小さな冒険は始まった。

正確に言えば、始まりは職場での何気ない会話だった。

私がお香や香りものが好きだという話をしたところ、同僚もお香が好きだということで、思いのほか話が盛り上がった。

香りの話というのは不思議なもので、ただ「いい匂いですね」で終わらない。

落ち着く香り
懐かしい香り
少し背筋が伸びる香り
雨の日に合いそうな香り
夜にひとりで焚きたくなる香り

匂いは目に見えないのに、人の記憶や気分を思った以上に簡単に連れていってしまう。

そんな話をしているうちに、同僚がおすすめのお香のお店を紹介してくれることになった。

店の名前は、ここでは直接は書かないでおこうと思う。

ただ一つだけ言うなら、そこはまさに、
香りが十満するお店
だった。
たぶん、漢字が違う。
でも、その時の私の感覚には、この「十」という字が一番しっくりきていた。
分かる人には分かるかもしれない。

仕事終わり、駅へ向かって少し急ぎ足になる。

金曜日の夕方というだけで、体は疲れているはずなのに、心だけは妙に軽い。

電車に揺られながら、これから向かうお店のこと、好きなお香のこと、香りの好みのことを話す。

そして到着した店内には、たしかに良い香りが漂っていた。

いや、漂っていたというより、重なっていた。

あちらにも香り
こちらにも香り
棚にも香り
箱にも香り
空気そのものにも香り

お香のお店なのだから当然なのだけれど、香りの種類があまりにも多い。

良い匂いではある。

良い匂いではあるのだけれど、情報量が多い。

そこで私は、つい言ってしまった。

「ちょっと鼻がうるさいかも」

我ながら、日本語としては少しおかしい。

鼻は本来、うるさいものではない。

うるさいのは耳である。

けれど、その時の感覚としては、それ以上にしっくりくる言葉がなかった。

音が多すぎると耳が疲れるように、香りが多すぎると鼻の中でいろんな情報が同時に話しかけてくる感じがした。

同僚はその一言で、私が何を言いたいのか一発で理解してくれた。

「たしかに」

その反応がまた面白かった。

日本語としては変なのに、表現としてはあながち間違っていない。

むしろ、少し変だからこそ、妙に正確だったのかもしれない。

店内でいろいろな香りを楽しみながら、同僚とあれこれ話す。

香りを選ぶ時間というのは、単なる買い物というより、少し自分の内側を探る時間に近い。

今の自分は、どんな香りに惹かれるのか。

落ち着きたいのか
懐かしみたいのか
背中を押されたいのか
ただ、静かになりたいのか

そんな中で、同僚が金木犀のお香を買ってくれた。

金木犀

秋の夕方のような、帰り道のような、どこか懐かしい香り。

ありがたい
この不思議な表現を借りるなら、家で大事に燃やしてみようと思う。
お香とはそういうものなのだから仕方ない。

お香のお店を後にした私たちは、もう一人の同僚と合流して外食へ向かうことになった。

行き先は、その同僚の家の近く。

聞けば、スカイツリーの近くなのだという。

それなら、ご飯を食べたあとにスカイツリーにも寄ってみよう。

そうして私たちは、新たな目的を胸に、あるいは腹に、再び進み出した。

電車を降りて、同僚に近所のお店をいくつも紹介してもらいながら歩く。

ここも美味しい
あそこも良さそう
あれも気になる
こっちも雰囲気がいい

選択肢が多すぎると、人は幸せに迷う。

最初に目に入ったのは、スムージー屋さんのようなお店だった。

そこで見かけたサンドイッチのようなものが、妙に気になってしまった。

バナナ
ベーコン
ジャム

組み合わせだけ聞くと、少し不安になる。

けれど、不安になるものほど気になることもある。

そのまま別のお店も見て回った。

たくさん歩いて、たくさん迷って、あれこれ見て、結局、私たちは最初のほうに見たあのスムージーのお店へ戻ることにした。

こういうことは、わりとある。

最初に気になったものは、やっぱり最後まで気になっている。

恐る恐る注文し、食べてみる。

すると、これが驚くほど美味しかった。

バナナとベーコンとジャム。

頭ではまだ少し理解が追いついていないのに、口の中ではすでに成立していた。

さらに、ご飯の入ったチキン系のメニューも食べてみた。

こちらはさらに美味しかった。

少しアメリカンな雰囲気のある店内。

右隣のモニターからはマイケル・ジャクソンが流れていた。

店内には心地よいDJのリズムも響いていて、食事をしているだけなのに、少しずつ身も心も整っていくような感じがした。

美味しいものを食べる

いい音が流れている

気の合う人たちと話す

それだけで、金曜日の疲れは少しずつほどけていく。

実に美味しく、実に楽しく、実に心地の良いお店だった。

帰り際、店主さんに美味しかったことを伝えた。

そして心の中で、DJのお姉さんにもリズムへの感謝を送った。

さて、次はいよいよスカイツリーである。

道中、いろんな角度からスカイツリーが見えた。

近づくたびに見え方が変わる。

細く見えたり、急に大きく見えたり、建物の間から顔を出したり、空に向かってまっすぐ立っていたり。

何度も見たことがあるはずのものでも、誰かと歩きながら見ると、また少し違って見える。

良さそうな場所を見つけては写真を撮る。

少し歩いては話す

また見上げる

また写真を撮る

夜のスカイツリーは、ただ高いだけではなく、周りの空気まで少し特別にしているようだった。

その後、私たちはスカイツリーそのものではなく、その隣にある建物の30階にあるスターバックスへ向かった。

アイスコーヒーを片手に、同僚たちと夜景を眺める。

今週は大変だったね

今日は楽しかったね

スカイツリー綺麗だね

夜景も綺麗だね

そんな話をしているうちに、気づけば閉店時間になっていた。

一週間の終わりに、こんな時間があるのはいい。

特別な予定を何週間も前から組んでいたわけではない。

ただ、お香の話で盛り上がって、
おすすめのお店に行って、
金木犀のお香をもらって、
ご飯を食べて、
スカイツリーを見て、
夜景を眺めながらアイスコーヒーを飲んだ。

それだけといえば、それだけ。

でも、こういう「それだけ」が、あとから思い返すと妙に残る。

唐突な思いつきが、唐突に特別な思い出になることがある。

金木犀のお香、ありがとうございます。

大事に燃やさせていただきます。

スカイツリーツアーの案内も、本当にありがとうございました。

金曜の仕事終わりのひと冒険。

香りが十満するお店から始まり、鼻がうるさい夜を抜けて、最後は夜景の中で静かに終わった。

今週も、お疲れ様でした。

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