【イラストで見る】大名屋敷の門図解
今回は江戸にかつて集中していた大名屋敷(江戸藩邸)の門のお話をしたいと思います。
江戸は町人の町というイメージがある方もいらっしゃるかと思います。しかし、江戸の町家は全体の約15%に過ぎません。実は大名や武家などの屋敷が約70%を占めていたのです。残りは寺社で約15%を占めます。なぜ江戸に大名屋敷が集中しているのでしょうか。
それは参勤交代という制度があったからです。参勤交代とは地方の大名が江戸の将軍にあいさつして領地に帰ることです。一度、江戸に来たら1年間は江戸に滞在しなくてはなりません。(大名の配置によって差はありました。)そして1年経てば地方に帰るのですが、また1年後に江戸に行かなくてはならないので、大名人生の半分は江戸で過ごすということになります。将軍にあいさつするだけじゃん、と思うかもしれませんが移動手段が徒歩となると移動するだけで莫大な費用がかかりました。薩摩藩は移動だけで2か月、費用はなんと約15億円も掛かったといわれています。そんなコスパ悪い話、いいのでしょうか?いいのです。諸大名が力を蓄えて謀反を起こさせないように財力を削ぐことが幕府の目的だったからです。関ヶ原の戦いによって遠隔に配置された外様大名ほど効果抜群という、ある意味家康政権の伏線を回収する結果となったのです。
全国の諸大名が参勤交代で江戸に滞在する際、拠点にしていたのが江戸の大名屋敷(江戸藩邸)です。屋敷には主に上屋敷、中屋敷、下屋敷の3種類がありました。上屋敷は江戸に来た藩主の住居、中屋敷は隠居した元藩主や先代藩主の未亡人などの住居、下屋敷は別荘や倉庫などの様々な役割がありました。そんな江戸に集中していた大名屋敷ですが、現在はどれほど残っているのでしょうか。
答えは0軒です。悲しいことに東京には1つも残っておりません。関東大震災や東京大空襲、インフラなどによって屋敷自体が現存することはないのです。
なので今日の記事はここまでです。ありがとうございました。
というわけにはいかないので写真が少ない中、わたくしイラストを描いてみたのでそれをもとに楽しんでいきましょう!

江戸に大名屋敷が残されていないのにトプ画の門はなんなんだよ、というお話ですが、実は大名屋敷の門であれば、わずかながら現存しています。少し紹介いたしますと、まずはトプ画の写真は旧因州池田家の屋敷表門です。こちらは現在の上野公園に移築保存されており、その外観から「黒門」と呼ばれています。ん!?「黒門」といえば「赤門」も思い浮かびますか?東京大学のシンボルとして有名な赤門ですが、かつては加賀藩前田家の屋敷でした。その御守殿門があの本郷キャンパスの門ということになります。ちなみに将軍家の姫が嫁いだ家だけに門を朱色に塗ることが許されていました。加賀藩では第13代藩主、前田斉泰が徳川11代将軍家斉の娘、溶姫を迎えたので赤い門になったのです。
他にも西教寺表門(姫路藩酒井家からの移築)、山脇学園志の門(岡崎藩本田家からの移築)、幸国寺山門(田安徳川家からの移築)などがあげられます。ぜひめぐってみてはどうでしょうか。

さて、そんな大名屋敷ですが、その表門には大名の石高によって格式がありました。そもそも大名とは1万石以上のお武家様を指します。1万石とはおおよそ1年間で人口1万人を抱えているということです。100万石では1年間に人口100万人を抱えるということになります。その大名の石高の大きさに比例して門も立派なものとなります。特に両サイドの番所に唐破風(からはふ)を用いる門は格式高い門と言われています。
江戸初期には豪華さを競うように派手な門が幾多もありましたが、明暦の大火以降、質素な門が多く登場します。明暦の大火は1657年に起きた大火災で当時の将軍は4代家綱でした。ちょうど幕府の政治もこの4代家綱のころに転換期を迎えます。それは武断政治から文治政治への転換です。さきほどの旧因州池田家屋敷表門(黒門)のような質素な門はその治世をあらわしています。
もう少し門について触れたいと思います。

福井藩江戸上屋敷は「大手門」という江戸城正門の真正面にあったお屋敷です。江戸城正門の前という最高にロックな立地なのですが、松平忠昌という人物が住んでいました。彼は徳川家康の孫で3代将軍家光の従兄にあたる人物です。徳川家の親戚であったため、そのお屋敷もすこぶる立派で半端ないのです。屋敷の門は出入りする者の身分によって格式があり、台所門は藩主や大名クラスの来客に用いられ、御成門は将軍様に用いられました。この屋敷を生で見たい!しかし当然ながら現存していない…と悲しんでいるそこのあなた!なんと東京都墨田区にある江戸東京博物館で復元の模型が見られるのでぜひ、足を運んでみてください。
(江戸東京博物館は現在、全面的な改修工事を行っています。開館時間などはあらかじめご確認ください。)https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

いかがだったでしょうか。屋敷が東京に残されていないからこそ、その中で現存する門は際立って最高なのです。門以外にも庭園などの屋敷跡地は残ります。例えば、清澄庭園(旧下総関宿藩下屋敷)、浜離宮恩賜庭園(旧甲府藩下屋敷)などがあげられます。また、時代は大正時代ですが、旧宇和島藩伊達家が建てた屋敷の門が大名屋敷の風格を残した門で見ることができます。現在では東京都小金井市にある江戸東京たてもの園という江戸東京博物館の分館に移築されています。それらを実際に歩いてめぐってみるのも最高に面白いと思います。
今回は以上です。最後までお読みいただき誠にありがとうございました。イラストが見にくい場合はお手数ですが、以下のPDFを印刷して紙で見ることもできます。
それではまた次回!よろしくお願いいたします。
