【第2章】教授選と大学病院の組織構造
1. 教授選がもたらす権力の大きさ
1-1. 大学病院という“三位一体”の組織
大学病院は研究・教育・臨床の三つを同時に担う特殊な医療機関です。一般的な民間病院は医療サービスを提供することが第一義ですが、大学病院はそれに加えて、医師や看護師などの教育・育成、さらには医学研究を行う場としての機能を持ちます。
こうした多重構造の中で特に重要な役割を担うのが、各診療科のトップである教授です。教授は学問領域のリーダーであると同時に、臨床現場を率いる管理職でもあり、さらに若手医師や大学院生を指導・教育する責務も背負っています。つまり、一人の人物が研究者・教育者・臨床家・マネージャーという複数の顔を併せ持つわけです。
1-2. 教授職に集約される権力
大学病院における教授職は、「一科一教授」という伝統的な慣行が長く続いてきました。つまり、一つの診療科には基本的に教授が1名のみとされ、その下に准教授・講師・助教・医局員(平医師)などの職位がピラミッド状に並びます。教授は研究費の大部分を配分したり、学外の関連病院への医師派遣を決定したりできるなど、学内外で強大な人事権を持つこともしばしばです。
ドラマ『白い巨塔』(2003年版)でも、財前五郎が教授選を制し、外科医局の頂点に立った途端、院内・院外の人事を左右する立場として君臨します。劇中では、関連病院の院長ポストや、重要ポストへの推薦が教授ひとりの判断でほぼ決まってしまう様子が描かれ、“教授=絶対権力者”という構図が強調されました。現実には若干の差こそあれ、依然として教授職に大きな権限が集中する大学病院は多いのが実情です。
1-3. 組織全体を動かす牽引力
大学病院の教授は、全国学会における地位や論文業績を武器に学問領域をリードする役割も担います。学会理事や専門医機構とのパイプを持つ教授は、自分の診療科や後進にとって強力な後ろ盾となり得ます。若手医師にとっては、教授がいかに高いポストに就いているかによって、学内外のキャリアパスが左右されることも少なくありません。
また、教授が主導する研究プロジェクトが国や企業から多額の研究資金を獲得すれば、医局全体が恩恵を受けるため、教授の力量や政治力が医局メンバーの待遇や実績を左右する構図が生まれます。つまり、「教授人事=組織全体の今後を決める一大イベント」という認識が強く、そこに激しい政治的駆け引きが生まれる土壌が存在するのです。
2. 実際の教授選の仕組みとドラマとの比較
2-1. フォーマルな手続き:公募・選考会議
現代では、多くの大学病院が教授選考を“公募制”としており、大学の選考委員会で業績審査や面接審査が行われるのが表向きの流れです。選考委員会には外部有識者や他学部の教授が加わるケースもあり、「公正で透明性の高い人事」を掲げる大学が増えてきました。
しかしながら、実際には「○○先生が早くから内定していた」「公募要件が特定の人物にだけ当てはまるように意図的に設定されている」といった声も依然として聞こえます。教授選結果は形式的な委員会の決定を待たずとも、水面下で“ほぼ確定”という例もあり、ドラマが描くような根回しと派閥操作がまだ残っているのは事実です。
2-2. インフォーマルな実情:派閥と学閥
『白い巨塔』(2003年版)で最も印象的な描写の一つが、教授選挙前に繰り広げられる大学病院内外の派閥工作です。財前五郎と対立候補(菊川教授候補)がそれぞれ派閥の後押しを得るため、教授会メンバーや関連病院の院長へ根回しに動くシーンは、視聴者に“ドロドロ感”を強くアピールしました。
現実でも、旧帝大系・有名私大系など、出身大学ごとに学閥が存在し、それぞれが支持者を動員して教授会での票集めに動くことがあります。特に地方大学では、教授選に負けると同じ大学には残れず、他大に移るか関連病院に“飛ばされる”という慣例が根強く残っているところもあり、まさにドラマさながらの図式が見られることもあるのです。
2-3. 選考過程で争点になるポイント
教授選で評価されるポイントは大まかに以下の三つとされます。
1. 研究業績:発表論文や学会活動、科研費獲得実績など
2. 臨床実績:手術症例数、指導歴、患者アンケートなど
3. 人間性・リーダーシップ:学内外の調整力、教育者としての適性
ドラマ内で財前五郎は、「天才外科医」「臨床実績トップ」という側面を全面に押し出しながら、その裏で賛同票をまとめるべく政治工作に奔走します。これは、実際でも「研究か臨床か、どちらを重視するか」「教授会内でどれだけ味方を作れるか」が大きな鍵を握ることを示唆しています。
なお、研究志向の強い大学では論文インパクトファクターが重視される一方、地域の基幹病院を兼ねる大学では臨床・教育面がより重視されるなど、大学ごとのカラーも存在します。
3. 医局制度と派閥争いの現実
3-1. 医局という“組織”の在り方
日本特有といわれる“医局制度”は、大学病院が各診療科ごとに医師を束ね、そのメンバーを関連病院へ派遣する形で地域医療を支えてきました。医局長や教授が人事権を握るため、若手医師がキャリアアップを図るには医局に所属し、上司の引き立てを得るのが常道とされていた時代が長く続きます。
ドラマ『白い巨塔』では、この医局制度を背景に医局員が教授の顔色をうかがい、教授の命令に絶対服従する構図が繰り返し強調されます。とりわけ、助教授や講師レベルの中間管理職が“教授の意向”を汲み取り、時には不正行為にまで加担させられる様子は、作品が批判的に描いている医局社会の負の側面を象徴しています。
3-2. 学閥争いの実態
日本の医学界には、明治以来の歴史的経緯から「旧帝大系の学閥」が強い影響を持ち続けてきた背景があります。たとえば、東京大学出身者が一つの派閥を形成し、京都大学や大阪大学出身者がまた別の派閥を作るなど、同窓の繋がりが教授選や研究費配分にも影響を及ぼすことがあるのです。
『白い巨塔』の舞台とされる「浪速大学」は大阪大学がモデルと言われますが、ドラマでは「東西の大学からの助っ人教授」「他大学出身の医師が食い込んでくる」など、学閥を越えた人脈争いがリアルに描かれます。こうした“外様 vs. 本家”の対立構造は、現実でもしばしば見られる派閥抗争の典型例です。
3-3. 若手医師の選択肢が広がる変化
もっとも、21世紀に入り研修医マッチング制度(2004年導入)や新専門医制度の開始などで、若手が大学医局に残らず市中病院へ流出するケースが増え、医局制度は大きく揺らいでいます。教授の権威が相対的に低下した結果、以前のような絶対服従の医局文化は徐々に薄まりつつあるのも事実です。
それでもなお、医局に所属するメリット――研究の機会や、教育体制、学会内の人脈形成など――は依然として大きく、ドラマが描くような**「教授の一存で人生が変わる」**構図が完全に消え去ったわけではありません。ある現役医師のインタビューによれば、「マッチング制度が導入されても、地域によっては大学医局に入るほうが得策と判断されることも多く、派閥の影響力が続いている」という声もあります。
4. ドラマが映し出す“教授選”のリアリティと誇張
4-1. 劇的演出の要素
ドラマ版『白い巨塔』(2003年)は、教授選を一種の“政争ドラマ”として描き、極端な誇張表現があることも否めません。たとえば、怪文書が出回ったり、ライバル候補への中傷を積極的に仕掛けたり、教授夫人同士が「くれない会」などのサロンを通じて権力を誇示するシーンは、実際にはあまり聞かれないエピソードです(ただし完全なフィクションとも言い切れない逸話が、過去には存在したとの噂もあります)。
しかし、こうしたドラマチックな演出は、視聴者に大学病院内部の権力闘争を強く印象づける効果をもたらしました。「医者の世界にそんな汚い政治があるのか」との反響が社会的に広まった一方で、多くの医師や大学関係者は「そこまで露骨でないにせよ、図星を突かれた部分もある」と複雑な感想を抱いたようです。
4-2. 本質を突く描写
誇張部分があるとはいえ、ドラマの教授選描写が示す“学閥や人脈が重視される”“実力以外の要素が大きく働く”という構図は、現実の大学病院においても完全に否定しきれないものです。ある教授選当事者は「水面下の根回しや候補者同士の駆け引きは、ドラマほど派手でないにせよ行われる」と証言しています。
また、教授選の勝敗が決まった後に「敗者が大学を去らざるを得ない」という仕組みも、地域や大学によって色濃く残っています。ドラマの中ではライバル候補がまるで“島流し”に遭うかのように描かれますが、実際にも「教授選に負けた時点で学内に居づらくなる」ケースが存在し、ドラマの描写との重なりが指摘されています。
5. 組織内政治とキャリア形成への影響
5-1. 若手医師と“教授の庇護”
大学病院の若手医師は、研究や臨床スキルの研鑽と並行して、自身のキャリアを確立するために上司や教授からの後押しを得る必要があります。国内外の学会発表や留学のチャンス、学会認定医や専門医取得のための症例経験など、大学病院ならではのメリットがある一方で、教授や医局上層部と衝突すると専門医取得が難しくなるリスクを抱える事態もしばしば聞かれます。
ドラマで柳原弘(財前の部下)は、真実を証言するか、上司の命令に従うかで深く葛藤し、最終的には医師としての信念と出世・恩恵との板挟みに苦しみます。これは若手医師のリアルな姿でもあり、「上司への忖度」が患者利益や倫理観と衝突する現場は、少なからず存在しているといえるでしょう。
5-2. 組織内競争と個人の倫理観
教授選は最終的に一人の「勝者」を生み出しますが、その過程で組織内の同僚や部下を巻き込む政治闘争が生じることが問題の核心です。人間関係がぎくしゃくし、情報共有やチーム医療に支障が出るようでは、患者にとっても大きなデメリットとなります。
財前五郎は、自らの野心を正当化しながら「医師として多くの命を救うために出世が必要だ」と主張しますが、その結果、患者・佐々木庸平の見落としが大事に発展してしまいました。これは組織内政治と倫理観の衝突を象徴する事例として、視聴者や医療従事者の心に強く訴えかけるテーマとなっています。
5-3. 現代の教授選改革への動き
近年、一部の大学では教授選に外部評価を導入したり、選考プロセスの可視化を進めたりと、透明性向上への取り組みが行われています。また、教授1名だけが全てを取り仕切るのではなく、複数の教授や教員が協力して運営する“チーム運営制”を取り入れるケースも増えつつあります。
こうした新たな試みによって、かつてのように一人の教授が絶対的権力を握る構図は少しずつ変化し始めています。とはいえ、日本の大学病院には長い伝統と独自の文化が根づいており、ドラマのような派閥構造が完全になくなるにはまだ時間がかかるという声も多いのが現実です。
6. 次章への接続:組織の中で際立つ“天才外科医”財前五郎
本章では、大学病院における教授職の意味合いや、教授選をめぐる組織内政治のリアリティを概観しました。ドラマ『白い巨塔』(2003年版)が描き出した“封建的ピラミッド”は誇張部分もあるものの、現代の医局制度にも通じる課題を浮き彫りにしていることがわかります。
一方、教授選を制した財前五郎は、圧倒的な外科手術の腕を誇り、周囲から「天才」ともてはやされる存在でした。しかしその姿は、出世や名誉を重視するあまり、患者中心の医療から乖離していく一面も含んでいました。
次章では、外科医としての財前五郎の人物像と、ドラマで描かれる医療技術・治療法に焦点を当て、2003年当時の医療と現代の医療を比較検証します。教授選を勝ち抜いた“絶対的リーダー”は果たしてどのような医師像を体現していたのか――彼の成功と失敗を振り返りつつ、その背後にある医療の進歩や課題を探っていきましょう。
