Red Wine In The Dark NightとUWMA
何ヶ月かに1回の投稿で、もはや生存確認です。おひさしぶりです。
おひさしぶりーふです。
やや血迷った挨拶からはじめないといけません。それはUntil We Meet Again (UWMA) のFlukeくん主演の映画「Red Wine In The Dark Night」(2015)を観たからです。
FlukeくんがWine役、Macくんが相手のNight役です。
Wineはストレートやゲイの男性と次々身体を重ねる、ややあばずれ的なゲイの少年という位置づけです。私の理解に間違いがなければ。
吸血鬼のはなしです。いや、Night自身は吸血鬼ではないと言っているんだけど、不完全バンパイアの話とかって割とあるので
吸血鬼のはなしです(笑)。
そう丸めてしまうのは、私がこの作品をまだよくつかめてないからです。少々複雑で、何度か観ないと分からないだろうなあ…と。Nightのお父さんが登場するクラマックスあたりでいっそう判らなくなりました。
なので今後少し整理したものをまた書くかもしれませんが、あまりにも衝撃的な作品だったので衝動的に日記をおこしました。
以下は私が衝撃を受けた注目ポイントです。
1. フェチがすぎる
撮るひとがものすごくフェチに造詣が深いんだろうなあと思わせるショットの連続で、死ぬかと思いました。
ふるたんのタンクトップ、太もも、ブリーフ、そしてSiri…。
いや!これいーんかい!?(いいよ)
ブリーフの殿堂は長らくキンポルでしたが、この作品が首位に躍り出ました。
ところで私は、UMWAのもじもじ恋愛進行が大好きでした。
でありながらも2周目は「もしぱーむくんが小悪魔だったら」という設定にして「P'でぃーんを虜にするN'ぱーむくんの物語」としても観ていました。
しかしこのRed Wine〜は、「もしふるたんが小悪魔だったら」を公式にやってしまっていて、ある意味ふるーく×おーむで、しかもつくられた時系列がUWMAより前であることからウブ感満載のUWMAのほうが二次創作だったんだなとすみません今日は自分でも何を言ってるか分からないです。
2. タイトルとあおり文に情報がなさすぎる

「Red Wine In The Dark Night」、原題のタイトルは「คืนนั้น」(あの夜)。
視聴をおえて分からない箇所が多かったので、あおり文になにかヒントがあるのかもと思って、手書きのタイ文字をえっさこら解読しました。
「ถ้าไม่มี "คืนนั้น" เราคงไม่ห่วงกันขนาดนี้」
「"あの夜"がなければ、僕らはこんなに憔悴しなかっただろうに」
はい、ヒントはゼロということだけ分かりました(笑)。
3. Until We Meet Againがありがたすぎる
そして見終わって、「よし行こう」と、自然にUWMAの復習に入ったのです。
これにはそうしようと思った背景があります。
タイの人たちがタイBLというのがゲイに関する表現においていかに大切なのかを説明してくれる時に、異口同音に次のようなことを言うのです。
「昔、ゲイは、映画やドラマでバンパイアや犯罪者、もしくは淫乱や当て馬、そして最後には死ぬ役でしかなかった。でも、Love of Siam、次にLove Sickがブレークスルーとなり、2gether以降もITSAYなどで、セクシュアリティに悩みながらも若者が生き抜いていく物語がつくられて…」。
──判を押したようなその説明に、これまではちょっと教科書的だなと、うっすら思わないでもなかったのです。ごめんなさい。
でも、今回の「Red Wine In The Dark Night」を観てめちゃくちゃ腑に落ちました。
タイ社会の「同性愛」表現において、「Red Wine In The Dark Night」(2015)と「Until We Meet Again」(2019)はまさに歴史の境い目であり、陰陽の関係なんだなと。そして「ゲイが好きなわけじゃないお前が好きだ」のターンタイプはいろいろな意味での端境期でもあったのだろうなと。
同性を好きになる少年たちの死を当然として描く表現の時代が社会にあった。でもそうではなく転生した2人が生き抜く物語を描きたかった。
そんなUWMAのメッセージを、この映画をみることで強く強く感じたのです。
