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「君たちはどう生きるか」解読~decode~

製作期間7年。広告宣伝一切なし。スポンサー無し。の異例づくめで大ヒットを飛ばした宮崎駿監督の集大成「君たちはどう生きるか」。
ストーリーはわかりやすいですが、「何を伝えたいのか、よくわからなかった」という感想も多い今作。たくさんの考察がなされていますが、皆さんはどこまで理解しましたか?

知識がないとわからない部分や、ほとんど触れられていない部分を解読~decode~していきます。面白いですよ!
また見返したくなること間違いなしです。

ここから先はネタバレを含みますので、作品を見ていない方は鑑賞してから進むことをお勧めします。鑑賞をしているという前提で解説していきますのでご了承ください。




宮崎監督は3つのストーリーを同時に見せている!?


今作は3つないし4つのストーリーを同時に見せているんじゃないかと思います。1つの映画にいくつものレイヤーが重なって実は3つの作品を同時に見ていた!と言われたら、理解できないのも頷けますね。

LAYER1 物語

これは見た通りのストーリー。
病気の母を亡くした眞人は戦時中に疎開することになる。父の修一は母の妹と再婚。現状に馴染めず、受け入れきれない少年眞人は、自傷行為に及ぶ。
その後、大叔父が作った不思議な塔の中で、キリコに案内され死の世界を体験します。そして、インコに支配された世界で若き母ヒサコ(ヒミ)と共に、義母ナツコを救い出そうと奮闘します。
最後には、大叔父からこの世界を継いでくれと頼まれますが、眞人はそれを断り、義母ナツコを連れて現実世界に戻ってくる、成長の物語。

LAYER2 宮崎駿自伝

主人公の眞人は、宮崎駿。その宮崎駿の自伝的なストーリーになっています。アオサギはジブリでずっとタッグを組んできた鈴木敏夫氏。塔の中の大叔父は、憧れて尊敬していた高畑勲氏。高畑勲監督は、この「君たちはどう生きるか」の製作中に逝去します。映画では、そんな高畑氏を追い求めてきた宮崎監督が、高畑氏に別れを告げ、現実を受け止め、向き合おうとする宮崎監督の心情を描いているように見えます。
眞人と同じように、宮崎監督の父親が軍事産業で稼いで不自由のない暮らしをしていたという事実。さらに宮崎監督が6歳の頃、母親が結核を発症し、以後9年間にわたり寝たきりの状態になって触れ合う事が出来なかった。これも眞人と同じ様な境遇ですね。(宮崎監督の母はその後回復し1983年に71歳で亡くなります。)

LAYER2.5 宮崎ジブリの歴史

映画の中に、いままで宮崎駿監督が手掛けてきた数々の作品のセルフオマージュのシーンがたくさん見うけられます。見た方は、「あ、このシーンは!」と気づくことも多かったのではないでしょうか?
「天空の城ラピュタ」のパズーを思わせるシーンや「千と千尋の神隠し」のシーン、「もののけ姫」の捌くシーンなどたくさんありましたね。詳しく解説している動画などもあるので見てみると面白いと思います。
さらには、宮崎駿監督が影響を受けてきた数々の作品がちりばめられています。吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」はもちろんの事、「王と鳥」、「白雪姫」を思わせる7人の婆や達。などなど
宮崎監督が作ってきた作品、影響を受けた作品を、ふんだんに入れ込むことで、宮崎駿監督自身を映画に落とし込んだんじゃないでしょうか。

LAYER3 死と生の物語

死と生と自己成長の話。
とても説明が難解なのですが、不思議の国のアリスが描く精神的覚醒の世界観。ダンテの神曲をモチーフにした、死と再生のメッセージ。旧約聖書を思わせる描写。
塔の中を旅して成長して帰ってくる眞人ですが、様々な苦難を乗り越えていくには、何が大切なのかという強烈なメッセージを読み取ることが出来ます。
そしてそれは、「生と死」ではなく「死と生」の順番が大事だと思われます。

他の方があまり触れていない、このレイヤー3を中心に解読していきたいと思います。


『失われたものたちの本』

影響を受けた本として、ジョン・コナリーの小説『失われたものたちの本(The Book of Lost Things)』がエンドクレジットに流れていました。

失われたものたちの本

この本の導入はこのような感じです。

主人公デイヴィッドの母は長い闘病の末に亡くなります。彼は本に現実逃避をし、物に声を聞くなど異常な現象を体験します。父の再婚に怒り、異母弟ジョージの誕生にも心を閉ざすようになります。やがて、母の幻影のような声に導かれ、庭の壁の裂け目から異世界へと入り込みます。

まさに「君たちはどう生きるか」の世界観と同じですね。

物語でデイビッドは、異世界の王から「失われたものたちの本」を奪取します。そこに書かれていた『王が現実逃避をしたことへの後悔』を綴った内容を読み、現実世界へ戻る決意を固めます。

そして母の死を受け入れ、空想世界を通して現実と向き合う力を得ることになります。

「失われた~」には映画と同じように、父親と再婚相手がキスをするシーンもありますし、母親が読んでいた本に主人公が出会うシーンもあります。映画でのアオサギの役柄は、オオサギ(ねじくれ男)が担っています。

この本が大元になります。この話を元に宮崎監督がどういったメッセージを乗せたのか?そこが大切になってきそうですね。


自傷行為

眞人は、勤労奉仕に駆り出される地元の子供達とのケンカの後、石を拾って自分の頭を傷つけます。この後から、眞人はアオサギと話しができるようになり、幻覚を見ているような体験をしていきます。
この場面、右の側頭部を傷つけることが大事だったようです。なぜなら、死の世界のキリコも右の側頭部に傷を負っていたからです。

キリコ

シルビウス裂

脳にはシルビウス裂(溝)というものがあります。
右脳の側頭葉にあるシルビウス裂を刺激すると「幻聴や幻覚を見たり」「時間が止まったような経験」「体外離脱や臨死体験をしたり」するそうです。誠に奇妙ですが、人間の脳には、そのような機能が備わっています。

ですから、傷を負ってからの眞人は変な体験をするようになりましたし、塔にも入れました。キリコさんは若いころに同じように側頭葉を傷つけた(または死に近い体験をした)事があるので、眞人と一緒に塔に入ることが出来たのだと考えられます。
シルビウス裂に興味が沸きましたら、ホムンクルスで有名なペンフィールド博士を調べてみてください。

この脳の働きは、「人が死に直面したときに作動する機能」だそうで、映画的にも「死」を強調しているのだと思います。

死の象徴

眞人がキリコに案内されてたどり着いた大きな船の甲板には、真っ直ぐな木が立っていました。
この木は糸杉で、キリストが磔にされた十字架に糸杉が使われたという伝説があることや、墓場によく植えられることから、死や喪の象徴とされています。
表向きには「ここが死の世界ですよ、墓場ですよ。」という雰囲気作りです。
もう一段深読みすると、「死」の世界の「死」の象徴ですから、逆に「誕生」の意味にもなります。ですから、作中でも、この場所から「ワラワラ」達が空に生まれに行くのも頷けます。

DNA螺旋のように天にのぼるワラワラ


ナツコが居た場所

禁忌と呼ばれる場所

死の世界で、禁忌と呼ばれた場所にナツコは居ました。そこは石で作られた墓の前でした。子供の誕生と墓石という真逆の組み合わせの理由も先ほどと同じです。
死の世界の墓は、誕生
誕生を意味するなら、ここはナツコの子宮とも言えます。

映画では、ここで初めてナツコのことを眞人が「母さん」と呼びます。
ナツコが「あなたなんか大っ嫌い、出て行って!」というセリフは、『現実世界の懐いてくれない連れ子に対する感情』と、『大叔父が作ったこの世界を私の子供に継がせなければいけない』という物語上の本音と、『あなたは早くここから出なさい』という優しさと、何重にも重なった複雑な表現になっています。言葉とは裏腹な優しさを感じ取って、眞人は「母さん」と叫んだのです。

その後眞人は、ナツコを救い出せずに
子宮とも言えるこの場所から倒れこむように出ます。つまり「ナツコの子宮から生まれた」という儀礼的な演出で、物語の中でちゃんと親子関係が結ばれた事を表していると思われます。

LAYER3的に言えば、「生」「誕生」の象徴です。
生命の誕生は尊く神秘的で、母と子の絆を深く刻むものだと、監督は言いたいのではないでしょうか?

生贄のヒミ

眞人のお母さんのヒミ(母ヒサコ)が、生贄にされるためにカプセルに入れられました。LAYER2.5的に言えば、これは白雪姫のオマージュです。

白雪姫

白雪姫の小人達が7人なら、映画の中のお手伝いのお婆さんも7人でしたね。
「失われたものたちの本」にも主人公が逃避した本の1つに白雪姫が出てきます。いくつも登場する本の中で「なぜ白雪姫がチョイスされたのか?」


白雪姫も死と復活のお話。
毒リンゴを食べて死にますが、王子のキスによって生き返ります。このカプセルのモチーフ1つとっても、「死と生」がテーマだったと教えてくれています。

全てのアオサギは嘘つきである


キリコが、眞人とアオサギになぞなぞを出します。
『全てのアオサギは嘘つきだとアオサギは言ったが、それは本当か?』
とってもコミカルなシーンで和みます。こんなワンシーンでも裏の意味があります。

これは旧約聖書が元の出典です。

わたしは『全ての人は嘘つきだ!』と言った。ダビデは本当のことを言ったのか、それとも嘘をついたのか? 全ての人が嘘つきというのが本当なら、ダビデの言った「全ての人は嘘つきだ」は真実ということになるが、するとダビデも嘘をついていることになる。彼も人間だからである。しかし、彼が嘘をついているなら、彼の言葉「全ての人は嘘つきだ」は真実ではないということになる。しかし、全ての人が嘘つきだから彼も嘘をついたとすると、彼の嘘は異なる種類のものとなる

旧約聖書の詩篇116:11

これは「自己言及のパラドックス」と言われているものです。自己言及の象徴ってなんだかご存じですか?自己言及の象徴は『ウロボロス』です。

ウロボロスは自分の尾を飲み込む竜であり、自己言及の象徴。その輪っかの形状から永遠性の表れでもあります。
凸である尾と凹である口が繋がる様は、男性性と女性性を表しています。つまり、誕生・再生の象徴です。

こんな、なぞなぞのホンワカシーンでも、「死と生」のテーマから外れることのない宮崎監督。こだわりが凄い。

大量のペリカン

なんでペリカンなの?と思った方も多いはず。ペリカンは、お腹がすいたらなんでも食べようとして、口に入らないようなキリンにでも食らいつく、アホ過ぎる鳥ですが(笑)、象徴的には印象が全然違います。

母鳥は自分の右胸を突いて血を流し、その血を死んだ雛にふりかけて生き返らせる。

イメージシンボル辞典

お解りのように、ペリカンは「復活」や「生」の象徴です。また、親の愛も象徴します。そういう意味で不死鳥のモチーフとも言われています。作中にも不死鳥が描かれているシーンがありましたね。

ちなみにこれが転じてキリストの象徴ともなりますが、せっかく象徴を抜き出したんですから、また神話に放り込むのはやめましょうね。

母の愛に触れる

「死と生」ばかりだと重くなっちゃいますので、ちょっと素敵な演出をご紹介します。

眞人は死の世界で、若き母ヒサコ(ヒミ)に会います。この時に、たっぷりのジャムを塗ったパンを美味しそうに食べます。
このジャムには「TOMORROW」と書いてありました。
これは不思議の国のアリスに出てくる

Jam tomorrow and jam yesterday, but never jam today.

「明日と昨日にはジャムはあるけど、今日はない」という皮肉めいた言葉です。いつまでたっても今日のジャムは無いという事で、実現されない約束という意味があります。

母が作ってくれた料理を、昨日(過去)の母に会った事で食べることができた。本当なら実現出来ない事を、眞人は不思議な死の世界で叶えました。

自伝的にいうと、宮崎監督の母は結核にかかり、9年間触れる事も出来ずに育ちました。
楽しそうな食事のシーンは『幼かった宮崎少年が触れる事が出来なかった母の愛に触れている』、そんな感動的で素敵な演出でした。


いよいよ核心に迫ります。

ダンテ『神曲』

アオサギに導かれて、眞人は異世界に進もうとします。洞窟のような入り口には詩の一説があります。

『fecemi la divina potestate』
『聖なる威力、比類なき智慧』

これはダンテの『神曲』地獄篇第3歌の冒頭の一文で、地獄の門の頂に記された銘文です。

私を通って、悲しみの都へ入れ、
私を通って、永遠の苦しみへ入れ、
私を通って、失われた者の群れの中へ入れ。

正義は、私の崇高な創造主を動かした。
聖なる威力比類なき智慧と、
原初の愛が私を造った。

私の前に造られしものは、永遠なるものの他にはなかった。
私もまた永遠に在る。
ここに入る者は、一切の希望を捨てよ。

『神曲』地獄篇第3歌

神曲には「聖なる威力、比類なき智慧と、原初の愛が私を造った」とあるはずなのに、入り口に彫られた碑文には、「原初の愛」が入っていませんね。
「君たちはどう生きるか」の地獄は、愛のない世界だとも言えますし、その1つ欠けた「愛」を探す物語だとも言えるのだと思います。

ちなみに彫刻で有名なロダンの『考える人』は、「地獄の門の上に座り、地獄を見下ろして熟考するダンテ」です。

地獄の門(ロダン作)(国立西洋美術館)と考える人

ここで、ダンテ「神曲」のおさらいをしましょう。

暗い森の中に迷い込んだダンテは、そこで古代ローマの詩人ウェルギリウスと出会い、彼に導かれて地獄、煉獄、天国とを遍歴して回る。煉獄の山頂でウェルギリウスと別れ、そこで再会した永遠の淑女ベアトリーチェの導きで天界へと昇天し、見神の域に達する。
という「死をめぐって神の領域に達する」というお話でした。「君たちはどう生きるか」のストーリーと同じ流れですね。

ボッティチェッリ地獄の図 1490年

ダンテの神曲には数字の秘密が隠されています。

構成は全3部構成(地獄篇・煉獄篇・天国篇)で、各部33歌で構成されており、序歌1歌を含めて全100歌。
全ての音節が11の詩を3行書いたもの。つまり33音節。

最初に登場する動物は3体。3人の導き手によって案内される。ケルベロスの頭は3つ。煉獄の階段は3段。裏切者は3人‥

地獄界は9層、天国界も入れ子上に9層。天国で9人の女神が行く手を示す。9つ目の原動天では9つの火焔が舞っている。天使の数も9

煉獄界は7つの円錐が重なっている。7つの大罪が登場し、7つの大きな燭台。炎は7色。7人の翁‥

このように、象徴的な数字にこだわった作品です。

そんなダンテの神曲の世界をセフィロト(生命の木)で象徴的に表したら、上下が対になった画像のような形になります。

自己の内なる探求は、同時に霊的進化を実現させる。
(画像は霜月やよいさんにご協力を頂きました。)

そんな深~い意味がある作品が、ダンテの「神曲」です。

作中でも、塔の中に入ってまず死の世界である地獄へ向かいます。地獄の世界はセフィロトの図のように逆さですから、人間に飼われているはずのインコが溢れかえり、人間を食べようとしています。
眞人は塔に入る前に、アオサギをやっつけようと、屋敷にいたおじいさんにナイフの研ぎ方を習います。鳥の住む地獄の世界では立場が逆になって、「眞人が捕らわれて、インコが包丁を研ぐ」というシーンが描かれていましたね。

映画では、最初はキリコがウェルギリウスのように案内役になり、最後にはヒミがベアトリーチェのように大叔父のところまで案内するところも、神曲と同じです。

不思議な世界で成長していく眞人はまさに、自己の探求をすることで覚醒するセフィロトの図の様です。いうなれば「君たちはどう生きるか」は現代のアニメ版「神曲」です。

こうなってくると、作中の冒頭で出てきた門に書いてあった言葉の意味が解ってきます。

『ワレヲ学ブ者ハ死ス』

地獄の世界にたどり着いた眞人は、大量のペリカンに押し込まれて門の中に入ります。その門には、不吉な文字が書いてありました。「我を学ぶ者は死す」

「我」をどう解釈するかで変わってきますが、「神を学ぼうとする者は死す」と読むこともできますが、映画全体が自己の精神探求の物語だと考えれば、「自己探求にて精神的死を体験し、成長するための門」という事になります。
金色に輝いているのも理解できます。


何を伝えたかったのか?


この作品は、結局何を伝えたかったのでしょうか?
宮崎監督の、母や師の死を受け入れる決意の意味もあったでしょうし、戦争へのアンチメッセージでもあったでしょう。
はたまた輪廻転生というものを伝えたかった?

ここまで象徴的な「死」「生」のメッセージをちりばめながら、そんな簡単な答えではないように感じます。

プロデューサー鈴木敏夫氏のインタビューでも、明言がありました。

「ある種ね、『聖書』なんですよね、内容が。映画の公開中、あんまり言わないようにしてきたんですけれど、内容が聖書の最後のほう、つまり『黙示録』。『宮﨑駿の黙示録だ』って思ったんです。」

アカデミー賞受賞後の鈴木敏夫氏インタビューより


キリコが眞人に「振り向いてはいけない」と言ったセリフもありましたよね。
旧約聖書創世記の「ソドムとゴモラ」で後ろを振り向いた事で塩の柱にされてしまったロトの妻のエピソードと同じです。

後ろに下がるキリコと眞人

また塔から逃げ出すシーンも、海が割れる旧約聖書「出エジプト記」のモーセの奇跡をイメージさせます。
序盤で塔を建設するシーンは、創世記の「バベルの塔」のようにも見えますね。
聖書を強く意識していたのは、間違いないようです。

劇中に出てくる魚の描写

現在の地球は、天文学的に黄道十二宮の魚座の時代が終わって、水瓶座の時代になる転換期です。作中でもアオサギが大きな魚を丸呑みしたり、キリコが魚をさばくシーンがありました。
魚座の時代の終わりを告げる黙示録。

魚の床・魚の門

魚が示すものはそれだけではありません。

いよいよ佳境です。

ここまで「死と生」にこだわったのですから、そこにメッセージがありそうです。
「死と生」の古い出典といえばエジプト神話の、オシリスの死と復活の物語です。

エジプトの王オシリスは弟セトの策略で、全部で「14の部位」にバラバラにされました。妻であるイシスはバラバラの体を集め復活を試みましたが、男根だけは魚に食べられてしまい見つけることが出来ませんでした。それためオシリスの体は「13」の部位しか集まらなかったため完全な復活は出来ず、冥界へ留まり死者の国の王となりました。

男根を飲み込んだ「魚」が出てきましたね。
ここで魚をさばくシーンを思い出してください。

このシーンは、LAYER1的(物語)には大きな魚を調理をしているシーンです。
LAYER3的(死と生)にいえば、失われた男根を探しているオマージュ。
LAYER2的(自伝・ジブリ)には、「1つ欠けた」男根ではなく、「1つ欠けた愛」、母への愛・高畑監督への愛を探しているとも読み取れます。

1つのシーンに3つも意味を盛り込んでいるのですから、わかりにくい訳です。

13の積み木を3日に1つずつ積み上げる

大叔父が眞人に、この塔の世界を引き継ごうとする時に言ったのが「13の積み木を3日に1つずつ積み上げる」という、抽象的な言葉でした。

13というと一般的には「死・悪魔」を連想する人がいると思いますが、13は「月」の数で女性性を表します。いわばこのシーンも「死と生」です。

LAYER2でいうと、宮崎駿監督が残した長編アニメ作品13作品の数で、映画を3年に1作品ずつ世に出して行くという解釈があります。

LAYER3的に言うと、「13」という意味深な数字は、やはりオシリスの復活の際に用いた体の部位の数ではないでしょうか?
オシリスは13の部位と、イシスの魔法で復活したため完全な復活を遂げることはできず、冥界の王となります。
13を引き継ぐ眞人は、大叔父が作ったこの世界(いわば冥界)の王となるより、完全な復活を求めて現実の世界に戻ったと言えます。

改名

宮崎監督は今回の作品では「崎」から「﨑」に変えています。心機一転の改名ともとれますし、立ち上がったという意味にもとれますし、「立」という字の形から2本の柱の門を表しているとも取れます。さらには作中の墓もこの形をしていましたから、死への覚悟とも取れます。

改名だけでこれだけの意味を重ねてきます。凄いですね。

まとめ

吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」でコペル君は、友人たちとの約束を守る勇気が出なかった事に悩み、登校拒否になります。でも自分の弱い部分を認め、謝る勇気を出すことで一歩踏み出します。

映画の大団円のシーンは、不完全のまま自分の殻に閉じこもる事をやめた眞人の成長の一歩であり、どこまでも自分のやるべきことに突き進む宮崎監督の決意の表れであり、観客に「私はこういう1歩を踏み出した。さあ、君たちはどう生きるか?」という問いかけだと思うのです。

そしてその際に必要なのは、精神的かつ哲学的な「死」

幼いころから育んできたしまった凝り固まった考えや、知らず知らずに正しいと思いこまされた思考を壊して「死」を経験してからではないと、本当の「生」にならないんだという、強烈なメッセージじゃないかと思うわけです。
それには、大変な経験や勇気をもってその道を進む覚悟が大事だと。

さあ、あなたは宮崎駿監督から何のメッセージを感じとりましたか?


おまけ


冒頭の大屋敷のシーン。皆さん「大豪邸で凄いなー」と思ったと思います。これ、アレとそっくりなんですよね。

最後の晩餐

「最後の晩餐」の背景の配置が似ていると思いませんか?
「背景が一緒だからって、なんだよ?」と思う方がいたら、霜月やよいさんの「最後の晩餐」を解読した記事を読んでみてください。かなり深い意味が隠されてますから。

最後まで読んで頂いてありがとうございます。まだまだ考察できる面白い部分はあるのですが、また別の機会に。

象徴が気になった方は、霜月やよいさんのメンバーシップコミュニティ「TheCamp」に足を運んでみるとよいと思います。


Special Thanks
霜月やよい

naruh_at

@STUDIO GHIBLI/スタジオジブリの作品


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