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【気づき】退場していく登場キャラ達と僕

MDコンポのイジェクトボタンを、最後に押したのはいつだろう。

ミニディスク(以下、MD)。
あの小さな、正方形のケース。
シャッターをスライドさせて、コンポに差し込むときの「カシャッ」という音。
録音ボタンを押して、テレビの前でじっと待つ時間。

僕たちの「保存」は、MDだった。

好きな曲を借りてきて入れて保存して
タイトルをラベルに手書きして
あの小さなケースに、自分だけのベストアルバムを詰め込んでいた。

通学カバンの中に、MDケースを3枚入れていた。
ポータブルMDプレーヤーのイヤホンコードが、
いつも制服の内ポケットから腕を這っていた。
授業中にこっそり片耳で聴くあのスリル。(あれ多分ばれてんだよね…)

あの「モノ」としての実感が好きだった。

だが、MDは、消えた。

正確に言えば、まだこの世に存在はしている。
でも、もう誰も使っていない。
生産は終了し、対応機器もほぼなくなった。
CDから変わるのかと思ったらCDはまだ残っている。強すぎである。
新人に聞いたら「MD…?」と怪訝な顔をされた。悲しすぎである。

消えたのは突然じゃない。
じわじわと、気づいたら棚の奥に追いやられ、
いつの間にか部屋から、そして世間から、人生から消えていた。

同じことが、他にもたくさんある。

ビデオテープやカセットテープ。着メロサイト。
着メロを16和音とか32和音で打ち込みで作った興奮。
あとテレホーダイもか。
ダイヤルアップ接続の「ピーガガガガ」という音。
電話かかってきて通信がとまったり、色々で無理やりやめるあの感じ。

僕たちの青春を形作っていたものたちが、
ひとつ、またひとつと、世界から退場していく。

その度に、自分の中の何かも一緒に消えていくような、
言いようのない寂しさがある。

これは単なるノスタルジーだろうか。

たぶん、そうだ。
でも、もう少し正確に言えば、
「自分が好きだったものが、この世界にもう居場所がない」
という事実への寂しさだと思う。

MDが好きだった自分。
ガラケー(そもそも当時はガラケーとは呼ばないか)の着メロに興奮した自分。
着うたフルを友人や好きな子で1曲ずつ振り分けたあの感じ。

その自分自身が、「もう存在しない世界」の住人になっていく感覚。

生きているのに、文化的にはもう「過去の人」になりつつある。
30代半ばでこの感覚が来るとは思わなかった。

でも、少しだけ救いもある。

MDに入れていた曲は、今でもサブスクで聴いている。
曲は残っている。思い出も残っている。
MDというメディアは消えても、そこに入っていた「時間」は消えていない。

あの頃の通学路の空気。制服の内側を這うイヤホンコード。
片耳で聴く、こっそりとした音楽(古文)の時間。

それらは、MDのイジェクトボタンと一緒に消えたわけじゃない。
僕の中に、ちゃんと残っている。

モノは消えるし、メディアも消える。または壊れる。
でも、それに触れていた時間の手触りは、消えない。

そう思わないと、
この先もっとたくさんのものを見送ることになる人生に、
耐えられない気がする。

そういえば、あの頃のMDどこ行ったかな。
実家の押し入れの奥にでも、まだあるだろうか。
といっても家に再生機器はもう無いんだけどね。

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