日本語はカタカナ外来語に取って変わられるのか?
しばらくぶりの投稿になります。
前の研究室での仕事の論文化(めでたくオンライン掲載されました!)やもう一つ残しておいた仕事の論文執筆、現在の研究室での研究など研究活動で忙しかったのと、そちらに集中していたこともあって、noteの記事のためのネタを考える余裕が無く、しばらく投稿できないでいました。
5/11よりおよそ3週間、ビザの更新のため、日本に一時帰国中です。
後半、ちょっと長すぎたかなと後悔しつつも、海外生活が長引くと、その分、免許証など色んなものの更新が必要になってくるため、結局少し長めに休暇を取っております。
その分、帰米したら土日も働くわけですが…。
さて、日本に帰国している間に思ったこと
それが、今回の記事のタイトルにあるようなカタカナ・英語が頻出するようになったことです。
いくつかのサブタイトルに分けて記事を書いていきますので、今回も最後まで読んでいっていただけると幸いです。
頻出するカタカナと英語表現
日本に帰国して一番に印象に残ったのは、この数年でもさらにカタカナ語や英語が街中に溢れるようになったなということです。
基本都内で生活していたので、東京都内に限ったものかもしれません。
昨今、海外からの観光客が増えているため、アルファベット表記を合わせて店名を書いているお店が増えた(例えば、'Ramen restaurant'など)のとは、別に、です。
そもそも、日本の国民性として、英語を苦手とする一方で外来語(特に西洋)への憧れが強いというのもありますが、それを差し引いても今回感じた違和感は異常だと感じるものでした。
例えば、「イマージョン」、「ハートウォーミング」、「リスキリング」など。
これまでは、日本語では表現しにくい、日本語に該当する外来語がない時にカタカナを当てることで外来語を表現していたと思うのですが、
今では相当する日本語があるにもかかわらず、カタカナを当てて外来語(特に英語)を表現する始末です。
そもそも、英語ですらよく意味を分かっていないのにそれを無理やり英語で表現しようとする、しかもカタカナという英語からはまた離れた表現方法で言語を表現してしまうやり方は、一体誰が理解しているのだろうと首を傾げずにはいられませんでした。
ちなみに、イマージョンは「没入」、ハートウォーミングは「心温まる」など十分に日本語で表現できるはずです。
第二言語に触れるからこそ感じる母語の重要さ
グローバル化が進んだ現代、特に英語を使えることは、日本国内に留まらず、世界規模で仕事をするために重要であることは自明です。
そうすることで、自身の働ける市場規模や価値を高めるために英語を学ぶ日本人は今も多くいることでしょう。
自分も研究をアメリカで行う都合上、英語は日常会話や論文の読み書きに必須の言語です。
そのため、渡米してからは英語の勉強に少なからず時間を費やしてきました。
これに加えて、現在はスペイン語を趣味程度に勉強しています。
しかし、そうやって第二・第三言語を勉強する中で気づいたのは、母語である日本語をもっと大切に上手に使うことでした。
それはひょっとしたら、自分が自身の研究成果を国内で発信する際に、日本語で、言葉で、文字で発信をするからかもしれません。
その時に、研究者あるあるなのですが、英語表現が先に出てきて、日本語が出てこなくなる。これは自分はどういうことを言わんとしているかはもちろん分かっているのだけれど、聞き手は果たしてどうでしょうか?
学生の反応などを見ていると、大体はポカンとした感じで聞いている。
ひょっとしたら単純に興味がないからかもしれない。
これは同じ研究分野あるいは近しい研究分野(つまり同じ土俵で)で話をしているからまだマシな方だと思います。
これが一般社会に向けられた時、カタカナ語(それは往々にして専門用語であるため)だけではほとんど理解されないでしょう。
仮に専門用語でなかったとしても、例えば、皆さんは普通に生活している時に、突然「イマージョン型最新映画」というタイトルを見た時に何をイメージするでしょうか?
これとは対照的に「没入型最新映画」あるいは「世界観に浸る最新映画」と言われた時はどうでしょうか?
ちなみに、意味を分かっている自分ですら、「没入型」や「世界観に浸る」と言われる方が瞬時にイメージが湧きます。
(ここもイメージではなく想像と使った方がよかったのかもしれません)
さらに、漢字のいいところとして、一つ一つの単語の意味がなんとなくでも分かっていれば、熟語が意味しようとしていることがおよそ推察できることです。
せっかく、ひらがな、カタカナ、漢字という常用文字数だけでも2,000語以上の言語を扱っている唯一の国民なのですから、カタカナ一辺倒に頼らず、もっとその利便性を活かすべきです。
日本語的表現は失われるのか?
以上のようなある種の反発意識を抱いたのと同時に、日本語表現が段々失われていくのではという悲しみがよぎりました。
誰かが言っていましたが、言語はその国が持つアイデンティティ(固有性・自己性)の一つです。
もっとも重要なアイデンティティと言っても過言ではないかもしれません。
外来語への憧れは自分も中高生の時に感じていたものですが、その濫用は一方で母語の語彙を失わせることにも繋がるかもしれません。
数年後に、例えば、「没入」という単語を使っても「どういう意味?」「そんな賢そうな言葉使っても分からない」といった会話が行われるようになってしまった時には、少なくとも自分は自分の国のことを嘆くことになってしまうような気がしてなりません。
繰り返しになりますが、我々日本人は、書き物で表現するに至っては、ひらがな、カタカナ、漢字という他の国には到底真似できないほど多くの文字を用いて表現をすることが可能なのです。
普通の会話をカタカナで表現することにより、カタコト感を出したり、逆にあえてひらがなを使うことで漢字のカタさを軽減したり。
特に何も考えず、「外来語がかっこいいからカタカナ使って表現してしまえ」と短絡的になるのではなく、文字を使うこと、ひいては母国語で表現をすることの意義を改めて考え直すのがいいのかもしれません。
写真は、UnsplashのRedd Franciscoが撮影した写真のRedd Franciscoが撮影したイラスト素材。
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