灯火を編む
パートへ向かうための精神統一でいつものように編み物をしていたら、妹から電話があった。半年ぶりくらいの着信だ。それで、父が入院したのだと聞かされた。
それまでは自宅で母が介護をしており、あちこちへ持病で通院しながら、家の中でも杖をついて歩いていた。どこが悪い、とも言えないほど、様々な科へ通っていたそうだ。
定期検査のスケジュールだけで、付き添いの母は忙しい。
最近は流動食も受け付けず、水を口に含んではむせるので、水分も取れていなかった。
救急車で運んでもらったところ、重度の肺炎として入院が決定した。
入院には2種類ある。治る見込みのある治療と、そうでないもの。今回は後者に近かったのか、延命措置をするかどうか聞かれたそうだ。
肺炎そのものが治ったとしても、自宅へ戻れるかわからない。救急車が最後のドライブとなる可能性もあった。
もう戻れない入院は、夫の母もそうだったから、同じように「もう、長くはもたない」とカウントダウンの始まった日々をつい思い出してしまう。
この人は白い清潔なベッドの上で一生を終えるのだ、と思うと、急に自分の布団の湿り気が尊いものに感じられた。しみったれた日常の、あまり洗われないベットパッドも、へたれて薄くなった羽毛布団も。
こんな時に大変申し訳ないのだが、ショックというよりも、金銭的な心配が勝る。
新幹線に乗る距離の往復の交通費、封筒に入れる大金の札の数を試算する。パートも休むとしたら、いくら損失があるだろう。
ぎりぎりの生活は、人として機能するべき感傷よりも、実務的な崩壊の方が恐ろしくなる。
不意の出費に対応できる金がないと、人は冷たくなるしかないのだ。性格とは、環境が作り上げる創造物。私の意思とは無関係だった。
自分の体力のなさを知っているから、生前の見舞いに行くことも計画できない。きっと会うのは、息を引き取ったあとの体だろう。
無理をして遠出できたとしても、私が壊れる。私の、その後の日常が、壊れる。
ただでさえ今は台風が心身をかき乱した後で、すこぶる調子が悪い。
こちらもれっきとした病人だ。生きている人間の生活を壊してまで、死に目に会いたいとは思えない。重ね重ね申し訳ないが、彼の長女にはその程度の力しかない。
妹はそれを理解してくれて、とりあえず諸々の準備だけしといてもらえれば、と言ってくれた。パートのスケジュールとか、心とか、お金とか、黒い衣装とか。
去年、義母の葬儀で着た喪服は、まだなんとか入った。あれから4キロは太ったが、じっとしていれば破れるほどのキツさではない。これ以上の出費は増やせないので、あまり動かないようにする。
何泊かを持ち歩く大きなバッグか、トランクケースはあっただろうか。そこに入れる荷物を脳内でシミュレーションしてみる。
遠出をするのは何年振りかも覚えていない。最後に県境を跨いだのは、妹の結婚式だったと思う。あれからすでに、姪っ子がふたりも生まれた。自分からは会いに行けていない。
私の状態も変わったので、公共の交通網を乗り継げるかさえ、やってみないとわからない。野外施設の清掃という仕事でさえ、ぽつぽつと行き交う人々の纏う洗剤の匂いで吐き気をもよおすのに、桁違いの人間達とすれ違う事なんて可能だろうか。念のため医師にも事前に相談するべきか。ぜんぜん、わからない。
ただ、父の命の灯火が消えようとしている一方で、私の生活という灯火もまた、風前の灯であることを自覚せずにはいられない。
妹の結婚式も、姪が生まれた時も、同じような苦味を味わった。祝いたいのに、その気持ちよりも生活の苦しさが、頭を支配していく。
あちらも命がかかっているのは百も承知だが、私も様々なものがかかっている。
ほかの兄弟へ連絡を済ませた妹からまたLINEが入ってきて、もしキツかったら交通費とか立て替えておこうか?と提案を受けた。
ありがたいが、立て替えてもらった分を払える見込みがないので、丁重にお断りした。
夫に相談してみて、どうにもならなかったら、車検代としてタンス貯金しておいた分から引き抜くことを決意する。
年間計画で貯めたその分を、このあとどう補うかはわからない。パート収入は増えないし、ボーナスも有給も、社会保障もないのだ。
義母が亡くなった後に、着物を売ったお金があったから、それが使えるか確認してみようと思案するが、住民税や都市計画税や国保を払った後だから、たぶん残っていないだろう。
もう色々嫌になって、中断していた編み物に再び取り掛かることにした。
一目編む、編み目ができる。一目編む、編み目がまたできる。
連なる糸が立体になっていくのを確認しながら、あと1時間でパートへ行ける心境に整えなくてはならない焦燥とせめぎ合う。
実の親が、間も無く死ぬ。
もう何年も実家には行っていないし、父にも会っていない。家を出てから20年も経つ。
私の日常には全く関係のない存在になっていたけれど、いざ死ぬとなると、やはりどこかで血が繋がっていることを突きつけられる。
恨んでいる。幼少期に受けた虐待を許すことは出来ない。幼い頃の傷は、私の骨格を完全に歪めてしまった。かといって、償ってもらうことも不可能だ。
許せない。だけど、その人はこれから死ぬのだ。生きている間に何を言えるだろう。考えても何も出てこない。
家族で旅行へ行った時の写真を思い出す。不器用で愛する方法を知らなかった人間の優しさが、ざらざらの紙に印刷されている。今はその紙を、スマホで撮ったカメラロールになった。
解像度が低下したところで、思い出の苛烈さは何ひとつ変わらないまま、写真の子どもはおばさんと呼ばれる年齢になった。
私の呪いはもはや世界に向けられていて、誰か個人に解消できるものではなくなっていた。理不尽な世界、不運なことに対しての恨みを、救えるものなど何もない。
これほど苦しかったのか、と気づいた時に、母から聞いた出来事が、鮮烈に頭をよぎる。
ある時父が、よたよたと歩きながら母の座っていたリビングまでやってきて、テーブルに片手でドン!と大きく手のひらを叩きつけた。そして、「俺はなあ!人生でいいことなんて何もなかった!世界に恨みがあるんだ!!」とかすれた声で叫ぶ。
あまりの圧に怯えた母は、自身の受けた過去の傷が疼き出すのを抑えながら、ふるえる声でなんとか落ち着かせようとしたそうだ。
あの時の父はもうすでに正気が欠けていたのだと分かる。
当時病院から、あと数年だと言われていた。脳神経外科の医師はおそらく身体というよりも、まともな精神が保てる時間の事を指していた。
社会的成功や生活の安定をはぎ取って、病が露呈させる父の魂の叫びが、私の胸に宿っていることに絶望した。まったく同じくすぶった色が、今、私の中に発生しているのだ。
こんな形で血の繋がりを認識するなんて、なんと残酷なのだろう。
良い大学を出て、一流企業に就職し、妻と子を持ち、昇進を重ねて定年まで稼ぎ、年金で暮らした父。一方でまともに働けもせず、夫婦で闘病しながらなんとか生きる自分。
私たちは全く異なる世界で生存しつつ、最も深層の部分で重なっていたのだ。
父が死んでも、私の中にそれが残される事が恐ろしい。
死にたくない、世界を恨んだままでは。
でも、呪った世界から逃げられることも羨ましい。どちらにしても惨めだ。私はどうやって死ぬのだろう。
頭の中の濁流が混ざり合うのを眺めながら、必死に編み針を動かす。出来るだけ規則正しく。出来るだけ、同じ軌道で。
輪編みで単純なメリヤス編みをする部分に入っていて良かった。靴下を編むのに、こんな状態で複雑な五本指や、かかとに取り組むのには難易度がさらに高くなる。単純な表編みを、あと50段は続けられることに感謝した。
一目編む、編み目ができる。一目編む、編み目がまたできる。
積み重ねた努力という時間が、適切に反映されていくのを、時々右手でそっと撫でて、また一目編む。
1号の輪針にぶら下がった、まだ命のない重みを、私の手が揺らす。オレンジ、白、赤、エメラルドグリーンの段染めが、無風の中で蝋燭の火のようにふるえている。
竹の針先を滑らせ、毛玉だった糸を引っかけて引き抜き、右の針へ託して、また次の目に針先を入れる。
竹針の触れ合う音が小さくカツンと響くごとに、心臓が吸収されていく。
ウールとナイロンの混紡された糸は、針がしなる数だけ、目の揃った筒状の物質へと変わっていった。
完全に正当な事なんて、この行為くらいしかないように感じられた。
この先に紡がれる物が、どうか血という呪いとは切り離された、純粋な無機物であることを願う。
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