ていねいに味わうこと。
私たちは、思っている以上に「次」を生きている。
朝ごはんを食べながら、今日の予定を考える。
コーヒーを飲みながら、スマートフォンを見る。
電車に乗れば、目的地に着いてからのことを考える。
音楽を聴いていても、一曲が終わる前に次の曲を探してしまう。
いつも、いまより少し先に意識がある。
だから、ときどき思う。
人生に足りないのは、新しい刺激ではなく、すでに目の前にあるものを、ていねいに味わうことなのではないかと。
おいしいものを探す前に
もっとおいしいものを食べたい。
もっといい店に行きたい。
もっと珍しいものを体験したい。
そうやって私たちは、体験の質を「対象」の側に求める。
もちろん、おいしい料理はおいしい。
美しい景色は美しい。
しかし、どれほど素晴らしいものが目の前にあっても、こちら側に受け取る余裕がなければ、その体験は驚くほど早く通り過ぎてしまう。
逆に、ごく普通のものでも、ていねいに向き合うと違って見える。
炊きたてのご飯。
少し濃く淹れたお茶。
雨の日の匂い。
夕方の風。
久しぶりに聴いた昔の曲。
特別ではない。
けれど、ちゃんと感じてみると、そこには思っていた以上のものがある。
豊かさとは、特別なものをたくさん手に入れることだけではない。
普通のものから、たくさん受け取れることでもある。
一杯のお茶を、一杯のお茶として飲む
たとえば、お茶を飲む。
それだけのことをしてみる。
スマートフォンを見ない。
ニュースを読まない。
仕事もしない。
ただ、一杯のお茶を飲む。
湯気を見る。
香りを感じる。
器の温度を手で感じる。
最初の一口と、少し冷めてからの一口の違いを感じる。
そうすると、いつもなら数分で終わる行為の中に、いくつもの小さな出来事があることに気づく。
時間が増えたわけではない。
こちらの感覚が細かくなったのである。
「たくさん」より「深く」
情報も、娯楽も、食べ物も、選択肢も多い時代である。
だから私たちは、つい「どれだけ多く経験できるか」を考える。
一日に何本の動画を見られるか。
何冊の本を読めるか。
何軒の店を回れるか。
旅行で何カ所観光できるか。
けれど、人生の充実は経験したものの「数」だけで決まるのだろうか。
一日に10曲を流し聞きするより、一曲に心を奪われる夜がある。
観光地を10カ所回るより、知らない町の喫茶店で過ごした30分だけを何年も覚えていることがある。
たくさん経験したから残るのではない。
深く経験したものが残るのである。
味わうには「間」がいる
何かを味わうためには、少しだけ余白が必要である。
食べて、すぐ次を口に入れない。
一曲が終わったら、すぐ別の曲を流さない。
美しい景色を見たら、すぐ撮影するのではなく、数秒だけそのまま眺める。
誰かと楽しい時間を過ごしたあと、すぐSNSを開かない。
その小さな「間」に、体験が自分の中へ沈んでいく。
余韻である。
私たちは刺激そのものを楽しんでいると思っているが、実はその後に残る余韻まで含めて、一つの体験なのかもしれない。
幸福は、小さすぎて見落としやすい
人生の幸福というと、大きな出来事を想像しやすい。
夢がかなう。
成功する。
旅行へ行く。
欲しかったものを手に入れる。
もちろん、それらも幸福である。
しかし、一日の大部分を占めているのは、もっと小さな出来事である。
朝、カーテンを開けたときの光。
最初に飲んだ水。
焼いたパンの匂い。
好きな人との何でもない会話。
帰り道に吹いた風。
布団に入った瞬間の安心感。
一つ一つは小さい。
小さすぎるから、急いでいると見えない。
だから幸福を増やす方法の一つは、何かを新しく手に入れることではなく、すでに存在している小さな幸福を感じ取れる速度まで、自分を少しだけゆるめることなのだと思う。
ていねいに味わうこと
すべてをゆっくりする必要はない。
忙しい日は急いでもいい。
食事を10分で済ませる日があってもいい。
動画を倍速で見ることも、電車の中でSNSを見ることもある。
大切なのは、ときどき立ち止まれることである。
今日食べたものを、一口だけちゃんと味わう。
好きな曲を、一曲だけ何もしないで聴く。
夕焼けがきれいなら、数分だけ眺める。
コーヒーを飲んだら、その香りが消えるまで少し待ってみる。
それくらいでいい。
人生を豊かにするというと、何かを「足す」ことばかり考えてしまう。
しかし、もしかすると逆なのかもしれない。
情報を少し減らす。
速度を少し落とす。
次へ進むまでに、少し間をつくる。
すると、これまで通り過ぎていたものが見えてくる。
ていねいに味わうこと。
それは、ゆっくり生きることとは少し違う。
自分の人生を、ただ通過しないということである。
いいなと思ったら応援しよう!
最後まで、読んでいただきありがとうございます。誰かの役に立ち、見た方が元気になる記事づくりをめざします。いただいたチップは、ありがたくクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。