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AIの台頭目覚ましいのは翻訳業界だけ?

筆者の数少ない趣味の一つに「写真」があります。

今回はそんな筆者が今読んでいる、幡野広志という写真家さんの本に気になる一節がありましたので、考えてみようと思います。
※本記事の最後に幡野さんの本の紹介もさせていただこうと思います。

その一節のタイトルは、そのものずばりのAI写真というものでした。

ところどころ、引用を交えて話を進めたいと思います。



写真家さんの世界も翻訳の世界と似ているんだ

『CGだって登場したばかりのときはCGだってすぐにわかりました。だけど2023年のCGは写真と差がほぼないですよ。』

『AI写真の発達でAIで生成できる写真を仕事で撮っている人は、かなりの広範囲で仕事が減って淘汰されると思います。』

『たとえば奇麗な富士山の写真はもうAIで生成できちゃう。CGと一緒で人間は違和感があるけど、無機質なものや風景は違和感がよりなくなります。』

この文章を読んだとき、翻訳の世界と全く同じじゃないかと思いました。
「写真」という単語を「翻訳」に置き換えれば、今の翻訳業界と全く同じですよね。

ところが、最後はこう締めくくられています

『写真の経験が高い人ほどAI写真をやるのがいいと思いますよ。ボリス・エルダグセンさんも写真家だし。新しい技術を否定だけするのはやめた方がいいですよ。』


ボリス・エルダグセン氏とは



今の翻訳者・翻訳会社がやるべきこととは?

写真家の幡野さんが仰るように、このままではAI発達の煽りを受けて淘汰されてしまう翻訳者、更には翻訳会社がたくさん出るかもしれません。

また、新しい技術を否定するだけじゃなく、共存していきましょうとも仰っています。

言えることは、AIといえども機械にできる程度のことをやっていては、「座して死を待つ」、淘汰されるのを待つだけです。
そうではなく、AIと共存しつつも、人間でなければできない翻訳に精進すべきということではないでしょうか。

幡野さんの言葉を借りれば、無機質なものや風景のような翻訳対象はAIに任せておけばいいんだと思います。
金太郎飴はAIに任せておけば、ものすごいスピードで大量に作ってくれるのですから。

逆に、AIが苦手とする人間を表現できるのは生身の人間でしかないということを肝に銘じましょう。
読者の感性に訴える文章、どこにもない唯一無二の文章が書けるのは、感情を持つ人間でしかないのですから。


ちょっと余談です
CGもなかった時代の映画って、味がありましたよね。
ゴジラの初期のころの白黒映画なんて、なんとも言えない味があります。
ゴジラの着ぐるみの中に入っていた人、翻訳者に置き換えられませんか?
生身の体で汗だくになりながら、精一杯のゴジラを演じる。
これなんですよ、人間にしかできないことは。
素晴らしいですよね。



AIに文学作品は翻訳できるだろうか?

若いころにミステリにはまった一時期があり、中でも早川書房の海外ミステリの翻訳版にはくぎ付けになりました。
どうしてそれほどの魅力を感じたのか、やはり翻訳品質の高さだったと思います。

検証したわけではありませんので、断定的なことは言えませんが、人間が書いた文章の一つ一つの言葉の選択から、行間に滲ませた作者の思いはAIには読み取ることは(現状では)難しいと思います。

いきなり、ミステリからロシア文学に話が飛びます。

ロシア文学の重鎮ともいえるドストエフスキーは皆さんもご存じでしょう。
筆者の恩師というか、歳は六つしか離れていないので兄貴のような感覚ですが、NHK「ロシア語会話」の講師を務めたり、後に東京外国語大学学長を経て現在は名古屋外国語大学の学長をされている亀山郁夫先生が設立された「日本ドストエフスキー協会」のリンクを紹介させていただきます。

同協会の設立の趣旨を読んでいただければ、ドストエフスキーがどのような時代背景の中で自らの小説を書いたかということがわかります。

また、日本には多くのドストエフスキー研究家が活動されています。
筆者はロシア文学ではなくロシア史を専攻したのですが、興味を持った時代がロシア革命前のドストエフスキーの小説の時代と重なりました。
そんなこともあって、亀山先生には文学の目から見た指導をたくさんいただくことができました。

話がどんどん横道に逸れていきそうなので、まとめます。

ドストエフスキーの作品一つを翻訳するのに、すくなくとも当時の歴史的背景、宗教の研究からスタートします。
帝政ロシア時代の農奴とはどんな暮らしをしていたのか、そもそも農奴制とはどういうものだったのか。また、その当時のロシアの民衆が信仰したロシア正教とはどんな教えだったのか、こういったことを事細かに理解しなければ、ドストエフスキーが書こうとした小説など翻訳することはできません。

つまり、ハヤカワ・ミステリと同様に、AIに翻訳させるのは到底不可能なことなのです。



それなら、産業翻訳はAIにもできるのか?

幡野さんが仰るように、『富士山の写真』程度であれば、AIでも生成できますが、『人物のポートレイト』は難しいのです。

富士山の写真とは、わかりやすい例を挙げるとすれば、お役所が作成する行政文書や通達文、或いは機械のスペックなどのようなもの。
一定のルールに従って、必要なことだけを的確に伝える文章であれば、AIが最も得意とする題材ではないでしょうか。

人物のポートレイトとは、例えば、メーカーが周到な準備を重ね、満を持して発表する新製品を消費者に訴えかける宣伝文といえばいかがでしょう。
社内やPR会社も一緒になって練りに練って作り上げたコピーには、携わった全員の思いが込められているというものです。

もっと複雑なケースもあります。

原文はイタリア語で作成され、それを海外向けにまずは英訳したとします。
その英文が日本に届き、日本語で展開しなければならないときに和訳が必要となります。

つまり、二段階の翻訳ステップを踏むことになるのですが、伝言ゲームと同じように途中で誤解や言い間違いは往々にして生じるものです。

元々イタリア人が言いたかったことが、日本人にそのままのニュアンスで伝わるかといえば、疑問です。

このような作業をAIに任せること自体が言葉の冒涜ともいえるのですが、みなさんでしたらAIが生成した日本語の文章をそのまま使いたいとは思わないですよね。

人間の翻訳者がこの作業に携わることで、伝言ゲームの途中の誤解や言い間違い、勘違いに気づき、そもそも何を言いたかったのか原文作成者の心を読み解くことができるのです。

時には、以前の記事にも書きましたが、どうしてもわからないことなどは「翻訳コメント」としてクライアントに提出します。
そうすれば、クライアントは原文作成者に確認もしてくれるでしょう。

果たして、このような作業をAIはしてくれるでしょうか。
AIが生成した写真のように、簡単にごまかされてしまうのでしょうか。



結局は、「弘法筆を選ばず」でしょうか?

一芸に秀でた者にとって、道具には左右されず、優れた結果を出すということですよね。
俗な言い方をすれば、「〇〇(伏字にします)とハサミは使いよう」ということになると思います。

AIといえども所詮は人間が作り出したものである以上、人間はAIを便利な道具の一つとして使えばいいということになりますね。

そのためには、一芸に秀でなければなりません。
翻訳者であれば、どのクライアントからも一目置かれる存在にならなければなりません。
そうなれば、AIなど恐るるに足らず、AIにはAIが得意とする作業をやらせながら、自分は自分にしかできない作業をすればいいのですから。


今回の気づきをいただいた写真家の幡野さんの著書


今回のAIネタはいかがでしたでしょうか。

つづく


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