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魔は何処から

映画「ファンタスティック・ビースト」の1作目には、心に闇を抱えた魔法族の子供が「Obscurus」なる力を出して周囲を破壊する、という場面があることを知った。

これ、私が以前書いた「人格乖離型次元召喚獣」の内容とほぼ同じだ。

「エクソシスト」の少女が暴れたのもそういう力に拠るものだ、と私は理解していたけど、映画の中ではバビロニアの魔神パズスの仕業だという説明が与えられていると知って、幻滅したことがある。

人格が定まらない年頃の少年少女には魔物が取り憑きやすい、というのは昔から言われてきたことだけど、その魔が彼らの内部に発生したものだという認識が(創作作品の設定を含めて)出てきたのは、いつ頃からだったのか。

人格が短期間で変容し凶暴になるような精神症状が現れたとき、その昔には何か人外のものが憑いたに違いない、と思われていたのだろう。

近年では、国内で人を殺めたペルー人男性が、その行為に及んだ理由として、(取り調べの際に?)「自分に悪魔が憑いたからだ」と主張していたという報道を目にしたことがある。このことに対する論評は、「いつの時代のことなんだ!」と呆れたものが多かったと記憶している。

ああ、神戸連続児童殺傷事件を起こした少年は、自分の行為を容認し保証を与えてくれる存在としての「神」を、自分自身で創作していたんだったな。

ということは、心の病的な変容や倫理からの破壊的な逸脱、つまり魔が、「外」に在るものの仕業ではなく「中」に原因があるのだという認識が広まったのは、精神医学が科学の体を成し始めた19世紀末からなのか?

このように、魔とは他所からやってきた人外のものとされていた時代から、今は、人の内界から生まれたものが宿主を支配すると考えられるに至っていると、そう整理してみた。(2022.4.10)



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