僕の本棚 #04|『ゆかいな数学者たち』

『ゆかいな数学者たち』

この本を買ったのは、大学生の頃です。

小学4年生の頃に、兄が持っていた矢野健太郎さんの『すばらしい数学者たち』を読みました。

それ以来、私は本屋さんや古本屋さんに立ち寄ると、「矢野健太郎」という名前を探すようになりました。

中学生になっても、高校生になっても。

そして大学生になってから見つけたのが、この『ゆかいな数学者たち』でした。

この本で最初に登場する数学者は、高木貞治です。

その中に、「小さい声の講義の効用」という話があります。

高木先生の大学での講義について書かれた話なのですが、私はこのエピソードが好きです。

偉大な数学者、高木貞治。

その人が大学で学生を前に講義をしている。

数学者というと、難しい数式を考えている、どこか自分たちとは違う世界の人のように感じてしまいます。

でも、この話を読むと、「大学で学生に数学を教えている先生」としての高木先生が見えてきます。

なんだか、ほっこりします。

ただし、数学教師を長く経験した今の私には、少し違う読み方もあります。

「小さい声で講義をすると、学生が一生懸命聞こうとする」

なるほど。

確かに、いい話です。

でも、これをそのまま高校の授業で実践したら、

「先生、聞こえません」

で終わってしまいそうです(笑)。

おそらく、この話は、

「東京大学の学生が、高木貞治先生の数学の講義を聴いている」

という状況だからこそ成立するのでしょう。

だから私は、「小さい声で話すこと」に価値があるとは思いません。

むしろ、

「それほど学生が聞きたいと思う講義だったんだろうな」

と考えます。

声が小さくても、前のめりになって聞こうとする。

そこまで学生を引きつけるものがあった。

そう考えると、やっぱりいい話です。

これが、今の私なりの「大人の解釈」です。

そして、この本を読み進めていくと、最後に登場する数学者がいます。

「私・矢野健太郎」

です。

これが、何とも言えません。

それまで、たくさんの数学者について語ってきた著者が、最後に自分自身について語る。

小学4年生の頃から「矢野健太郎」という名前を本屋さんで探していた私にとっては、とても不思議な感じがしました。

『すばらしい数学者たち』を読んだ頃の私にとって、矢野健太郎さんは、

「数学者の面白い話を書いてくれる人」

でした。

高校生になって『解法のテクニック』を読み、

「あれ? 矢野健太郎って数学者だったんだ」

と知ったくらいです(笑)。

その矢野健太郎さんが、自分もまた一人の数学者として、この本の最後に登場する。

しかも、その登場の仕方がいいんです。

「私・矢野健太郎」

このタイトルの付け方から、もう引き込まれます。

それまで多くの数学者を紹介してきた人が、最後に、ちょっと控えめに自分自身を登場させる。

そこが、なんとも素敵です。

高木貞治から始まり、最後は矢野健太郎。

数学者の業績だけではなく、その人となりや、その人が生きていた姿を感じる。

私は、数学者のこういう話が好きだったのだと思います。

最近、かなり本を整理しました。

それでも、この本は残しました。

数学の定理や公式を教えてくれた本ではありません。

でも、

「数学をつくっているのは、人なんだ」

ということを感じさせてくれた一冊だったのかもしれません。

小学4年生の頃から、ずっと本屋さんで探していた名前。

「矢野健太郎」。

私がこの人の本を好きになった理由が、少し分かったような気がします。

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