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40歳

現在のパートナーは絶賛厄年を走っている。何も無いこと祈りながら日々過ごすしかない。私の厄年を書く前に少し厄年の由来を調べてみる。平安時代に貴族の間で広まり、江戸時代に庶民にも定着したそう。元々は「災難が多い年」というより、人生の節目で「地域社会の役目」を任される「役年(やくどし)」であり、それを無事に乗り越えるための通過儀礼・年祝いの側面が強く、現代の「厄払い」は心身の変化が大きい時期を乗り切るための知恵として継承されているそうだ。気を揉みがちだが案外由来を見るとそうでもなさそうである。
私の厄年40歳は五年交際した十四下の恋人Aを捨て十下の青年Bへ乗り換えた最低の年である。Bとは出会い系アプリで知り合った。家が百メートルも離れていないところにBは住んでいて当時私が深夜に添い寝を募集したところBが声を掛けてくれた。Aとは日頃のすれ違いもあり寂しかったというのが言い訳である。最低の所以。Bとはその夜手を繋ぎたわいもないことを話しながら添い寝をした。据え膳食わぬは男の恥とも思ったが私が募集したのは添い寝だったのでがっかりされぬよう体を交わすことはなかった。朝目覚めて二人で一服し連絡先を交換し帰宅した。朝日に照らされた彼はとても美しい眼をしていたのを憶えている。
私は五年も連れ添ったパートナーがいるにも関わらず彼が気になるようになり次の週末も食事に誘った。一頻り飲んだり食べたりした帰路で「夏らしいことしたいですね。公園で線香花火でもしませんか?」と彼から提案をもらった。この時から好きだったのだと思う。都会だからか近所のコンビニにもスーパーにも見つからず渋々アイスを買って公園で食べて解散した。
帰宅して横になり天井を見つめていると彼と夏らしいことにリベンジしたくなった。勢いで電話をし近所の公園にいま再び呼び出しブランコで酎ハイ飲みながら旅行に誘った。今思えばいよいよ心の病気なのではないかと思う行動である。パートナーがいることは伝えていたので迷っていたが友達としてと割り切れたのか承諾してくれた。
まだ暑い9月に頭に福島の土湯温泉へ行った。たまたまSNSの記事で若者がリノベした古い旅館が紹介されていたのを見て彼に提案すると福島の震災復興の一助の意味でここにしようと言ってくれた。宿は洗練されていたがまだまだ旅行者が少ない場所だったので開放感があり気持ちが良かった。あまり調べず行った旅だったにも関わらず全てが偶然で想像を凌駕する景色との出会いだった。ひとつひとつが感動の繰り返しだった。帰りの車を運転する彼の横顔は夕陽に照らされ美しかった。福島駅に向かう道の途中で彼からはっきりと告白された。旅行の昂りに乗せた告白は思考を鈍らせ答えられなかった。帰りの新幹線は見えないように手を繋いで家路についた。
二週間後にパートナーと別れ彼の元に告白に行った。最低の行い故か殆ど記憶がない。記憶が残るのは交際を始めて三ヶ月後のスイス出張だ。彼を起こさないように出発し到着した成田空港のトイレで下着に白いシミが付いているのを見つけた。男性なら分かると思うが残滓かと思いそのままスイスに向けて旅立った。現地に着き仕事を始め休憩中にトイレに行った際に白いシミが大きく黄色になっていたことに気づいた。性器から膿が出ているようだった。ネットで調べ身に覚えのない性病を疑った。発熱もしたがスイスの薬局に薬はなく民間療法のハーブを頂いた。当たり前に服薬したものの効果なく仕事をやりすごした。四日の滞在中この状況の根源が何処にあるのか考えても心当たりが見つからなかった。だが公衆トイレなどでも感染しないことはないとの文字を拾い不思議と彼を疑うことはなかった。
帰宅後彼に話し二人で病院にいこうと提案した。今でも理解できていないが慌てた彼は誰かに電話をしだした。ベランダの窓越しに聞こえる会話は性病かもしれないから検査した方がよいという内容だった。相手が誰だか気にするよりも先ずは検査と思い病院へ向かった。結果はクラミジアとのことだった。思い返すと彼はしばしば変な咳をしていた。処方箋をもらい二人で帰宅した。部屋で沢山の会話をした。彼が身に覚えがないことを願って念の為確認もした。残念な回答だった。付き合う前からのセフレがいること、関係は細く続いていること、相手も近所に住んでいること、嘘みたいな不貞をしていたこと。その場で携帯を見せてもらった。電話の相手はその方だった。笑うしかなかった。ビー玉みたいな目の輝きはなんだったのか。私の決断は何だったのか。
今となれば彼という厄を落とせた厄落としだったような気がしている。あるいは私の中の厄そのものが消滅できたのか。いずれしろ人生でこれほどメンタルを削った出来事はない。今でも彼を思うと胸が苦しくなる。パートナーには厄年を穏やかにやり過ごしてほしいと願う。

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