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湯気の向こうに、自分を見つける ── 岡山・備中高松「スープの平屋」滞在記

 新幹線の喧騒を岡山駅で脱ぎ捨て、吉備線──桃太郎線という愛称がどこか幼い記憶を呼び起こす単線に揺られること約20分。備中高松駅に降り立つと、そこには街全体を潤すように張り巡らされた水路と、歴史の重みを静かに湛えた風景が広がっていた。

 駅から少し歩いたところに、その場所はある。「スープの平屋」という、少し変わった名のシェアハウスだ。

 古い平屋の引き戸を開けると、まず鼻をくすぐったのは、醤油と出汁、そして根菜がじっくりと熱を帯びた、なんともいえない甘い匂いだった。
「おかえりなさい。いま、ちょうど大根が柔らかくなったところですよ」
そう言って笑う住人の手元には、使い込まれた大きなステンレスの鍋がある。ここでは「食べる」ことが単なる栄養補給ではなく、一つの「儀式」のように大切にされている。

この家の中心には、いつもスープがある。

 備中高松の肥沃な土で育った不揃いの野菜たち、近隣の農家から「お裾分け」として届いた旬の恵み。それらが一つの鍋の中で、互いの個性を溶け合わせながら、ゆっくりと時間をかけて馴染んでいく。その様子は、この屋根の下で暮らす、背景も職業も異なる住人たちの姿そのものに見えた。

 平屋という構造は、不思議なほど人の心を平坦にする。階段という上下の隔たりがないせいか、住人同士の視線はいつも同じ高さで交わる。誰かが野菜を切るトントンという規則正しい音、鍋がコトコトと鳴るリズム。それらが心地よいBGMとなり、家の中に「余白」を生み出している。

 縁側に座り、湯気の立つボウルを両手で包み込む。一口啜れば、身体の奥底から強張りが解けていくのがわかった。

 都会での暮らしは、まるで「名詞」の羅列のようだった。役職、年収、所有物。けれど、この平屋で流れる時間は、もっと瑞々しい「動詞」に満ちている。「刻む」「待つ」「分かち合う」「味わう」。そんな根源的な営みの中心にスープがあることで、ここでは誰もが飾らない自分に戻ることができる。

「明日は、何を煮込もうか」

 そんな会話とともに更けていく高松の夜。窓の外では、古(いにしえ)から続く水路が、さらさらと絶え間なく水を運んでいる。混ざり合い、溶け合いながら、明日への糧を蓄えていく。

 「スープの平屋」は、お腹を満たす場所ではない。一杯のスープを媒介にして、自分の中に忘れかけていた「静寂」と「豊かさ」を取り戻すための、現代のシェルターなのだ。

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