修正とは、「言われたところ」を直す仕事ではない
修正指示が入る。
「ここをもう少し速く。」
「このポーズを大きく。」
「ここで止めたい。」
もちろん、その指示は直す。
でも、本当に直すべきなのは、その一点だけではない。
一つ修正を入れると、その前後には必ずほころびが生まれる。
勢いが変わる。
軌道が変わる。
止まり方が変わる。
そして、リズムそのものが崩れる。
だから、修正箇所だけを直しても、映像全体で見ると、どこかに違和感が残る。
その違和感に気づき、前後まで含めて調整し直すことが、アニメーターの仕事だ。
「何を変えたいか」と「どこまで直すか」は別の視点
ディレクターは、「何を変えたいか」を示してくれる。
一方で、「どこまで調整すれば映像として成立するか」は、実際にデータを触るアニメーターにしか見えない。
だから修正とは、指示を再現する作業ではない。
変化によって崩れたバランスを見つけ、映像全体をもう一度成立させる仕事だ。
キーを捨てる勇気
そのためには、せっかく打ったキーにも執着しない。
前後のキーを残したまま辻褄だけを合わせようとすると、どこかに無理が生まれる。
必要なら、迷わず捨てる。
一度作ったものを壊すのは勇気がいる。
でも、守るべきなのはキーではない。
映像そのものだ。
新人の頃は、私も言われた場所を直すだけで精一杯だった。
指示された箇所さえ直せばいいと思っていた。
前後がおかしくなっていることにすら、しばらく気づけなかった。
でも経験を重ねるうちに、本当に評価される修正は、指示された一点ではなく、その修正によって生まれた違和感まで消し切ることだと気づいた。
修正が上手い人は、手数が少ない人ではない。
必要なら組み直すことをためらわず、最終的に「最初からこうだった」と思わせる映像に仕上げられる人だと思う。
修正とは、穴を埋めることではない。
穴がなかったように見せることだ。
